02.魔女と少年
魔女の力の源泉は魔素とも魔力とも呼ばれる。
魔素あるいは魔力は目には見えないが、自然界に溢れている。が、通常の人間には何の役にも立たない。
特別な儀式を行った魔女だけがそれを扱える。不可思議な現象を引き起こす魔法として。
「くそっ、腹が立つ。なんだあの無駄に頑丈な壁は! 本気で私を森から出さない気だな!?」
エミリオたちと別れた私は森の上を飛び回ったが、魔法で作られた障壁は森を囲うように張り巡らされていた。出口は一つもなかった。
「こういうときこそガツンと魔法使えばいいんじゃねぇの? 派手な奴をさ!」
作業の手を止めて無邪気に言ってくるリエトを、ぎろりと睨む。
「馬鹿か。あの障壁を破ろうと思ったらこの森は消し飛ぶぞ? いいから、お前はごりごり磨り潰してろ」
リエトには小指の爪程の木の実を磨り潰してもらっている。
「疲れるんだよ! 魔法使えばもっと早いだろ!?」
「こっちはこっちで魔法使ってるんだよ! そういくつも同時に動かせやしないんだ」
自慢のキッチンでは鍋がぐつぐつ煮えたぎっている。その中に乾燥させた植物をぽいぽいと魔法で入れていく。
「じゃあ、そっちやらせろよ! 鍋にもの入れるだけだろ?」
「あれは魔法でやらなくちゃ意味がないものだ。お前のそれは誰がやっても効果に影響のないものだ。分かったか? 腕力をつける訓練だとでも思ってやれ」
「ちぇっ、分かったよ」
リエトは渋々作業に戻る。
リエトが磨っている木の実は、綺麗に磨り潰し、鍋の中身と混ぜ合わせると魔素を吸収するようになる。
呪いも魔法の一つ。魔素がその源だ。それを患者の側から吸い取ってあげれば、多少は症状が軽くなるはずだ。
今適当に名付けたこの魔素吸収剤は完成までに時間がかかる。煮詰めた鍋の中身と磨り潰した木の実を混ぜ合わせて瓶に入れた後、寝かせる期間が必要なのだ。どれだけ急いでもできあがるのは五日後だ。
だから障壁を破ることよりも何よりも先に取りかかることにした。今思いつく限りで一番有効なのはこの薬しかない。
『――ルドヴィカさん? 聞こえますか?』
腰のベルトについた宝石がふるふると震え、音を発する。
「ああ、エミリオか?」
『はい。無事に王城へ着きました』
エミリオに与えた月長石は、私の持つ同種の石と繋がっており、互いの声を伝えてくれる。使い方は、エミリオが森を出てすぐに教えた。
「それは良かった。何か変わったことはあったか?」
『それが……ここ数時間で急激に患者数が増加しています。それも、王城で働く人間ばかり。おかげで王城の医務室は対処が追いついていません』
「まずいな。呪いが完成に近付いているのかもしれん。エミリオ、できることなら患者を王城から出せ。呪いの発生源から遠ざければ多少は楽になるかもしれん」
呪いは対象をせまく絞ってこそ強い力を発揮する。「王都」を対象範囲にした呪いよりも、「王城」を対象にした方がより強力というわけだ。一度呪いにかかってしまえば、範囲外に出たとしても蝕まれるが、程度は軽くなる。
『分かりました。できうる限りやってみます。未感染者も王城から離した方がよろしいでしょうか』
「そう、だな……今更離したところでどれだけ効果があるか分からんが」
既に呪いは発動している。呪いの範囲が王都全体か、王城のみであるかは定かではないがどちらにせよ王城は範囲内だ。呪いが発動した時点で王城にいたものは既に呪いの対象者と見ていいはずだ。
王城から離したところで感染のリスクは減らないが、呪いの源から遠ざけることで症状は軽くなる見込みがある。
『分かりました。また何かありましたら連絡します』
「ああ。頼む」
通信が途切れる。
呪いはどうやら完成間近のようだ。
完成したらどうなる?
王都はきっと沈むだろう。それが魔女の目的か。
「ルドヴィカってほんと変わってるよなぁ。街一つ沈もうが魔女にとっては些細なことじゃないのか?」
「私はこの通り年老いた身だからね。過激なことはもう飽き飽きしてるのさ。昔ならいざ知らず、今は平穏が一番だ」
「へぇ。じゃあ昔は悪いことしてたのか? 呪ったり」
「……そういうことも、したね。だから私は悪い魔女なのさ」
鍋に入れるものは全て入れた。あとはぐつぐつと煮込むだけ。ちょうどいい頃合いになったら火から下ろされるところまで魔法に組み込んであるので放置しておいても問題ない。
私は扉に手をかける。
「どこ行くんだ?」
「あの障壁を壊すにはちっと準備がいる。その材料集めだよ。リエトはそれが終わったら、晩飯でも作っておけ」
「人使いが荒い魔女だなぁ。分かったよ」
嫌々といった具合にリエトは頷き、ごりごりとまた木の実を磨る。
「疲れたら冷却庫にある特製シロップを水に溶かして飲みな。旨いぞ」
扉を閉める直前にそう言い置けば、リエトは嬉しそうに顔を輝かせていた。
リエトは甘い物が好きだからな。私と同じぐらい。
しかもあのシロップは特製だ。旨い上に、疲労回復効果もある。魔法がかかっているのでかなりよく効く。あれを飲めばリエトは充分に働いてくれるだろう。
「さて……」
箒に跨がり、トンと地を蹴る。
ふわりと浮き上がった身体は森の中を進む。
「まずは、サラマンダーを調達するか」
サラマンダーは火を司る精霊と言われているが、単に魔素を吸収して変異を起こしただけのトカゲだ。
魔素は人体には特に影響を及ぼさないが、動植物にはまれに変化をもたらす。変質した動植物は魔女と同じ魔法が使えるようになる。
サラマンダーの場合は、火が扱えるようになる。強すぎず弱すぎないちょうどいい火力の火だ。
おそらくこの障壁には道具が使われている。魔法を補強するアイテムが。それを破壊するのに火は欠かせない。火は浄化の作用があり、サラマンダーの持つ火は特にその性質が強い。
トカゲを探していた私はピタリと止まり、箒を下りた。
「……やっぱり、クェーロ=ルビッシュか。チッ、贄まで使ってるな」
障壁近くの草むらに、大きな石版が置かれている。
石版には魔女が使う図形のような文字とそれを閉じ込めるような蔦の紋様が彫りこまれている。ところどころに滲む赤黒い染みは血の痕だろう。
クェーロ=ルビッシュはこの石版の名前だ。ついでに石版を使う魔法全般をそう呼んでいる。
「『ルドヴィカ・エリアーナ・ヴィスコンティを閉じ込めよ』――名指しか。ほとんど呪いだな、これは」
石版に書かれた文字を読み上げる。ご丁寧にフルネームを書くとは。
魔法陣こそ使われていないが、準備の手間の多さは呪い並みだ。
「……触ったら呪われそうだな」
踵を返し、箒に跨がり地面を蹴る。
高く宙に浮かんだ身体は真っ直ぐに森の中心部へと向かう。
方針転換だ。
サラマンダーも探すが、まずは水で清めた方がいい。でないとあの石版には触れてはならない気がする。
「エルヴィーラ……あの性悪女め」
悪態をつく。
私を閉じ込めているのは、十中八九、エルヴィーラ・レナータ・アルボーニだ。私が森に引きこもるきっかけを作った魔女。
あの女は私に森から出てこられては困るのだろう。あの女にとって私はもう二度と会いたくない相手だろうから。
私としても積極的に関わりたい相手ではないが、障壁を破り、王都に蔓延する呪いをどうにかしたら、真っ先に会いに行ってその皮を引っぺがしてやる。何もしてこなければ森の中で穏やかに死んでやるつもりだったのだがな。
*
慎ましい我が家の前で箒を下り、バタンと扉を開けるといい匂いがした。言いつけた通り晩御飯を作っておいてくれたらしい。出かける前と別の鍋が竈の火にかけられている。
「あ……お帰り、ルドヴィカ。首尾はどうだった?」
ぐったり椅子に座り込んだリエトが倦怠感も露わに訊いてくる。
私は出入り口近くに箒を立てかけ、椅子にどっかり座り込む。
「――最っ悪だ! 本当に腹が立つ! この森はおぞましい石版だらけだ!」
石版一つを浄化するだけでも手間がかかるのにあちこちに置かれていて、とても今日だけでは終わらない。加えて森の中を行ったり来たりしたせいでかなり疲れた。
「石版……ああ、たくさんあるよな。ルドヴィカ、今まで気づいてなかったのか?」
「なんだ、リエトは気づいてたのか。私より魔女の才能があるんじゃないか?」
やけくそ気味にヒヒと笑えば、ピクリと眉をつり上げたリエトは嫌そうに顔をしかめた。
「そんなものあったって微塵も嬉しくないね。俺は騎士になりたいんだ。それに、男は魔女になれない」
「いいや、私は男であろうと魔女に近い存在になれると思っているよ。研究次第ではね」
リエトが鋭く私を睨む。別に魔女になれと言っているわけでもないのに、随分な反応だ。まあ、リエトの魔女嫌いを考えたら当然か。
「……ルドヴィカも、そんな研究してるのか?」
「馬鹿め。私の研究がそんなくだらんもののはずないだろう」
わざわざ魔女を増やすような研究をするものか。
魔女の天敵は魔女だ。
そんな研究をする魔女は破滅願望があるに違いない。
「私の研究は、より栄養豊富な野菜を作ることだ。それから万能薬の開発だな」
「はぁ? 万能薬はともかく、野菜の方は何?」
呆れた目をするリエト。
「人間も魔女も栄養源は一緒だ。食べなくては生きていけない。生命活動の維持に不可欠なものを研究することがそんなにおかしいか?」
私はフンと鼻を鳴らす。
「んじゃ、万能薬ってのは?」
「お前が馬鹿だからだ」
「はぁ!? どういう意味だよ!?」
「薬は怪我や病気に合わせて使う薬草が違う。だが、お前は馬鹿だから覚えられないだろう? 何にでも効く万能薬なら、お前にも簡単に使えるはずだ」
万能薬など本来魔女に必要ないんだがな。
薬の調合は魔女の知識の一つだから。
万能薬が存在してしまえば、魔女の知識は一つ腐ることになるな。それもまた面白いが、私の目的は別だ。
「なんで、俺……?」
「私が老い先短い身だからだ。いつまでも一緒にはいられない。少しでもリエトが困らないようにと思ってな」
「ルドヴィカ……お前、本当に魔女か? あの」
驚きに丸くした瞳が私をまじまじと見つめる。
私はにやりと唇の端を歪める。皮肉げに。
「魔女さ。魔法が使えるんだ。魔女以外の何者でもない」
指を振る。
すると、弱い火にかかっていた鍋がふわりと浮き、私とリエトの間にゴトンと置かれる。木のテーブルがジュッと焦げるような音と匂いがした。
「ほら、晩飯にしようか」
「分かった」
リエトは立ち上がって食器を取りに行くのだった。
――それから四日後の夜。
王城にいるエミリオから連絡が入った。
『ルドヴィカさん――国王陛下が倒れました』