01.魔女の呪い
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「――呪いを、解く方法を」
私の眉がピクリと反応する。
「呪いだと?」
呪いもまた魔法の一つだ。特殊な儀式や道具が必要となるが、労を惜しまなければそれだけ強大な力を発揮する。個人の力量よりも儀式や道具の質が大きく影響する点で、普通の魔法と比べ少々異質なものだ。
「はい。少し前から、王都内で流行病が蔓延しているのはご存知でしょうか」
「知らないな。私はこの森から出ないのでな」
二、三年ここに住んでいるが一度も出たことはない。外に出る用事などないからな。
「その病が呪いのせいだと言いたいのか? ただの病じゃないのか?」
呪いの可能性もあるだろうが、ただの病の可能性もある。狭い範囲で一斉に大勢の人が同じ病にかかるというのは、呪いでなくてもあり得ることだ。人々の心情としては呪いじゃないかという思考に陥りがちだが。
「初めの感染者が確認されてから二週間程経過しましたが、誰一人として快復した者がいません。患者は増える一方で、街が封鎖されるのも時間の問題です」
「なるほど。確かにそれは呪いを疑うな。詳しい症状は――いや、面倒だな。今から行こう」
紅茶を飲み干し、立ち上がる。年老いた身体は素早く動くことができなくて、もどかしい。ただの病では私の出る幕はないが、呪いならば多少何か分かることもあるかもしれない。
「え……いえ、そこまでしていただかなくとも」
「馬鹿か。詳しく知るには実際に診るほかないだろ。人伝いの情報よりも正確で早くていい。患者は苦しんでるんだ。さっさと行くぞ」
エミリオの考えは分かる。どうせ私という魔女を王都に連れて行きたくないのだろう。普通の人間にとって魔女は危険な存在だ。ことによると一国を沈めかねない戦力を個人が持っているのだから。
出入り口付近に立てかけてある特別製の箒を手にして、外へ出る。
「リエト。少し留守にするぞ。食器洗いと家は頼んだ」
「ん? 了解!」
箒に跨がって、エミリオとリエトの相手をしてくれていた騎士たちに視線を向ける。
「お前たちは――まあ、後からついて来い。私は先に行ってるぞ」
「え――ちょっと!?」
「行ってらっしゃーい」
土を軽く蹴れば、ふわりと身体が宙に浮かび、驚いた顔で手を伸ばすエミリオたちが一瞬で遠ざかる。リエトは慣れたもので、軽く手を振っていた。
勢いよく風に乗って、王都の方角へ向かう。
森に引きこもる前は、いろんな地を点々としていた。この国の王都にも行ったことがあるので、迷うことはない。
「――!?」
いざ森から出ようというときだった。
私は何かにぶつかった。透明な――壁?
「これは……」
目に見えない壁にペタリと手をつく。横に移動しながらいろんな場所に手をついてみるが、どこからも出られそうにない。下降しながらあらゆる場所を触ってみたが、ペタリと硬質な感触が返ってくるだけだ。
「どういうことだ? 何故、魔法がかけられている?」
私ではない。自分の魔法で出られなくなるなど滑稽で端から見る分には面白い見世物だが、自分自身が見世物になるのは御免被る。もちろん自分以外の誰かに向けて障壁を張った覚えもない。となれば、誰か他の魔女が悪戯で仕掛けたか――。
「――あの女か……? 破るには……チッ、準備が足りないな」
いやに頑丈な壁に顔を歪める。無理に出て行くより、病状を聞き出して呪いを解く方法を考える方が事態を早く収めるためには良さそうだ。
もう一度箒に跨がり地を蹴る。
今度は低目に飛び、家に戻る道を辿り、エミリオたちと合流する。
「――というわけだ。移動しながらでいい。詳しい症状を聞かせて欲しい」
「ええ!? もしや私たちも森から出られないのでしょうか?」
エミリオが不安そうに訊ねてくる。
「知らん。行ってみれば分かることだ。今は時間が惜しい。早く話せ」
「……そうですね。分かりました」
少し考えるような間があって、エミリオは一つ頷き、止めていた馬を走らせる。
「二週間前、王城に使える使用人が突然倒れ、高熱を出しました。医師は解熱作用のある薬を処方しましたが、一向に良くならずそのまま三日は高熱が続きました。四日目の朝、ようやく熱は下がりましたが、胸のあたりに黒い痣のようなものができていました。痣は日を追うごとに徐々に形を変え、七日目の朝には心臓のあたりで綺麗な蔦模様となっていました。すると再び熱がぶり返しました。それからは何をしても平熱に下がる兆しが見られません。どの患者もそれは同じでした。あとは、患者によって頭痛、目眩、吐き気、だるさ、様々です」
「蔦模様の痣か。禍々しいな。感染者の年齢、性別、地域に偏りはあるか?」
「年齢、性別は特に偏りは見られませんが、初めが王城内であったせいか王城に仕える人間の感染率が高いようです」
「なるほど、王城か。恨みを買ってる人間は多そうだな」
鼻で笑えば、エミリオの表情は引きつった。
一個人に対する恨みで王都一帯が狙われるのでは敵わない。が、魔女とはそういう生き物だ。人間たちが作り上げた街を気紛れ一つで簡単に破壊する。
「やはり話に聞くだけだと大したことは分からんな。だが、未だ感染者が増えているというのなら、手立てはある」
「術者を見つけ出すことですか?」
「それも一つの手だが、魔女に敵う人間はそうそういない。下手に手を出すのはやめておいた方がいい」
魔女を捕らえようとする行為は危険だ。せっかくじわじわと苦しめる呪いを使ってくれているのに、魔女の機嫌を損ねたら王城ごと街が消し飛びかねない。病に倒れていく呪いで遊んでいる内はまだマシな方なのだ。
「呪いには、儀式と道具――場合によっては生贄が必要とされる。そういった魔法を呪いと呼んでいる。患者が増えている内は、まだ儀式の途中のはずだ。呪いは成就していない。だから、儀式あるいは道具を破壊することができれば、呪いを破ることができるはずだ」
「儀式――とは何ですか?」
「さあな。呪いによって様々だ。私が知っているのだと、血で魔法陣を描き、その中央に鏡を置き、呪文を唱える、とかだな」
「随分、禍々しいんですね……」
「そうか? 比較的マシな部類だと思うがな。酷いものだと生娘の生き血だとか、何十人分の目玉だとかもっとエグいぞ」
脅しすぎたか。エミリオの顔が真っ青だ。
「だから、まあ、お前たちが王都に行って、何かしら手がかりを掴んで伝えて欲しい。おそらく儀式は王城内で行われているはずだ。基本的に、呪いに魔法陣は欠かせない。紋様や文字の書かれた円状のものだ。そういった怪しげなものを見つけてくれると助かる。だが絶対に触るなよ。何か仕掛けがないとは言えないからな。それから怪しげな人物ももしいれば教えてくれ。例えば、疫病が流行り出した頃に王城に出入りするようになった奴とかな」
「……」
エミリオは少しの間考え込み、慎重に切り出した。
「――二年前、我が王国に予言者を名乗る女性が現れたのは知っていますか?」
「知らんな。なんだ、その愉快そうな女は。魔女じゃないのか?」
予言とはまた胡散臭い。魔女でさえ未来など読めないというのに。もしくはそういった研究を成功させた魔女がいるのか。
「私は直接見たことがないので何とも言えませんが、魔法を使うところを見た人間はいないそうです。しかし予言はピタリと当たり、若く美しい容姿も相まって国王陛下に重用されているそうです」
「ふうん。その女、眉唾物だな。魔法を使っていないというが、その予言とやらが魔法ではないと何故言い切れる?」
「魔女らしくないからではないですかね。彼女の容姿は女神のように美しく、心はとても清廉だと聞きます。魔女のイメージとはとてもかけ離れていますから、魔女だとは考えもしなかったのではないでしょうか」
「なるほど、魔女は年老いて醜悪で、腐った心をしているとそういうイメージのわけだな。馬鹿馬鹿しい。魔女だって繕うことぐらいするさ。目的があればだがね。だいたい魔女の中には若くて美人な女もいる。現に私の――いや、話が逸れたな」
魔女のイメージが間違っているとは言わないが、あまりにもイメージが固定化されるのも危険だな。偏見を逆手にとるような小賢しい魔女がいるとは。
「お前は、その女が怪しいと思っているんだな?」
「はい。半年前に、彼女は国王陛下の死を予言したそうです。『蔓に巻かれて息絶える』と」
「本当に未来を当てる力を持っているなら関係ないかもしれないが、『言ったことを実現させて予言をしたように見せかけている』としたら、犯人は決まりだな」
予言の内容は呪いの症状とも一致する。女が魔女であればほぼクロだ。
「お前、いくら怪しくてもその女に近付くなよ。魔女にはいろんな魔法がある。洗脳に近いものもあるんだ」
「……」
「何故考え込む」
素直に返事をして欲しいのだが。
エミリオにはしばらくの間、連絡係として働いてもらおうと思っているのだ。役立たずになってもらっては困る。
「いえ、王城内で彼女が出入りする場所を洗ってみようかと。王城で儀式が行われ、かつ、彼女が犯人の可能性が高いなら、早くていいのでは――」
「――魔女を舐めるな。奴らは、自分の欲求に一途だ。何もかも捨てて失って、それしか持ってないんだ。人間と同じ思考回路をしていると思うなよ」
どいつもこいつも怯えている割に、魔女への認識が甘くて腹が立つ。ちょっと接触してみようなどと気軽に触れ合っていい存在ではない。そのちょっとが命取りになることもある。
顔を寄せて低い声で脅してやれば、エミリオは、どうしてか苦笑した。怯えて青ざめると思ったのだが。
「あなたがそんなことを言っても説得力はありませんよ。あなたは苦しんでいる患者を少しでも早く救おうと飛び出し、私たちを心配して魔女は危険だと警告した。私には、誰かを思うことのできる、私たちと同じ人間にしか見えません」
「もう忘れたのか。魔女だって繕うことぐらいする」
くだらない。私が人間であるはずがない。
私は魔女の恐ろしさを身を以て知っている。自分がどれだけ残虐性を秘めているかもよく知っている。
出会ったばかりの相手に、少し話しただけの相手に分かったように言われるのは腹が立つ。
――何も知らないくせに。
私のことを本当に知っている者など、どこにもいない。
私は苦しみと憎しみと罪悪感で生きている。
エミリオが考えもしないほどの罪を大量に抱えて生きている。
「……。まあ、そういうことにしておきます」
少し真顔で私を見つめ考えるような素振りをした後、エミリオは口の端を上げて笑った。馬鹿にされている気分だ。
おかげで、誰かに知って欲しいなどと思っているわけでもないのに、馬鹿なことを考えたと平常心に戻ることができたが。
「そういえば、お名前を伺っていませんでした。差し支えなければ教えて頂けますか」
私の名前などリエトが散々呼んでいた気がするがな。
進行方向をちらりと確認すれば、もう森の終わりが近い。
指を一つ振る。
腰につけたベルトの装飾のようになっている月長石がふわりと浮かぶ。片手でその石を掴み、石を握ったまま指をもう一振り。
「ルドヴィカだ。ルドヴィカ・エリアーナ・ヴィスコンティ。受け取れ、エミリオ」
開いた手の平からふわりと石が浮かび上がり、エミリオのもとへ。エミリオは、手綱を握りながらも器用に受け取った。
「連絡用の石だ。なくすなよ」
エミリオと騎士たちは私が阻まれた障壁を軽々と通り抜けていく。やはり私だけが森の外へ出られないようになっているらしい。
障壁を殴る。音は鳴らないが、握り拳がじんじんと痛んだ。
「エルヴィーラ……本当に忌々しい魔女だな。次に会った時は絶対に――」