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11.魔女の末路

少し長めです。



 ――魔女を強くするのは、憎しみ、苦しみ、そして恐怖。それらに呑まれて正気を失えば、もう人ではいられなくなる。


 老魔女エルヴィーラは真っ暗な空間で目を覚ました。

 手足はぐるぐると縄で拘束され、冷たい床に寝かされていた。それを確認すると同時、両手が痛みを訴えてきた。再び意識を失ってしまいそうな、激痛。動かすこともままならない。エルヴィーラは顔を苦痛に歪め、ぎりりと奥歯を噛みしめた。しわの寄った額には、汗の玉がいくつも浮かんでいた。


「ルドヴィカ……!」


 低くしわがれた不気味な声で、弟子の名を呼ぶ。声に滲んでいるのは怒り。不出来な弟子に対する怒り。


「何故――何故、殺さなかった……!」


 エルヴィーラはルドヴィカの容姿をひどく気に入っていた。幼少の彼女を一目見て、奪おうと決める程に。

 ルドヴィカは強い魔女になる素質もあった。自分以外の誰かを大切に思える人間であったから。傷つけること、殺すことに対する抵抗感がずっと消えないルドヴィカは、だからこそ自分自身を責め、蔑み、憎む。そして奪うことを強要するエルヴィーラに対して深い憎悪を寄せた。


「憎い、だろう? 魔女の師など、憎いだけだろう……!? 何故!」


 憎く思っているはず。それなのに、ルドヴィカはエルヴィーラに攻撃をしてこなかった。あの二人の人間が現れるまでは殺す気でかかってきたというのに。まるで、二人を守るように立ち、わけの分からない壁をつくり。


「魔女が、守るだと……?」


 魔女は奪う側にいなくてはいけない。散々何もかも奪われてきた者の成れの果てなのだから。

 彼らは自ら戦場に踏み入ってきた者たちだ。以前のルドヴィカなら庇わない。目の前に憎い敵がいるというのによそ見をすることはなかった。

 ルドヴィカはエルヴィーラに対する憎しみよりも、もっと別の何かを優先させた。

 そのことが、エルヴィーラは耐えられない程に、悔しかった。苦しかった。恐怖だった。


「ルドヴィカ……何故……!! 何故殺さないぃ――!!」


 老魔女を中心に強い爆風が吹き荒れた。

 何もかもを無に帰すような爆発は、拘束も、入れられていた狭苦しい部屋も、既に壊れかけている城さえもとどめを刺すように盛大に吹き飛ばした。



 *



「――くっ」


 咄嗟に振るった指は正確に魔法を発動させた。

 エミリオの首に下がっていた月長石ルナーリアが光り、私たちを包む膜となる。

 薄いその膜は飛び来る瓦礫や粉塵をものともせず、私たちを守り切った。


「悪い、エミリオ。私がやったものなのに、咄嗟に使ってしまった」


 役目を果たし終えた膜は消え去り、石の形に戻ることはなかった。まあ、もともとあの石は使い捨てだ。


「いえ、もとはルナのものです。それに、ルナが守ってくれなければ吹き飛んでいるところでした」


 ちらりとエミリオが後ろを振り返る。そこには部屋の中にあったはずの机も椅子も瓦礫の山も何もかもが飛ばされてできた新たな瓦礫の山があった。


「ちぇっ、せっかく綺麗にしたのにこれかよ」


 不満顔でリエトが呟く。

 室内にいたはずの私たちは、また夜空の下に立っていた。

 王城にはもう、人が住めるような場所はなかった。全てが破壊されていた。


「エルヴィーラか」

「ごめん、ルドヴィカ。もっと早く思い出してれば良かった」

「いや、思い出したところでどうにもならんだろ。念じただけで魔法が使える相手など」


 本物の魔女というのは、指を振るう必要がなく念じただけで魔法が使えるらしい。

 そんな相手を拘束したところで、何の意味もなさない。魔法を無力化するには魔素のない空間に閉じ込めるぐらいしか方法はないだろう。それでも胎内に魔素がある限りは魔法を使えるだろうが。


「それにしても、エルヴィーラの姿はないな。逃げたか?」


 魔女は夜目が利く。辺りを見回しても姿は見えなかった。人の気配は感じられない。――そのとき。


 ――べちゃり。べちゃ、べちゃ。ずる、ずる。


 粘性のある液体がこぼれ落ちるような、何かが這いずるような音が聞こえた。

 ぞわぞわと鳥肌が立ち、足が震えた。

 黒い、大きなどろどろの塊がこちらに近付いて来る。


「な、なんだ……!?」


 エミリオとリエトを背に庇って立つが、依然足は震えたままだ。恐怖の塊みたいなものが近付いて来る。

 それは声を発した。


「――る、ど、ヴィ、かァ……!」


「ひっ――エ、エルヴィーラ、なのか……?」


 情けなくも引きつった声が喉の奥から一瞬出たが、無理矢理呑み込む。気圧されている場合ではないのだ。

 だが、身体は正直で、じりじりと後ろに下がっていた。


「なぁ、リエト! どういうことだ!? 本物の魔女って、どういうことなんだ!?」


 なんだこれは。こんなおぞましいものが、この世にあるのか。本当にこれは、エルヴィーラなのか。

 それはゆっくりじわじわと近付いて来る。私の名前を繰り返し繰り返し、恨み言のように呟いて。


「お、俺も、そこまで詳しくは知らないんだ! なりかけの魔女たちにある一部の制約がなくなるってことぐらいしか!」


 答えるリエトの声は震えていた。


「くそっ、どうすればいいんだ、これは!」


 エルヴィーラの企みのせいで、私はエルヴィーラを殺すことはできない。

 だが、私以外に魔女を殺せる存在はここにはいない。

 動きが遅いのが幸いだが、恐怖が私の思考を冷静に働かせない。焦りだけが募り、また恐怖が湧いてくる。


 一歩後退った身体が、トンと何かにぶつかる。


「あ……悪い、エミリオ」

「……」


 背中に当たったのはエミリオだった。


「……エミリオ?」

「……」


 エミリオは一歩も動かず、私の声にも反応しなかった。立ったまま気絶しているのだろうかと思ったが。


「――ルナ、大丈夫です。あの魔女を倒しましょう」


 私を支えるように両肩に手を置いて、落ち着いた声で言った。


「倒すって一体誰が――」


 倒せるというのか。


「もちろん――人間が、です」


 エミリオは余裕のある笑みを浮かべていた。



 *



「る……ド、う゛ぃ……カ……アァ……」


 ずる、ずる。


「ア、アァ……ル……ど……うゥ……」


 べちゃり。べちゃ、べちゃ。


 ヘドロの塊のようなものが、呻き声と私の名前を繰り返す。

 それはゆっくりとだが、執拗に私のあとを追いかけてくる。だが、ぐちゃぐちゃと汚くおぞましい塊はそれ以外何もしてこなかった。

 一定の距離を開けて、私は逃げる。


 リエトは言っていた。本物の魔女は念じただけで魔法が使えると。

 おそらくそれは本当だろう。この黒く定まった形を持たない塊に指などついていないのだから。

 だが、一向に魔法を使ってくる気配を見せないところを見ると、今のこの化物に理性はないのだ。念じることができない。


「矛盾してるな」


 鼻で笑う。

 念じるだけで魔法が使える身であるのに、念じることができないなど。


 これが、本物の魔女か。

 負の感情を濃密に詰め込んだヘドロのようなどろどろで醜い物体。

 魔女――いや、憎しみに狂った女のなれの果て。


「魔女は人間ではないが、人間だったわけだ」


 また、矛盾。

 負であれ、正であれ、感情を持つのは人間だ。

 人間だからこそ、ここまで憎しみを積み重ねどろどろに煮詰め上げることができた。その姿は、人間とは遠く離れた怪物なわけだが。


「る……び……アァ……」

「――ん?」


 少しずつ、何かが変化している気がした。

 エルヴィーラのなれの果ては、未だゆっくりと私に向かっているが、恨み言のように呟く言葉が段々別のものになっているような気がする。それに伴って、少しずつ、ほんの少しずつだが、ヘドロが雰囲気を変えているような。

 しばらく様子を見ていたが、ある瞬間にはっきりと変化した。


「シ……ル……ビ……ア……!」


 私の名前ばかり呟いていたそれは、別の名前を怨嗟のごとく吐き出した。


「シルビア――?」


 心当たりのない名だ。


「ジぃ……ル、ビ、アぁぁあああぁぁ!」

「うわっ!?」


 何かが腕に絡みついたと思ったら、眼前に黒い塊が迫っていた。慌てて指を振って、腕に絡みついたぬめっとした何かを焼き切る。焦げた匂いはとてつもない悪臭だった。


「くそっ、急に何なんだ?」


 今、一瞬で距離を詰められた。今までが嘘みたいな俊敏な動きだった。しかしもう元通り、ゆっくりと私を追いかけてくる。

 絡みつかれた右腕がズキリと痛んだ。見れば、黒っぽい痕のようなものが残っている。なんて、禍々しい。


「――だが、そうか」


 禍々しいが、この黒さに私は共感できてしまう。

 これは、エルヴィーラのなれの果ては、私のいつかの未来像でもあるのだ。


 同じなのだ。繰り返しているだけなのだ。

 エルヴィーラが本物の魔女であるというのなら、エルヴィーラは師を殺したのだ。きっとエルヴィーラも殺したいほどに師を憎んで恨んで――そして心がぐちゃぐちゃの真っ黒になった。

 シルビアはエルヴィーラの師の名前だろう。

 私を呼ぶよりも、どろりと煮詰まった負の感情が溢れている。憎しみがこもっている。私がエルヴィーラを思うよりもどす黒く濃縮された感情だった。

 パチパチとはぜるような音が聞こえた。


「エミリオ、もういいか――?」


 離れたところにいるエミリオに聞こえるように声を張り上げる。


 ――そろそろ終わりにしてやりたいのだが。


 そんなことを思った自分に驚く。エルヴィーラに同情する日が来るとは。


「ルナ! もういいですよ」


 エミリオの叫ぶ声が返ってくる。


「よし。じゃあ、終わりにするぞ。エルヴィーラ」


 そう呟いた声は思いのほか優しかった。

 苦く笑って、エミリオとリエトの待つ明るい場所へ足を向ける。

 ごうごうと燃え盛るのは赤と橙の入り混じった炎。闇を照らし、穢れを浄化してくれる火だ。


 エミリオの提案した策はなんてことはない、魔女を燃やすというものだった。


『以前、エルヴィーラ自身が言っていたんです。魔女の弱点は火であると』


 人間が魔女を倒すなど無理だと言った私に、エミリオはそう言った。頼もしい顔つきをしていた。

 私の振りをしたエルヴィーラは、私の用意した連絡用の石を介してエミリオと話をしたらしい。その話の中で弱点を言うなど、エルヴィーラにしては迂闊だと思わなくもないが、魔女が火に弱いなど少し考えれば自明のことだった。

 火は穢れを浄化する。魔女は穢れの塊だ。火にくべてしまえば、人間であっても魔女は倒せる。私がそれに気づけなかったのは、魔女は魔女が倒すものだと思っていたせいだろう。


「ルドヴィカ。どうしたんだ、その腕!?」


 火のすぐそばまでやって来た私に近寄ったリエトは、私の右腕を見て目を丸くした。


「いや、これは大丈夫だ。それよりあまり私に近付くな。まだエルヴィーラはそこにいるんだからな」


 軽く手を振ってリエトを追い払う。

 くるりと振り返ると黒い塊がゆっくり、ずるずると這うように近付いてきていた。


「こっちだぞ、エルヴィーラ」


 私は炎の前で手招きをする。

 エルヴィーラは声にならない、よく分からない音を発して真っ直ぐ近付いて来る。


「お前は最低な師だったな、エルヴィーラ」


 一歩炎のそばに歩み寄る。あと一歩で炎に浸かってしまいそうな距離。

 エルヴィーラもずるりと這い寄る。


「だが、私も最低な弟子だ」


 眼前にどろどろとした黒い塊が迫り来る。私は、前にも後ろにも足を動かさなかった。


「お前の苦しみも憎しみも、綺麗に浄化してやろうと言うんだからな。最低だろう?」


 どろどろは動物が前足を上げるように、高く跳ね上がった。私を包み込もうとする。


「ルナ!」

「ルドヴィカ!」


 二人が心配そうな声で叫び、こちらに駆け出そうとするのが見えた。手を振って止める。


「大丈夫だ。これは、魔女と魔女の戦いだ。二人は黙って見ていろ。魔女の燃える様はきっと――耽美だ」


 笑う。


「――悪いな、エルヴィーラ。お前を殺してやれなくて。一緒に死んでやれなくて」


 指を振るう。

 ぐちゃぐちゃのエルヴィーラの身体は抵抗もなく、私の命令通り、火の海に飛び込んだ。


「だが、自分ばかり殺されて楽になりたいと考えるのは、お前も私も一緒だったな」


 ガラスを爪で引っ掻いたようなキィキィとした音が響いた。黒い塊が、火の海で溺れている。


「嫌なところばかり一緒だったな」


 気紛れで身勝手で、残虐で、ほんの少し寂しがり屋。私たちは二人ともそんな魔女だった。

 黒い塊の抵抗は徐々に弱々しくなり、小さくなっていく。


「エルヴィーラ。お前は確かに私の師だったよ――」



 *



 私はいつの間にか泣いていた。

 黒く濁っていた塊が、炎に巻かれてキラキラパチパチと消えていく光景が、あまりにも綺麗で。あまりにも悲しくて。

 煙ではない、光の粒のようなものが天へと昇っていく。

 ああ、終わったのだと思った。


「大丈夫ですか、ルナ」

「ルドヴィカ!!」


 エミリオは私の頭を撫で、リエトは私の腰に抱きついてきた。

 好き勝手してくる奴らだと、私は苦笑する。


「ああ。問題ない」


 なんだかスッキリした気分だった。

 燃え盛る炎が私の心に積もり積もっていた負の感情を一緒に浄化してくれたのかもしれない。あるいは、エルヴィーラが。いや、それはないか。エルヴィーラは自分勝手だからな。積み上げた憎しみや苦しみを一緒に背負ってくれない弟子のことなど一切考えていないに違いない。


 ――たぶんエルヴィーラは私に殺されたかったのだと思う。私がリエトになら殺されてもいいと思ったように。

 エルヴィーラの場合はもっと酷いがな。自分を殺させて私の心も殺そうとしたんだから。

 あの黒い塊と対峙して、私はよく理解した。師を殺すことは自分自身の心をも殺すことなのだと。それだけ深く魔女の師弟は繋がっていた。互いに依存していたと言ってもいい。

 魔女の最初の殺人は、親兄弟、親族だ。だから魔女の弟子にとっても師匠にとっても、互いが唯一縋れる相手になる。そうでない師弟関係もあるかもしれないが――私たちはそうだった。


「なぁ、ルドヴィカ」

「なんだ、リエト?」


 抱きついたまま見上げてくるリエトに視線を返す。

 リエトはじっと私の右腕を見つめた。


「それ、放っておいて大丈夫なのか?」

「ああ――これか」


 私は右腕を消えかけの炎にかざす。

 手首の少し上らへんをぐるりと囲む黒い痕。まるで腕輪を嵌めているように見える。いや、手枷かもな。だって、これは――


「これは――魔女の呪いだ。憎しみを背負って生きるしかなかった魔女たちの、な」


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