10.本物の魔女
リエトのあまりに必死な形相にぱちくりと目をしばたたかせる。
「リエト? 駄目って、何がだ?」
一歩私に近付こうとするリエトをエミリオが腕を引っ張って止めた。リエトはハッとした表情をしてから、ストンと元通りに床に座った。
「エルヴィーラ――あの魔女はルドヴィカの師なんだろ? 師を殺すのは駄目だ」
「どうしてだ?」
首を傾げる。
魔女に決まり事なんてないし、師を殺すことを禁忌とする話も聞いたことはない。
魔女の天敵は魔女であり、魔女はいつだって魔女を殺せる。戦場で魔女同士がぶつかることもある。その場合、人間の兵士は悲惨な目に遭うだろうが。
「師匠殺しは、駄目だ。本物の魔女になる」
「本物の、魔女だと?」
「魔女の師弟関係は、親子よりも深い関係だ。親殺しの上位に位置する儀礼なんだ。いや、もっと言うと、魔女になるための最後の通過儀礼だ」
儀礼は全てこなしたと、そう思っていたがまだあったのか。しかも師殺しとは。
「――ああ、だからエルヴィーラは私を出来損ないと呼ぶのか」
まだ、完成していないから、出来損ない。
「じゃあ、執拗に憎めと言ってきたのは、力を暴走させるためだけじゃなくて、自分自身に殺意を向けさせるためでもあったのか。危うく、嵌められるところだったな」
エミリオが首を傾げる。
「ですが、エルヴィーラはルナの身体を狙っていたのではないのですか? ルナに師殺しをさせるということはつまり、エルヴィーラ自身が死ぬということですよね。死んでしまっては、ルナの身体を奪うことはできません」
「まあ、普通はそう考えるよな。だが、エルヴィーラは私と身体を入れ替えることのできる魔法を使える。実際に二、三年程私の身体はエルヴィーラのものだった。その間に、私の身体に細工を仕込んでいるかもしれん。例えば、私がエルヴィーラを殺した瞬間に身体を入れ替える魔法が発動する、とかな」
だからこそ嵌められるところだったと言ったんだ。
たぶん、身体を入れ替えていたこの数年はエルヴィーラにとって準備期間だったんだ。私の身体を本格的に奪い取るための。
「かなり面倒くさい魔女に目をつけられてんだな、ルドヴィカ……。俺は単純にルドヴィカにそのままでいて欲しかったから駄目と言ったんだけど、師殺しは俺の思っていた以上に危険なことだったみたいだな……」
リエトが憐れみの視線を寄越してくる。
本当に面倒くさくて忌々しくて憎らしい魔女だよ、エルヴィーラは。この手で殺すことすらさせてくれないなんてな。エルヴィーラが相手となると本当に奪われるばかりだ、私は。
「……悔しいが、エルヴィーラには手が出せないな」
「代わりに俺が殺そうか?」
そんなことをリエトは笑顔で言ってくる。
私は首を振る。
「馬鹿か。お前では相手にならんし、頷いたらまたエミリオに私が叱られるだろう」
「ちぇっ、ああいう魔女こそ俺は殺したいのに」
「お前な、そういうことはもっと力をつけてから言ったらどうだ? 力も持たない奴が無闇に殺すとか言うな。逆に殺されるぞ」
リエトが魔女嫌いなのも魔女を嫌う理由も分かったが、あまり気軽に殺すなどと言わないで欲しい。
リエトは見た目通りの年齢ではないらしいが、見た目が子供だ。今まで子供と思って接してきたため、どうにも弟を見るような目線になってしまう。実際に私に弟はいなかったが、村の人間はほとんど家族のようなもので、子供たちは皆兄弟みたいなものだった。
「じゃあ、ルドヴィカ。俺を強くしてくれよ」
「はぁ? 嫌に決まってるだろ。強くなったらなったでお前は危険に突っ込んで行きそうだ」
「なら、今からエルヴィーラを殺しに行く。今ならあいつは抵抗できないはずだ」
立ち上がったリエトの手を、机から降りた私は慌てて引っ張る。
「馬鹿か。魔女を舐めるなとお前には散々言っただろう!?」
エルヴィーラは慎重で姑息な魔女だ。
拘束されていても、指を折られていても警戒すべきだ。どんな隠し球があっても驚かない。
「じゃあ、協力しろよ。ルドヴィカは男を魔女に近い存在にできると言ったよな?」
ねだるように私の服をつまみ、下から見上げてくるリエト。だが、その瞳は。
「お前……怒っているのか?」
「……。誤魔化すなよ。できるんだろ?」
返答に窮する。
どう答えてもリエトがエルヴィーラを殺そうとすることは変わらない気がしたからだ。そんなことを、私はさせてはいけない。エミリオにそう諭されたばかりだ。
「答えないなら、行くぞ」
手首を返したリエトの手が、いとも簡単に私の手から離れる。
リエトが踵を返す。
「待て、リエト! 分かったから、私から離れないでくれ!」
もうリエトは家族みたいなものなんだ。また家族を失うなんて、私は嫌だ。
くるりとこちらを見たリエトは喜色満面の笑みだった。
「ルドヴィカ何それ、求婚!?」
「うわっ、違う! 離れろ!」
腕を広げたリエトはガバリと私に抱きついてきた。さっきまで怒っていたくせに、何なんだこいつは。
「またですか。ルナ、学習してください……」
「なんで私が注意されるんだ!?」
溜息を吐きながら、エミリオがリエトを引きはがす。
意味が分からない。
こいつに抱きつかれるのは、私が悪いのか? こいつが自分の欲に忠実なだけじゃないのか?
ふてくされるが、エミリオはもう一度溜息を吐いた。
「今のはルナが悪いです」
「そう、なのか……?」
エミリオに言われるとそんな気がしてくる。
「じゃあ、なんて言えば良かったんだ?」
「……弟を失いたくない、ですかね」
「同じじゃないか」
首を捻る。大差ないと思うが。
「残念でしたね、リエト君」
「薄々気づいてたけどお前、嫌な奴だな、エミリオ」
エミリオは溜息を吐いてちょっと笑ったが、リエトは目を据わらせてふてくされた。
「まあいいや。ルドヴィカ、約束したな? 俺を強くしろよ」
「はぁ、お前がそんな小狡い奴だとは知らなかったぞ、リエト。だが、分かった。今ここでお前を失うよりはよっぽどマシだ」
男を魔女に近い存在にする、か。とんだ酔狂魔女だな。
「ところでさ、ずっと気になってたんだけど、なんでエミリオはルドヴィカのこと『ルナ』って呼んでるわけ? 『ルドヴィカ・エリアーナ』だから?」
未だエミリオに捕まっているリエトが不思議そうな顔で訊ねる。
「私がこの姿で改めて会ったときに好きに呼べと言ったんだ。あのときエミリオにとっての『ルドヴィカ』はエルヴィーラの方だったから、名乗るわけにはいかんだろう?」
だからおそらく本名は関係ないだろう。あの時点で気づいていたとは思えない。
「ふぅん。それでなんで『ルナ』にしたんだ? エミリオは」
「月長石をくれた少女だったからです。一度目に助けられたときは戦場だったと言いましたよね。そのとき、ルナはこの石をくれたんです。魔除けになると言って」
エミリオがリエトを解放して、服の中からペンダントになった青白い小さな石を取り出した。エルヴィーラの姿で渡したものとは別の石だった。
「ああ、確かにそんなことをしてた時期があったな。あんまり泣くもんだから石が溜まりに溜まってたんだよな」
「泣く?」
エミリオとリエトが不思議そうに首を傾げた。
「その石は私の涙でできているんだ。涙を集めて石にする魔法があるんだ。どうせ泣くなら魔法の材料にした方がいいとエルヴィーラに教えられた魔法だな」
涙は結構魔法の材料に有用だが、ずっと貯めておけるものではない。だが石にしてしまえば保存性が高まるというわけだ。ただ泣きすぎて石だらけになって困った時期があったんだよな。石は保存は効くがかさばるんだ。
「では、これはルナの涙ということですか」
「まじまじ見んなよ。変態臭いぞ」
手の平に石を乗せて不思議そうにじっくり眺めるエミリオに、リエトがわけの分からない突っ込みを入れる。なんで石を見てるだけで変態扱いなんだ?
「でも、なるほどな。私はエミリオとこの姿で一度会っていたわけか。それであのとき窓から飛び降りて追いかけてきたんだな。一度助けた私を信じて」
あのときは私を捕まえるための賭けに出たのかと思っていたが、ある程度勝算はあったみたいだな。
「はい。もしも貴女が変わらずこの石をくれた『ルナ』であったら、私を見捨てることはしないと思いました。ルナに助けられた命をルナに見限られて失うのなら、それもまた悪くない、とも」
「待て。重いぞ。命を私に預けるな」
命を捨てるなら勝手に私の目の届かないところでやってくれ。関係ないところでやってくれ。いや、ここまで関わったら勝手に死ぬことは許さないが。
「エミリオって、もしかしてその一度目に助けられたときからずっとルドヴィカのことが好きだったのか?」
「お前、デリカシーないな」
リエトにそんなものを求めるのは今更だろうか。
「いえ、好きというより、崇めていました」
「エミリオ!?」
なんでちょっと危ないところを救っただけで、崇拝対象になるんだ!? どんな状況で救ったのか分からんが、魔女だぞ!?
「ですから、初めルナと特徴の一致する予言者を避けていたんです」
「なんでだ? 再会したくはなかったのか?」
「思い出の中だからこそいいということもあるんですよ。思い出は美化されるものですから」
「お前の場合、崇めるくらいだもんなぁ。さすがの俺もどん引きだ」
リエトは不味いものを食べたような顔をしていた。気持ちは分かる。
「結果的に再会してしまったみたいだが。どうだ、幻滅したか?」
「いえ、天使から女神に成長したなぁと」
崇拝度が上がってないか? 魔女が女神になったら世も末だ。
「あのなぁ、エミリオ。私はま――」
「魔女ではないですよ。もちろん女神でも、天使でも。私にとっては一人の魅力的な女性です」
魔女だぞと言おうとした言葉は途中で遮られ、エミリオはにっこり微笑んだ。
「いや、魔女は女では――」
「俺もルドヴィカのこと一人の女だと思って見てるぞ! もちろん若返ってからだけど」
「リエト、今の発言はなかなか最低だぞ?」
再び言いかけた言葉はリエトの正直な発言に遮られる。
気持ちは分かるが、言わない方が良いこともあるからな? 正直に言えば良いってもんじゃないぞ、世の中。
「えぇ、でも俺正直異性としてはその見た目で好きになったし。もともとルドヴィカも嫌いじゃなかったけどさ、こう、介護する孫の気分でいたから」
「馬鹿か、お前は。女を口説くならもう少し繕え」
驚きの正直さに呆れてしまう。
だが、リエトはにやっと笑ってまた私に飛びつこうとしてきた。エミリオに止められたが。
「女の自覚あったんだな、ルドヴィカ! 良かった、老体に慣れきってすっかり精神まで年老いたのかと心配してたんだ!」
「だから失礼だな、お前は!」
リエト、お前本当に私のこと好きなのか? 口説く気ないだろ。
「いやいや、ほんと心配してんだって。魔女は子供が産めないから女じゃないって思ってんだろ? でも、ルドヴィカの身体は思いっきり女なんだからさ。油断してたらいつ襲われるか分かったもんじゃないだろ?」
「いらん心配だ。襲われたとしても魔法でどうとでもできる」
「それ、それが油断なんだって!」
エミリオから逃れたリエトが私の手に指を絡ませてくる。
「魔法ってさ、万能に見えて制約もあるだろ? 例えば、んー……ルドヴィカは親指か?」
リエトは私の右手の親指を握り込んで動きを封じる。
……バレていたのか。
「こうして、魔法が使える指が封じられたら何もできないだろ、ルドヴィカ?」
「お前のその魔法についての知識はどこから仕入れたんだ、まったく」
「俺を捕らえていた魔女からだけど?」
なんで魔女が実験体にべらべら喋ってるんだ。
再びエミリオがリエトを引きはがす。もうずっと持っててくれないか、そいつ。
「魔法が使える指は限られているのですか」
「ああ、バレないように使ってたつもりなんだがな。まあ、なんだかんだリエトとは一年ぐらいずっと一緒にいたからな」
「最初はすっごい警戒してたから、ルドヴィカが魔法を使うところを観察してたんだ。そしたらまあ、なんとなく分かった」
リエトが家に来た頃は確かに警戒心が強くて、私から目を離さなかったな。興味がなかったから放置していたが。まさか魔法について知識があるとも思っていなかったしな。
「誰にも言うなよ、お前ら。魔女の弱点みたいなものなんだからな?」
牽制するように二人をじろりと睨めつける。
エミリオは緊張した面持ちで頷いたが、リエトは難しい顔になった。
「いいや、魔女じゃない。なりかけの魔女の弱点だ」
「そうなのか?」
本当にリエトは詳しいな。私が無知なだけかもしれないが。
「今思い出した。本物の魔女は指なんていらないらしい。念じただけで魔法が使えると聞いた」
「は? じゃあ――」
私の言いかけた言葉は、突如響いた爆発音にかき消された。




