令嬢13歳・楽園への航海・前
期末試験も終え、夏休暇に入って。
領地でお兄様にべたべたされつつのんびり過ごしたり、邸で父様にべたべたされつつのんびり過ごしたりしていたのだけれど……。
うちの男性陣は必要上にべたべたし過ぎなのよね……ほんとに!
父様もお兄様も会えない時間が愛を育てたようで……帰省中後ろをずっと付いて回られる事となった。
……実家が一番落ち着かないってどういう事なんだろう。
そしてようやく、パラディスコ王国へ行く日取りとなりました!
……正直待ち侘びた。
あのまま領地や邸に居たら、抱きしめられすぎて手形が取れなくなるかと思ったもの。
パラディスコ王国へは王都にある港から定期船が出ているのだけれど、今回はミルカ王女のプライベートジェットならぬプライベートクルーザー……?でいいのかしら、で向かう事になった。
パラディスコ王国までは片道2日。滞在期間は7日間を予定している。
王都からパラディスコ王国まで意外と近いのね、と思ったのだけれどジョアンナ曰くパラディスコ王国の王家の船は『魔石帆船』で魔石を主な推進力として使っているので普通の船とはスピードが全然違うんですよ、と説明してくれた。
普通の帆船である定期船だと何倍も日数がかかるらしい。
ジョアンナ、貴女物知りね。流石商人の娘……!
マクシミリアンとジョアンナと一緒に港のミルカ王女に指定された区画へ馬車を着けると、オレンジ色のドレスを着たミルカ王女が手を振りながら近付いて来た。
後ろには相変わらず、少しだるそうな雰囲気を醸し出しつつハウンドが控えている。
……こんな感じの彼だけど、仕事は出来るんですよ、とマクシミリアンが言っていた。
うちの執事が言うのならそうなんだろう。
「久しぶり~!さぁこっちだよ!」
ミルカ王女に手を引かれながら船着き場へ向かう。
すると懐かしい潮の香が漂ってきてわたくしは前世の郷愁に駆られた。
どこまでも広がる青い海、空へ舞い上がりながら高い声で鳴くうみねこ。
あそこに停泊している立派な帆船が、ミルカ王女の船なんだろう。
――――ああ、帰って来た。
海を見ているとそんな『わたし』の感情がこみ上げて来て、自然と涙が零れてしまう。
ミルカ王女が驚きに目を瞠るのが視界の端に止まり、焦り慌てて目を擦った。
「どうしたの?ビアンカ嬢!大丈夫??」
「だ……大丈夫ですわ、ミルカ王女!目にゴミが入っただけで……」
誤魔化すように微笑むわたくしの濡れた頬を、マクシミリアンがそっと優しくハンカチで拭ってくれた。
船に乗り込むと、そこにはもう他の方々はいらしていた。
遅刻はした覚えはないのだけど……。皆様、この旅行を楽しみにされていたみたいね。
わたくしも勿論楽しみにしていたのよ!
だけど邸で寂しがる父様がなかなか離してくれなくて……。
「ビアンカ様っ!お久しぶりですわ!」
「お久しぶりですね、ビアンカ様」
てとてとと、目ざとくわたくしを見つけたゾフィー様がいち早く駆け寄って来た。
その後ろから静かな動作でマリア様が歩みを進めて来る。
ゾフィー様は胸元が大きく空いた赤のドレス、マリア様は首まできっちりとボタンが止まった水色のドレスと対照的な服装で、お2人によく似合っている。
ちなみにわたくしは薄手の白のドレスに同じく白の日傘姿だ。
マクシミリアンには清楚だ可憐だと好評で、出掛けにこれでもかというくらい褒められた。
溺れる、賛辞で溺れちゃうかと思った。
「船内の空気が尊過ぎて死ぬかと思いましたよ……」
「そうなのですわ!殿下とノエル様と同じ空気を吸うなんて、人生何があるか分かりませんわね!」
……貴女方、いつも学園で彼らと同じ空気を吸ってるんじゃ……?と思うけれど、気持ちは分からなくもない。
わたくしも殿下の美貌に慣れない頃は、『この顔をずっと見てたら命が危ない気がする』って思ってたもの。あの美貌は本当に暴力よね。
ノエル様も近頃益々爽やか美丈夫、という感じで女生徒からの人気は上がるばかりだ。
「ビアンカ、来たな!」
「ビアンカ嬢、元気だったー?」
フィリップ王子とノエル様もこちらに手を振りながら向かって来る。
フィリップ王子は白いシャツと黒のトラウザーズという珍しくラフな格好で、それが彼の整ったスタイルによく映えている。
元が良いから似合うんだよね、こういうシンプルな服装って。
ノエル様は前をきっちり止めた略式の青い騎士服で腰には佩剣しており、今回の旅で彼は護衛という側面も強いのだな、という事が一目で分かった。
何気に騎士然としたノエル様を見るのは初めてなのだけど……率直に言ってすごく、素敵だ。
普段ふんわりした雰囲気のノエル様の凛とした礼服姿はまるで別人のようで見ていて少し照れてしまう。
「ごきげんよう、フィリップ様、ノエル様。お待たせして申し訳ありませんわ」
わたくしは微笑みながら、挨拶をしようとお二人の前に歩を進めた。
するとフィリップ王子が、わたくしの片手をすっと取り……その繊細な彫刻のような両手で握り込んだ。
金色の睫毛に覆われた強い意志を感じる金色の瞳にしっかりと覗き込まれる。
いつ見ても吸い込まれそうに美しい瞳だ……。
「ビアンカ……今日は一段と美しい。銀の髪にドレスの白が映えて良く似合うな。キスをしても?」
「褒め言葉にさりげなくキスを盛り込まないで下さいませ!?」
急いでぺしっとフィリップ王子の手を振り払うと、彼は快活に笑った。
金色の髪が太陽の下でキラキラと煌めいた。
「……皆様尊い……」
「マリアさん……わたくし今死んだら天国に行けると思いますの」
こちらを見ながら、拝むのを止めて下さいませ、マリア様、ゾフィー様。
というか死なないでゾフィー様。
マクシミリアンもフィリップ王子を殺しそうな目線で射抜かないで!
甲板では船員さん達や、護衛の兵士の方々が出航の準備で忙しなく動いている。
人が忙しそうにしているとお手伝いをしたくなるけど……わたくしお嬢様でお客様だから、大人しくしていないといけないのよね。
「皆、準備が出来たなら行くよー!船長、皆揃ったわ。船を出して!」
ミルカ王女が両手を腰に当ててにっこりと笑いながら、出航を告げる。
とうとう、パラディスコ王国に行けるのだ……!
風を受けて帆が半円に膨らみ、船が動き出す。
わたくしははやる胸の内を抑えながら、水平線に目を向けた。