令嬢13歳・執事の胸で泣く
医務室にお兄様とマクシミリアンに連れて行かれ、しばらくベッドで休んだ後にわたくしは教室へと向かう事にした。
医務室は先生が不在だったのだけれど、流石元在校生…お兄様が勝手知ったると言う感じでテキパキとわたくしをベッドに寝かせ氷嚢を作ってくれた。
「大丈夫、天使ちゃん?今日は休んだ方がいいんじゃない?」
ってお兄様がわたわたしていたけど、初日からお休みするなんてクラスから浮いてしまう…。
「今日はご挨拶だけで授業はありませんし、大丈夫ですわ。終わったらすぐに寮に帰ります」
「お嬢様はわたくしが見ておりますので…。今日は王都の邸にいらっしゃるのですよね?何かありましたらご一報致します」
マクシミリアンもそう口添えしてくれたので、渋々お兄様は帰って行った。
お兄様が帰った廊下の方から黄色い歓声がまた上がった。
…学生時代はお兄様のファンクラブもあったって聞いてはいたけど…。
実際にお兄様に色めきたつ令嬢達を目にすると色々大変だったんだろうなぁ…と今更心配になってしまう。
お兄様にいいお嫁さんが見つかりますように…!
「医務室……2人きり……」
ぶつぶつとマクシミリアンが何か言っててちょっとだけ怖い。
それにしても…。
ヒロインが転生者だった…ここまでは、まぁ、いいとするにしても。
でも彼女のあの言葉は……。
『……えっ、嘘。あんな攻略キャラ居なかったよね?隠し??あのキャラ欲しいんだけど』
お兄様を、『物』みたいに言わないで。
お兄様も、マクシミリアンも、王子も、ノエル様も、そしてわたくしも。
感情があり、この世界でちゃんと生きている意志がある人間だ。
わたくしも、この世界が『ゲームの世界』、『もしくはゲームに酷似した世界』と言う前提で物事を考えて来た。
マクシミリアンの事を推しだって(主に脳内で)騒いだりもするし、ゲーム内と同じ光景を目にしたらはしゃいだりもする。
だけど、この世界で生きている彼らの事を『物』だなんて、思っていない。
ちゃんと、人と人同士の当たり前の関係を、築いてきたはず…。
その……はずよ。
彼女とわたくしは…同じじゃ…ないわよね…?
「お嬢様…?」
何も言わないわたくしの様子がおかしいと感じたのか、マクシミリアンが不安そうに声をかけて来る。
そんな聞きなれた彼の声に、縋りたい気持ちが溢れた。
「マクシミリアン……」
わたくしはベッドから身を起こして、マクシミリアンに両手を差し出した。
マクシミリアンは一瞬驚いた顔をした後に、壊れ物を扱うように恐る恐る抱きしめてくれた。
背中に回された手に遠慮がちに力が入り、胸の中に閉じ込められる。
するといつもの彼の香りがして、安堵の吐息が知らず知らず漏れた。
出会った頃よりも大きくなった、大人の男性の体。
でもその温かさは、昔と変わらない。
「――あったかい……」
その体温に、とても安心する。彼の胸に耳を付けるとトクトクと心臓の音がした。
子供の時のように、その胸に頭をぐりぐりと押し付ける。
「わたくしちゃんと。貴方の事を想い、考えて……行動出来ているのかしら」
マクシミリアンにしてみたら何を言っているんだ、と言うところだろう。
でも無自覚にしろ…彼らに対して物扱いのような態度を取っていたとしたら…自分が、許せない。
「お嬢様が何を不安になられているのか、私には分かりませんが」
頭を、マクシミリアンの手が優しく撫でてくれる。
幼い頃から知っている優しい手。
ああ、なんて安心する感触なんだろう。
「私は、貴女に大事にされていますよ」
彼のその言葉は、わたくしの心を優しく溶かした。
思わず、目頭が熱くなって……涙が次々と溢れて、止められない。
そんなわたくしに何も聞かず、マクシミリアンは優しく背中を撫で続けてくれた。
その後、しばらく泣いてから、わたくしは教室に向かった。
気まずい…遅刻しホームルーム中に開けるドアは、前世でも気まずかった。辛い。
ドアを開けると30人くらい居る生徒から、一斉に視線が集まる。
ちなみにこの学園は1学年4クラスで、生徒の割り振りは爵位に関係無くランダムだ。
「気分が優れなくて…医務室に行っておりましたの。ご迷惑を掛けてしまいましたわね…」
首を傾げて微笑むと、わたくしはそそくさと空いている席に座った。
ヒロインとは…同じクラスなのね。
じっとりとした視線で観察されている…うう…怖い。
王子は見当たらないけれど、ノエル様が窓際の席からこっそり手を振っている事に気付いた。
友人がクラスに居て、正直少しホッとする。
「これで全員だなー。今日は自己紹介と、教材の受け渡しが終わったら解散だ」
ぼさっとした髪型の丸眼鏡の教師が言う。
この方が担任なのかしら?いまいち年齢不詳ね?
彼はアウル・ライモンディ先生、魔法学の実技の先生だと云う事だった。
前の席から次々と生徒が自己紹介して行く。
「シュミナ・パピヨンです!宜しくお願いします!皆と仲良く出来ればいいなって思ってます!」
きゃるん、と言う効果音が付きそうな声音と表情でシュミナ嬢が自己紹介した。
クラスの男子達数人が見惚れている。うん、可愛いものね。
でもなんと言うか…貴族とは思えない挨拶で吃驚だわ。
顔を顰めて見ている令嬢も結構な数居る。
まぁ、この状況はゲーム通りと言えばゲーム通りだ。
主人公は往々にして無邪気さ故に空気が読めないものなのだ。
ゲーム内と違う所を言えば、わたくしが彼女に対して我関せずという態度な所か。
ビアンカはゲーム内では、シュミナ嬢の自己紹介に敵意剥き出しだったもんね…。
そしてついにわたくしの番……。
「ビアンカ・シュラットと申します。父や兄も通ったこの学園にわたくしも通えるなんて、光栄ですわ」
そう言って微笑むとクラスのあちこちから感嘆の声らしきものが上がった。
お兄様や王子みたいに黄色い声が常時上がる…なんて事は起こせないけど、わたくしも一応美少女なのだ。
掴みはまずまず、と言うところかしら。新しい友達が出来るといいな!……変な取り巻きはご遠慮願いたいけど。
「じゃあ授業は明日からだぞー。日程は教材と一緒に渡すプリントを見る事。それと選択科目の希望も忘れず出せよ」
教材を教壇まで取りに行く。
沢山の教科書を見て、げんなりしている生徒も多かったけど…わたくしのテンションは上がった。
だってお勉強、楽しいじゃない!
科目に関する細かい事は後でマクシミリアンに訊こう。
「同じクラスだね!宜しくねビアンカ嬢!」
ノエル様がニコニコと人好きのする笑顔で駆けて来る。
彼は、昔よりも……本当に、大きくなった。
背が伸び、訓練を真面目にしているから体格自体もかなり良くなっている。
昔はやんちゃ系ショタだったのに、今はすっかり体育会系男子と言う感じ。
緑色の髪はゲーム内よりも短く、後ろに撫でつけている。
ゲーム内ではもうちょっと細身でアンニュイ感があった気がするんだけど、修練をさぼらずにずっと続けてるんだものね。こうなるわよね。
すっかり大型犬、って感じである。
ノエル様と教室を出ると、外でマクシミリアンが待っていた。
彼はわたくしの手から教材を受け取ると、
「相変わらず習う事が多いですね。成績上位だとこれに加えて課題が増されるのでお嬢様は覚悟をした方がいいですよ」
と言って笑う。学生時代を懐かしんでいるのか、その表情は柔らかい。
「分からない事があったら、教えてね?」
「俺も!マクシミリアンの教え方すごい上手だし!」
わたくしとノエル様がそう言うとマクシミリアンはにっこり笑って…………
「いいなぁ~わたしも彼に教えて欲しい!」
何か言おうとした彼の言葉は、シュミナ嬢の声で遮られた。
彼女は自然な動作で、わたくしとマクシミリアンの間に割って入る。
その場の空気が、ピシリ、と凍った気がした。
ノエルは人懐っこくてビアンカへの恋愛感情も薄い(守りたい>>>>>>好きかも?くらい)ので、マクシミリアンとも仲良くできる、と言う設定。