フィリップとベルリナの後夜祭・後(フィリップ視点)
緊張で硬くなったままのベルリナ嬢の体を、俺はできるだけ優しく自分の方へ引き寄せた。すると小さく華奢な体は簡単に引き寄せられ俺の胸にとん、と落ちる。彼女は震えながら真っ赤になった顔で俺を見上げた。
……普段俺に迫ってくるふてぶてしい令嬢たちはこんな反応をしないから、なんだか新鮮だな。
「大丈夫か? ベルリナ嬢」
「ひゃい……大丈夫です!」
俺は彼女に声をかけ、足を踏み出す。するとベルリナ嬢は少し慌てつつも慣れた動きでそれについてきた。さすがは公爵家のご令嬢。動きにそつがないな。
……ビアンカは侯爵家のご令嬢なのにダンスは……その。いつまでも慣れないようだが。それもまた可愛らしいのだが。
いや、今は一緒に踊っているご令嬢がいるのだ。ビアンカのことを考えるのは止めよう。
ベルリナ嬢の動きに合わせて、淡い金色の髪がふわりと揺れる。目が合うと空色の瞳が眩しそうに細められた。彼女の小さな手は時折、強く俺の手を握りしめる。それはまるで俺の存在がそこにあるのを確認しているかのようだ。少し力を入れて握り返すと、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「舞踏会などで見かけた時にも思ったが。ベルリナ嬢はダンスが上手いな」
「ほ、本当ですか!?」
褒められたことが意外だというように彼女は驚く。お世辞ではなくベルリナ嬢とのダンスはとても踊りやすい。彼女の真面目な性格だ、日々の努力の賜物なのだろう。
しばらくそうして踊っていると……。
ベルリナ嬢は俺の顔をじっと見つめ。なにかを言おうとしているのか、薄桃色の小さな唇を開けたり閉じたりしばらくして、困ったように眉根を寄せた。
「俺になにか、話でもあるのか?」
「ひゃふ!」
声をかけると彼女はその小さな体を震わせる。……驚かせるつもりはまったくなかったのだがな。彼女は数度口をぱくぱくさせた後に、なにかを決意した表情になった。
「あ、あの。消息筋から聞いたのですけれどっ」
「消息筋……?」
「あの、卒業までに。ビアンカがその、フィリップ王子に気持ちを向けなければ……」
ああ。卒業までにビアンカが振り向かなければ俺が彼女から手を引く、というあの約束のことか。一体誰から聞いたのやら。ベルリナ嬢と現状親しくなさそうなビアンカが自主的に話したとは思えないし、噂の元がマクシミリアンだとすると。
「……ミルカ王女か」
俺の言葉にベルリナ嬢はびくりと体を震わせた。
マクシミリアンはいつの間にやらパラディスコの侯爵位を与えられ『マクシミリアン・セルバンデス侯爵』になっていた。ミルカ王女には彼へと届く情報は、すべて筒抜けになっていると考えていいだろう。
それで……ベルリナ嬢はどうしたいのだろうな。
ビアンカが婚約者候補の一番手から退いた後に、婚約者の座が欲しいと言うのだろうか。しかしそれを俺に直接言うのは馬鹿正直にもほどがないか?
このことを知らないふりをして、俺の弱り目に付け込むような使い方もあるだろうに。もしくはこの情報を使って根回しをし、選定を有利に運ぶこともできるだろう。
「それで? その件を知っていたとして……君はどうしたいんだ?」
「あのっ。わ、私……。私も、ですね」
「うん、なんだ」
彼女は頬を赤く染め、瞳を潤ませながらこちらを見つめた。
「私も、その。卒業までの残りの期間……。フィリップ王子に振り向いてもらえるように、頑張ってもいいでしょう、か。それでもしもお心が少しでも私に傾いたら、私を選ぶことを考慮して、欲しいなと……」
ベルリナ嬢の言葉に俺は呆気に取られた。『振り向いてもらえるように頑張る』? 人の知らない情報を掴んでおいて、出た結論がそれなのか。この少女の『打算』という言葉はどこか遠くに吹き飛んでいるらしい。
……魑魅魍魎ばかりの王宮で生きてきた身に、この純粋さは眩しすぎるな。
けれど……嫌いではない。
「……君は思っていたよりも、面白い人間らしい」
俺の言葉にベルリナ嬢はきょとんとして首を傾げた。
「頑張ってくれ、ベルリナ嬢。俺の心を勝ち得たら……君が婚約者だ」
ベルリナ嬢のカウニッツ公爵家は王都での立場がそれほど強くなく、おまけに先日領地が災害に遭い借財まである。ビアンカが婚約者にならなかったとしても、優先的に婚約者に選ぶ家ではない。
けれど彼女の純粋な様子を見ていると。俺はその約束をしてもいいと思ってしまった。
……まぁ、俺の気持ちが傾けば、という話ではあるが。
「頑張ります。私、めいっぱい頑張ります!」
ベルリナ嬢は嬉しそうに笑って何度も頷く。
ああ、頑張ってくれ。何年も降り積もった片想いを溶かすのは、並大抵のことでは無理だろうが。
「……そろそろ、曲が終わりますね」
「ああ、そうだな。皆のところに……」
曲の終わりに離れようとした俺の手を、ベルリナ嬢の小さな手が掴んで引き止めた。
「……あの、よろしければ。もう一曲踊ってくださいませんか?」
ベルリナ嬢はそう言って、空色の瞳で俺を見つめた。
……彼女は今から攻勢をかけるつもりらしい。こういう攻めの姿勢は、嫌いではない。
「ふむ、そうだな。後夜祭は無礼講だ。誰と何回踊っても咎める人間はいないからな。踊るか、ベルリナ嬢」
可愛らしい企みに乗ってやるかと、俺は笑顔でそう言った。
フィリップ王子は初恋の呪縛から解放されるのか('ω')
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