シュミナ・パピヨンの後夜祭・後(シュミナ視点)
「サイトーサン!!」
エイデンを振り払い、サイトーサンの元へと駆け寄る。ああ、もっと真面目に勉強していればよかった。光魔法の中には解毒ができるものがあるのに……! 実技として試したことはなく、私にちゃんと使える確証なんてない。
エイデンはせせら笑うような表情で、私がサイトーサンに駆け寄るのを止めなかった。
彼はその場にしゃがみこみ、口の端からぽたりと濃い紅が零れる。ああ……血だ、どうしよう。やっぱり毒が……。
「や……やだ! やだ! サイトーサン、サイトーサン! 上手くできるかはわからないけど、今解毒の魔法を……」
魔法を使おうと伸ばした手をサイトーサンがそっと掴んだ。その意外にしっかりした力に驚いて彼の顔を見ると、エイデンから見えない角度でしーっと唇の前で指を立てて悪戯っぽく微笑まれた。
「……シュミナちゃん、騒がないで。大丈夫だから。『転移者特典』とでも言えば分かりやすいかな。僕は平気……そのうち体内で解毒されるから。じゃないとあの人の差し出すものなんて、飲まないよ。苦しくないと言えば嘘になるんだけど……ッ!」
そう小声で言いながらサイトーサンは激しく咽た。紅い血が飛沫のように散って、大丈夫だと言われても心臓に悪い。私は急いでハンカチを取り出すと血にまみれた口元を拭う。
彼の綺麗な顔が苦痛に歪み、いつも抜けるように白いその肌はさらに青ざめて汗が流れている。私は涙目になりながら、サイトーサンの汗をハンカチの汚れていない面で拭った。
「シュミナちゃん、僕を治すフリをしてくれるとありがたいんだけど。僕自身の力で平気だってことは、彼に知られたくないから。この毒の量だと多分他の人なら、とっくに死んでるだろうし……もう訝しまれてる気はするけど」
「わ……わかった!」
私はヴィゴと学んだことを思い出しながらサイトーサンの胸にそっと手を当てて解毒の魔法を唱える。落ち着いて、落ち着いて。イメージが大事だってヴィゴは言ってた。体中に魔力を巡らせるようにして……毒を体外に排出するイメージを。
手のひらがほわり、と光りサイトーサンの体に魔力が伝っていく。これでいいのかな、フリじゃなくてちゃんと使えてるかな。
「……ふふ、上手。体が楽になってきた。光魔法ってすごいんだねぇ、シュミナちゃん」
「私のことを褒めてる場合じゃないでしょう! 私のせいで、私のせいで……!!」
サイトーサンは手を伸ばして優しく私の頭を撫でる。そして頬を流れていた涙を、そっと拭って笑ってくれた。
「僕はね、さっきも言ったけど『転移者特典』で皆よりも丈夫なの。詳細は今度時間がある時に説明するけど。だから……あの人に殺されたりしないから、怖がらずに僕を頼りなさい。君、どんな辛そうな顔でさっき立ってたか自覚してないでしょう? それとあれは僕がわざと飲んだんだから、負い目に感じないこと。いいね?」
「でも……」
「でも、じゃなくて。はいって言いなさい」
彼は『死なない』ことを証明し、私が彼を頼ることができるように『わざと』あれを飲んだのだ。
サイトーサンは『簡単に死なない』だけできっと痛いのに。彼の顔を見ていたら、そんなことはわかる。だけど……。
「ごめんなさい、迷惑をかけるかもしれないけれど。本当に辛いときだけ……頼らせて……」
私が嗚咽を上げながら小さな声でそう言うと、サイトーサンは返事の代わりにまた頭を優しく撫でてくれた。
「さて……」
彼は立ち上がって軽く伸びをする。その姿を見て、エイデンが驚愕の表情をした。周囲で何事かと見守っていた人々もほっとしたような雰囲気で、サイトーサンから視線を外す。
サイトーサンは今度は自分でテーブルから水を選んで取ると、それを一気に飲み干した。そしてもう一杯水を手にする。
「う~……。血の味って気持ち悪い。でもこんなとこで口を濯ぐわけにもねぇ。品がないでしょ? ほら、僕一応伯爵様だし」
そして呑気な口調で言いながら胸ポケットから取り出したハンカチで口元を拭うと、エイデンに微笑んでみせた。
「乾杯は終わったね。……シュミナちゃんがいて助かったよ。仲良くしてくれるんでしょう? エイデン様」
「ああ……仲良くしよう」
エイデンは無表情でなにを考えているのかはわからない。けれど肌に突き刺さるような激しい怒りの気配を感じた。
「サイトーサン!」
その時、サイトーサンの背後から誰かが勢いよく抱きついてきて彼は少したたらを踏んだ。ふわふわとした紅い髪……ミルカ王女だ。後ろには見たことのない素敵な男性……いや、これってもしかしなくてもいつもミルカ王女といるチャラそうな執事……!?
「うっへ!? サイトーサン胸元血塗れじゃないスか! どうしたんスかそれぇ!?」
……うん、彼だ。正装するとこんなに変わるものなのね。
「これ? パーティグッズの血糊だけど」
サイトーサンはそう言いながらにこにことする。ガチの血にしかどうやっても見えないんだけど……。彼は本当にもうケロッとしている。『転移者特典』かぁ……この世界にあちらからやって来る人々は神の寵愛でも受けているんだろうか。
「ふへぇ、趣味が悪いわねぇ。あれ?」
ミルカ王女がこちらに目を向け、エイデンに視線をやった。
そして向日葵が咲くように可愛らしい笑みを浮かべる……しかしその瞳はあくまで狡猾で抜け目ない輝きを湛えている。
「ふふ、エイデン様じゃない……久しぶり、でもないか。日が高いうちのお会いしたものね」
「やぁ、ミルカ王女」
「ねぇ……うちのサイトーサンになんかした?」
ミルカ王女の口調が急にぞんざいなものとなり、語気が強まる。
「――していないよ、そんな証拠はどこにもないと思うけど?」
エイデンは穏やかで優し気な微笑みを浮かべて、困ったねと言わんばかりに眉を下げた。
彼の言葉にハッと周囲を見回すと……サイトーサンが口にしたシャンパンのグラスは、どこかへと消え失せていた。
「誰も彼も。僕がなにかを企んでいるみたいに……失礼な話だね、シュミナ」
「……企んで、いないというの? 私は確かに目の前で見たのに」
「やだな、君までそんなことを言うの?」
抱きしめられ、愛おしげに頬ずりをされ、心底傷ついたとばかりに悲しそうに言われて。この態度に騙されるくらいに単純であればどれだけ幸せなのだろうと、ため息が漏れた。いや……以前の私だったら騙されていたかも。
「僕たちまだ踊っていないんだ、失礼するね」
そう言ってエイデンが優しく私の腰を抱えダンスの輪へと向かおうとする。
「シュミナちゃん、またね!」
背中にサイトーサンからの元気な声がかけられて。私は少しだけ振り返って小さく手を振った。
……ヴィゴも、サイトーサンも。私にはもったいないくらいの、いい友人たちだ。
これからをどう過ごすのが正解か、なんてことはまだわからない。
乙女ゲームのように『パラメーター』を上げながら過ごしても、なんの解決にならない可能性だってある。
私がエイデンに監禁されるか、命を絶つか……誰にも迷惑をかけない解決策はもうそれらしかないのかもしれない。
震える手を私はぎゅっと胸の前で握った。
今まで出せていなかった、サイトーサンの転移者チートの一部が作者的にはようやくの蔵出しとなりました。
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