シュミナ・パピヨンの後夜祭・中(シュミナ視点)
後夜祭の会場は沢山の生徒や教職員などで満たされていた。無礼講ということもあり、彼らの表情は一様に明るい。その中をエイデンに手を取られながら進む。
……悪い意味での、注目を浴びながら。
『エイデン様と一緒にいるなんて、なんて身の程知らずな女なの』
『先日言い含めましたのに。また言わないとわからないようね』
『男爵家の娘の分際で。本当になにを考えているのよ』
令嬢たちの聞えよがしな囁きが耳を打つ。うるさいな、こっちだって好きで一緒にいるわけじゃないのに。エイデンにだってその囁きは聞こえているはずだ。けれどそんなものはまるで存在しないかのように……彼はにこやかに私に微笑みかけた。
エイデンが私を庇うはずがない。彼は苦悩する私を……楽しんでいるんだから。
『カーウェル公爵家のご子息とつり合うと思っているの?』
また誰かが通りすがりに囁く。
(つり合わないなんて、わかってるわよ)
ゲームのエイデンルートは二人が幸せな『恋人同士』になったところで終わっている。もしかするとゲーム中の『シュミナ』ですら正式な妻にはなれなかったのかもしれない。
エイデンの『家』のことはこの世界が乙女ゲームではないと認識した後からは、重く私に圧し掛かっている。架空の世界の権力者、と現実の世界の権力者では重みがまったく違うのだ。
たびたび家に遊びに来ていた可愛い男の子が『カーウェル公爵家のご子息』と知った時の、両親の動揺ぶりはそれは酷かった。エイデンは恐らく意図的に父母に身分を告げることをしていなかったのだろう。
『シュミナ、彼にだけは失礼なことをしてはいけないよ』
『……ああ。なにかあったら、我が家はもうお終いね……』
動揺し激しく震える声と体でそう言う父母を見ながら、私も絶望感に打ちひしがれた。
……ゲームの知識として彼が『公爵家』のご子息で、『バッドエンド持ち』で、『ヤンヘラ』であることは知っていたのに。この世界は現実なんだから意識したらちゃんと彼を避けられたはずなのに。
――全ての後悔はもう遅い。
「シュミナ、なにか食べたい物はある? 毒の心配はいらないよ。カーウェル公爵家の密偵たちをちゃんと忍ばせているから、そんな輩がいたら毒が入る前に始末できるからね」
「……大丈夫よ、エイデン。お気遣いありがとう」
冷たく彼に言いながらテーブルの上からノンアルコールのシャンパンを手に取り口に含む。この世界の成人は十六歳でお酒の解禁もその年齢だ。だからテーブルにはノンアルコールのものしか置かれていなかった。教職員用のテーブルには、きっとアルコールがあるんだろうな。
……なんだか自棄な気分なので、飲んだことがないアルコールでも煽りたかったのだけれど。
喉を柔らかな炭酸の刺激と潤すような水分が転がり落ちる。私はそれを一気に飲み干した。乾いた喉が水分に歓喜する。今日は水もほとんど飲んでいなかったな、なんてことに思い至り私はもう一杯と新しいグラスを手に取った。
「シュミナ……」
背後からエイデンが腰に両手を回しながら抱きついてくる。蛇のような男なのに体温はあるらしく、彼の体と接している部分が仄かに温かい。
「シュミナ、僕のことが……嫌いになったの?」
すがるような声を耳に吹き込まれる。その響きに少しだけ同情心が煽られるけれど、私はぐっと堪えながらエイデンに視線を向けた。
「貴方のことは嫌いじゃない。だけど私は変わりたいの。それを貴方が許せないのなら……私を解放して」
「……嫌だ」
……それは、どちらへの『嫌』なんだろう。それともどちらともへのなのか。
強くなるエイデンの腕の力に戸惑いつつ私はまたシャンパンを口にした。
「変わらないで、そして僕の側にいて」
ああ、やっぱり両方なのね。
これが平行線というヤツだろうか……。ゲーム中のヒロインはパラメーターを上げることでエイデンの束縛から解放されたけれど、現実世界で本当にそれは可能なんだろうか。
焦燥感のみが募っていく。ああ、どうすれば。
「あれ……シュミナちゃん!」
――ダメ、私に声をかけないで。
エイデンの腰に回す手の力がひと際強くなる。かけられた声に聞こえないフリをしたけれど、かろやかな足音は確実にこちらへと近づいて来ていた。逃げて欲しいという気持ちと、嬉しい気持ちと……その間で心が揺れてしまう。
「聞こえないフリしないの。友達の声も忘れちゃったの?」
その声に顔を上げると……予想通りサイトーサンが、目の前に立っていた。『友達』と彼に直接言われたのは、これが初めてかもしれない。思わずぐっとせり上がりそうになる涙を私は必死に堪えた。
今日の彼はタキシードを着ていて、長い髪は結ばず後ろに垂らしている。灯りの中で繊細な質感の黒髪がキラキラと靡きながら光って……とても綺麗だと思った。
彼は綺麗な指で細い眼鏡のフレームのブリッジを押し上げ、にこりと微笑んだ。
「……サイトーサン……」
「ふふ、ちゃんと覚えてたね。いい子」
彼は楽しそうに笑う。それはとても安心できる笑顔で、思わず彼の方に歩みを進めようとすると後ろから強い力で腰を引かれた。
「サイトーサン伯爵、だっけ」
「……初めまして、だね。エイデン・カーウェル様?」
サイトーサンは優美に一礼してみせる。それに対してエイデンは私の腰を抱きこんだまま、じっと彼を凝視していた。
「『僕の』シュミナに、なにか御用?」
「『僕の』お友達が見えたからね。お喋りに来たんだ。エイデン様も一緒に、お話しようよ」
「……遠慮しておきたいなぁ。好きな人と仲がいい男友達なんて、妬けるから」
「心が狭いと嫌われちゃうよ、エイデン様」
会話は一見和やかだけれど……空気は完全にピリピリしている。サイトーサンの態度からはある程度事情を知っているような様子が窺えた。ビアンカ辺りから、なにかを聞いたのだろうか。
エイデンはテーブルからシャンパングラスを二つ取る。……そして、サイトーサンに一つそれを差し出した。
「そうだね、じゃあ乾杯しようか。仲良くしようサイトーサン伯爵」
エイデンは優美に微笑む。差し出されたグラスを綺麗な仕草で受け取り、サイトーサンも艶やかに微笑んだ。
――ダメだ。飲んじゃいけない。
そんな悪い予感……いや、確信が体を貫く。
『カーウェル公爵家の密偵たちをちゃんと忍ばせているから、そんな輩がいたら毒が入る前に始末できるからね』
エイデンは先ほどそう言った。それは逆に言うと……いつでも彼が毒を入れられるということ。
「サイトーサン、だ……」
制止しようとする私の口をエイデンが優しく唇で塞ぐ。
視界の隅でサイトーサンが……シャンパンのグラスを煽るのが、目に入った。
シュミナがまるでヒロインのようですね\( 'ω')/
あと1回シュミナの回が続いて、サイトーサンの視点に移る予定です。