令嬢13歳・恋人たちの騎士祭・中
「セルバンデス卿」
「はい、なんでしょう。ビアンカ嬢」
名前を呼ぶとマクシミリアンが綺麗な黒髪をさらりと揺らしながらこちらに黒曜石のような瞳を向ける。その怜悧なかんばせに浮かぶ穏やかな微笑がとても素敵で、わたくしは思わずへらりと笑ってしまう。
ああ、すごいわ。皆様の前でも、御用がなくても貴方の名前を呼んでいいのね。
「なんでもありませんわ。お名前をお呼びしたかっただけなの」
「いけない子ですね、ビアンカ嬢」
そう言いながらマクシミリアンはもう一度手の甲に口づけると、優雅な仕草で立ち上がりわたくしの横へと腰を下ろした。
公の場で彼と同じ場所にいられる……それはとても新鮮で、ふわふわした幸せな気持ちになってしまう。マクシミリアンと堂々と並んでいいんだ。
「……ビアンカ嬢。どうしたのです? 先ほどから可愛らしい笑みを浮かべて」
彼に悪戯っぽく言われこっそり手を繋がれて。わたくしはさらにだらしなく笑み崩れてしまいそうになり慌てて表情を引き締めた。このまま気を緩めっ放しにしてはいけない、ここは公共の場なのだもの。
侯爵の地位はマクシミリアンが自らの危険と引き換えに手に入れてくれたものなのだし。わたくし、もっと気を引き締めないと。……でも自然と頬が弛んでしまうわね。
繋がれた手をぎゅっと握ると彼に長い睫毛を伏せた流し目を向けられて、心臓が激しく跳ねた。……相変わらず好みど真ん中のお顔すぎるのよ。
「――ビアンカ。貴女はフィリップ王子の婚約者候補でしょう。他の男性に現を抜かしていいと思っているの? しかも王子の御前よ。恥を知りなさい」
――わたくしたちの様子を観察していたらしいベルリナ様の鋭い言葉が。わたくしの浮かれた心にぴしゃりと冷水を浴びせ、冷え固まらせた。
「……申し訳ありません、ベルリナ様」
彼女の言う事は、正論だ。だけど……。
(だけど……わたくしは。なりたくて婚約者候補になったわけじゃ)
そんな貴族としては大失格なことを考えてしまう。王子の婚約者候補になりたい令嬢は掃いて捨てるほどに存在し、その中から選ばれ求愛されていることは本来なら光栄の極みなのだ。
唇を噛みしめ下を向くと、繋いだ手が強く握りしめられた。思わずマクシミリアンの方を見ると……彼はベルリナ様を厳しい目で射抜いていた。
「――ベルリナ様。ビアンカ嬢はあくまで婚約者『候補』の一人です。候補の時点ならば他の男性と婚約しようと、本来ならばそれはビアンカ嬢に許された権利の範疇です。同じ王子の婚約者候補であるベルリナ様ご自身がよくご存じでしょうに。貴女は何の権利があって彼女を糾弾するのですか」
マクシミリアンはその美麗な顔に厳しい表情を浮かべ、ベルリナ様に刃のような言葉を浴びせた。
そして『本来ならば』の部分でフィリップ王子に鋭い視線を走らせることも忘れていない。
彼の言う内容は、合っている。
婚約者候補の立場を理由もなくこちらから解消することは、基本的には難しい。場合によっては不可能だ。
けれど選定を待っている間に令嬢たちが婚期を逃しまってはまずいので、他の男性と婚約関係になり婚約者候補の立場を解消することは公に認められている。
……だけどわたくしは王家……王子からの勅命で、卒業までは婚約者を作ることができない。ベルリナ様は、これを知らないけれど。
でもマクシミリアン、そこまでベルリナ様に厳しく言わなくても……!!
マクシミリアンの鬼気迫る様子にベルリナ様は恐怖で顔を引き攣らせた。
「セルバンデス卿。婚約者候補は婚約者に準ずるものとしての立ち居振る舞いをせねばならないのですよ」
だけど彼女は恐ろしさで大きな瞳をうるっと潤ませながらも、強気に言葉を重ねる。
「……私はビアンカ嬢を愛しておりますので。彼女を手に入れるための求愛行動は仕方ないことだと見逃してくださいませ、ベルリナ様」
そう言ってマクシミリアンはわたくしの手を恋人繋ぎに絡め直して手の甲にまたキスをする。そして繋いだ手をベルリナ様とフィリップ王子に見せつけるように少し掲げて、優美な微笑みを浮かべた。
「セルバンデス卿……!」
「ひゃ……! 推しカプが大変尊いですわ……!」
わたくしが恥ずかしさで声を上げるのと、感極まったようにゾフィー様が声を上げるのは同時だった。
ゾフィー様。マリア様もだけど推しカプって貴女たち……!!
「……求愛者はマクシミリアンだけではない。俺を忘れるな、ビアンカ」
フィリップ王子が拗ねたような声を出しながら、わたくしのもう片方の手を握りにじり寄ってくる。そして頬に優しく唇を落とした。
豪奢な美貌で微笑まれ、乞うような視線を向けられて非常に居心地が悪い。
そこでわたくしはハッと気づく。これじゃ美形二人を弄んでいる、悪女のような構図になっている気が!
冷や汗がだらりと滲んで湧き、背中をひやりと伝った。
乙女ゲームそのものな状況のはずなのに胃がキリキリとしっ放しだ。このままではストレスでお腹を壊してしまいそう……。ノエル様の試合中ずっとお手洗いにいる羽目になったら嫌だわ……!
というかフィリップ王子、さりげなく頬にキスしたわね!? 本当に止めてくださいませ!
「フィリップ王子は、それでよろしいのですか!? ビアンカは、貴方を馬鹿にしているわ!!」
ベルリナ様は、泣きそうな顔をする。
……こんな状況、自分の好きな人が弄ばれていると感じても仕方ないものね。
わたくしにとっては色々あっての不可抗力なのだけど……。
「よろしいもなにも。俺がビアンカに恋をして、一方的に迫っているだけの話だしな。……このまま一方通行の想いで済ませる気はないが」
そう言ってフィリップ王子は獅子のように威風堂々たる金色の瞳をわたくしに向けた。胃がまたきゅっと収縮する。
ベルリナ様はフィリップ王子の言葉に愕然とし、スカートを小さな手が白くなるほどの強い力でぎゅっと握りしめた。
数メートル離れたところにいるギャラリーたちはこの光景に興味津々だ。
わたくしが八つ当たり気味に睨むと、ギャラリーたちはさっと視線を泳がせた。ああ……明日にならないうちに妙な噂が飛び交っていそうね。
そしてベルリナ様と仲良くなりたかったのに……これじゃ、無理かも……。
気遣うようなミルカ王女に背中を撫でられながら、思わず肩を落としてしまう。
――ワァッ……!!
会場から大きな歓声が上がる。騎士祭に参加する生徒たちが入場してきたのだ。
その歓声にこちらに興味津々だったギャラリーも一気に視線を向ける。
ひとまずはほっとした気持ちで、わたくしも会場へと視線を向けた。
争う男たちと、胃が痛いお嬢様。
ベルリナ様は色々とパニックになっております。