令嬢13歳・シュミナ嬢とエイデン様の部下
シュミナ嬢は緊張を含んだ視線でミルカ王女を伺うように見つつ、教科書に視線を戻した。
しかしなかなか勉強が進まないようで、同じ問題をぐるぐると書いたり消したりしている。
……緊張してるなぁ。まぁ、そうよね……。昔、揉めた人物と同じテーブルなのだ。
「……どこか分からないところとか、ある?」
わたくしがそう訊くと渡りに船を得たいう明るい表情で、シュミナ嬢は顔を上げた。
「えっと……ここがね!」
シュミナ嬢は可愛らしくはにかみながら問題を指差して、分からない点を説明する。
それに対して丁寧に説明しながら解いてみせると、彼女はふむふむと頷きながら解き方をメモに書き留めた。
理解がどれくらい出来たかを試す為に、類似問題を数問作ろうとシュミナ嬢のノートを借りて鉛筆を走らせていると、ミルカ王女が興味深そうな目でそれを見つめる。
「……ヴィゴって頭いいよね。たまに抜けてるけど」
ミルカ王女が無邪気に笑って言った。
……たまに抜けてる、は余計なんですけど! でも否定出来ない……!
まぁ素直に、褒めてくれていると思おう。
「ヴィゴとミルカ王女はどういうご関係なんですか?」
シュミナ嬢がピンクの髪をふわり、と揺らしながら問う。その綺麗な瞳はどこか不安そうだった。
『仲がいいお友達だよ』、と答えようと口を開こうとした時……。
「ただならぬ関係なの!!」
ミルカ王女がわたくしの腕に腕を絡め、上目遣いにこちらを見上げながら先に答えた。
シュミナ嬢はミルカ王女のその答えに零れ落ちそうなくらいに目を開く。
ミ……ミルカ王女何を……!!!
「ミルカ様、お戯れは止して下さい」
「ええー」
腕に張り付いたミルカ王女を引き剥がそうとすると、彼女は不満げにぷくりと頬を膨らませながらこちらをあくまで冗談っぽく睨みつける。
うん、可愛い、可愛いですね。そしてなんだかとても楽しんでらっしゃいますね?
腕にしがみついたミルカ王女からは柑橘系のとても良い香りがする。夏の太陽のようなミルカ王女によく似合う香りだ。
「……ミルカ様、いい香りがしますね」
「えへへ。分かる? 新しい香水なんだ~」
思わず香りの感想が口をついてしまう。するとミルカ王女は嬉しそうに笑った。
「……シュミナ嬢に問題を作っている最中なので離れて下さいね?」
「はぁい」
渋々というようにミルカ王女が腕から離れる。
ミルカ王女は男姿のわたくしの事をいたくお気に入りらしい。
コスプレ男装喫茶の店員さんにテンションが上がる女子、みたいなものなのだろうけど。
わたくしは問題の続きを作ろうとノートに向き直った。
……その時。
「……シュミナ嬢。エイデン様に他の殿方と親しくするなと、言われているだろう? そこの男、すぐに立ち去れ」
ひやり、とする冷たい声が背後からかけられた。
「……リュオンさん……」
シュミナ嬢はわたくしの背後に居るのであろう声の主を見て、怯えた表情で声を漏らす。
わたくしも振り返り声の主を見ると……短く刈り込んだ黒髪、つり上がった三白眼、浅黒く日焼けした肌。強面でかなり体格のいい生徒が立っていた。
彼の話す内容から想像するに、エイデン様の部下かなにかだろう。
エイデン様には気を付けていたけど、こちらはノーマークだったわね。
「貴方。急に立ち去れなんて失礼じゃなくて?」
ミルカ王女はおっとりとした口調で、しかし有無を言わせぬ調子でそう言った。
するとリュオンとシュミナ嬢に呼ばれた生徒はあからさまな様子で不快そうに顔を歪めると舌打ちをする。
……見るからに体育会系だなーとは思ったけれど……腹芸が一切出来なさそうな人だなぁ……。
「パラディスコ王国のミルカ王女か……。貴女には関わりなき事だ」
「……嫌ね。お友達の事は私にも関係がある事よ?」
ミルカ王女の目がすっと細まり、彼を射抜く。
その眼力に、リュオンは一瞬たじろいだ。
「えーっと。私はシュミナ嬢との交流を断つ気は無いのだけど。リュオン、だっけ。君が帰ったら?」
「ヴィゴ……!」
わたくしの言葉を聞いて、シュミナ嬢は泣きそうな顔で首を横に振った……こちらが、心配なのだろう。安心させたくてその頭をぽふぽふと撫でてあげる。
このリュオンとかいう男はどこの家の方だったかしら……。
頭の中で貴族名鑑を捲り思い出そうとするけれどなかなか記憶が引き出せない。
……という事は家格はあまり高くはないはずだ。
この体格と態度から騎士の家系なのかしら? なんて思うけど。
「……力ずくじゃないと分からないのか?」
リュオンは唸るように、低い声でこちらに凄んだ。
……エイデン様はえらく脳筋な部下を飼ってるんだなぁ。
『犬』がいるし、ミーニャ王子から貰ったネックレスもあるし、危害を加えられる恐れは無いのだけれど強面の男性に凄まれるとやはりそれなりには恐ろしい。
だけどここまで居丈高な態度を取られると、正直とても腹が立った。
「あのさ。私に手を出して面倒事になるのは君だよ? エイデン様は偉いのかもしれないけど、君は別に偉くないんだろ?」
だから思わず相手を煽るような口調になってしまう。
それに実際格下の家の者がシュラット侯爵家の者を殴りました、なんて事になれば大問題だ。
ベルーティカ王女の事があってただでも敏感になっている父様が荒れ狂うに違いない。
「なんだと貴様っ……!!」
激高したリュオンが殴りかかろうと拳を振り上げる。
ミルカ王女が身構え、わたくしはミーニャ王子から頂いたネックレスをぎゅっと手に握った。
「リュオン。何してるの?ダメでしょ、騎士を志す者が人に暴力を振るっては」
涼やかな聞き覚えのある声がしたかと思うと、リュオンは振り上げた拳を軽く後ろ手に捻り上げられ低い声で呻いた。
その苦しむ巨躯の背後から見慣れた顔がひょこりと出てくる。
爽やかに微笑むその顔は、ノエル様だった。