彼女の心を取り戻す・前(マクシミリアン視点)
私は闇魔法でお嬢様の意識を奪い、ぐったりと力が抜けたその体を受け止めた。
温かい体、柔らかな感触はいつもと変わらずここにあるのに……お嬢様の私を愛する心は、今ここに存在しない。
その事実があまりに重く、苦しくて、私の脆弱な心は引き裂かれそうになる。
ミーニャ王子とお嬢様が結婚をしたら……『番』ではないお嬢様はミーニャ王子に愛されず、それでも植え付けられた偽物の愛に従順に彼を愛し続けるのだろう。
そんな不幸なお嬢様は……見たくない。
いや……それは欺瞞か。私は、自分以外を愛するお嬢様を見たくないんだ。
「ミーニャ王子。仮に、です。ここからライラック国に即日で使いを出す方法があったとして……解毒薬を渡して貰う事は出来ますか?」
ライラックまで『犬』に取りに行かせればいい。そう思ったのだ。
ミーニャ王子からの手紙を持参させて『犬』を飛ばせばいいだろう。
……『犬』の事がバレてしまうのは面倒だが、お嬢様のお心には代えられない。
「……無理だろうな。『王家の蜜』とその解毒剤は悪用を避ける為に王家の者から対面での依頼があった場合にのみ作られ、一定期間で破棄される。依頼が出来たとしても解毒剤の製作には2日を要する。だから本来なら『王家の蜜』と解毒剤はセットで製作を依頼しどちらも持ち歩くものなんだがな……」
そう言ってミーニャ王子は妹姫を睨んだ。
『だって……解毒剤なんて必要ないと思ってたから……』と言いながらベルーティカ王女は涙目になる。
死ぬ程責めてやりたいが、その時間が無いのが口惜しい。
「……ジョアンナ。お前も聞いていただろう?」
「もちろん聞いてたし途中から見てもいたわよ、マックス。えらい事になったわねぇ」
ジョアンナが扉の隙間から部屋に入って来る。
いつも通りに飄々としているように見えるが、その態度にはどこか焦りが見える。
「ストラタス商会のコネクションで、解毒剤を手に入れられないか?」
「……手に入れるのは無理ね。王家の秘密のお薬だもの。だけどそこのお姫様がお薬を分けて下さったら、成分を検査して似た成分の解毒剤を探したり、作ったりする事は可能かもしれないわ」
ジョアンナは言いながらベルーティカ王女を鋭い視線で睨みつけた……商人らしく長い物には巻かれろな彼女がこんな態度なのは珍しい。
他国の王族に無礼な態度である事は甚だしいのだが、ジョアンナはそれだけ怒っているのだろう。
自分の主人の心が、無遠慮に踏み荒らされ、書き換えられる原因を作った兄妹に。
「ミーニャ王子も『番』以外と結婚するのは嫌ですよねぇ? ストラタス商会の矜持にかけて判明したレシピの販売も流出も悪用もさせませんから。とっととお薬をくれませんかね?」
「……分かった。ベルーティカ、薬の残りを渡せ」
ジョアンナの強い語気に押されて、黒い猫耳をぺたんと下げてミーニャ王子が頷く。
ベルーティカ王女は鞄の中から慌ててピンク色の液体が入った小瓶を取り出してジョアンナに渡した。
「王子、ちなみにリミットは明日の何時くらいで?」
「そうだな……明日の夕刻辺り、になると思う」
「用心して明日昼には片を付けたいですね。ヒナキ、出て来なさい」
ジョアンナが呼びかけると、彼女の影から一人の女が這い出した。
男のように短く切った黒髪、光が当たると少し茶色がかって見える黒目。アイボリー色の肌の15歳くらいの少女だ。前で合わせて腰の辺りで紐を結んで固定する変わった形の衣服を着ている。東方の大陸の者だろうか……。
「ジョアンナ様。お呼びですか」
「ヒナキ、商会の薬学部門にこの薬の成分を調べ解毒剤を探すか作るかするようにと連絡しなさい。足りないものがあったら私の権限を全て使って調達して。期限は明日昼。最大限の成功報酬を払うと伝えておいてね」
「ジョアンナ様のお心のままに……」
薬を受け取ると、女は音も無く影に沈んで行く。
……ジョアンナは、妙な手駒を持っているんだな。感心している場合ではないのだが。
「この薬って要は精神作用系よね? マックス……さっき、闇魔法を使ってたわね?」
「目敏いな……。闇魔法を使って何か出来るのか?」
「闇魔法は精神に作用する魔法を使えるのよね? お嬢様の精神に働きかけて植え付けられた偽の感情を追い払い、元の感情を呼び覚ますように呼びかけ続られるかしら? 急に用意するものだし解毒薬の効きが悪い事も考えられるから……薬が効きやすくなる土壌を作って欲しいの」
「……分かった。ひとまずお嬢様を寮へ連れて帰ろう」
私はお嬢様のか細い体を抱き上げた。
眠っているお嬢様は……普段通りの彼女にしか見えない。
その愛らしい寝顔を見ていると、胸が締め付けられる。
「お嬢様、必ず……元に戻しますので」
私はそう誓い、お嬢様の頬に唇を落とした。
「えっと……」
セラさんが困ったような声を上げる。……すっかり彼の存在を忘れていたな。
予定通りであればこの人が惚れ薬の被害者だったのだ。
なんとも面倒な女に目を付けられた可哀想な人だ……。
ジョアンナが彼の方に歩み寄り、その肩を優しく叩いた。
「セラさん、お騒がせしました。後日改めてお詫びに来ますから」
「いえ、ジョアンナ様。俺の問題にお嬢様が巻き込まれてしまって……。こちらこそお詫びのしようもないです」
ジョアンナがセラさんにぺこり、と頭を下げると彼も恐縮したように頭を下げた。
「セラ……」
ベルーティカ王女が怖々とセラさんに近づいて行く。
セラさんは怯えたように一歩下がると、彼女から目を逸らした。
私とジョアンナはその光景を横目に見ながら、馬車に飛び乗った。