令嬢13歳・ゾフィー様の災難・後
「あ……皆様戻りましたのね? 課外探索の授業はいかがでしたの?」
ゾフィー様は教室に入ってきたわたくし達に気づくと真っ赤な目のまま気丈に微笑んだ。
……シュミナ・パピヨン、貴女ゾフィー様に何をしたの……? 沸々と怒りが湧きあがる。腹が立って仕方がない。
教室を見渡すとシュミナ嬢は、わたくし達の様子を観察しながらにやにやと嫌な笑いを浮かべていた。
「ゾフィー、どうしたの? 大丈夫!?」
ノエル様が慌てた様子でゾフィー様に近寄るけれど……ゾフィー様は目の端に涙を溜めてノエル様が伸ばした手から身じろぎをして遠ざかろうとした。
「ゾフィー……?」
伸ばした手が届かず呆然としたノエル様を見て、ゾフィー様は罪悪感からか、その可愛らしい顔を苦しそうに歪めた。
「ごめんなさい、ノエル様。私……貴方のご迷惑も考えずに……身の程知らずにつきまとってしまって……」
紫色の瞳からポロリポロリと、綺麗な涙が零れる。それは少しそばかすの浮いた彼女の白い頬を伝って落ちて、雨のように机を濡らす。
嗚咽を上げて肩を震わせる彼女は、いつもの元気な姿が見る影もなく見ているだけで心を引き裂かれそうになる。
わたくしは前世の記憶があり精神年齢が皆よりも高い。そしてシュミナ嬢の行動の理不尽さ、謂れのなさも理解しているから何を言われても平気……とまではいかなくてもある程度の耐性がある。
だけどゾフィー様は……13歳のか弱き乙女なのだ。言われた言葉にそのまま傷つき、自分が悪いと萎縮してしまっても仕方がない。
シュミナ嬢の発言の正当性の無さをゾフィー様に説いたとしても、一度開いた心の傷は血を流したままなかなか閉じないだろう。
――本当に、なんて事をしたの。
「ゾフィー、誰に何を言われたの……!?」
「……いいえ、自分でそう思っただけですの……」
ノエル様が言い募るけれど彼女はふるふると頭を振って、席を立つと教室から走り去った。
「待って! ゾフィー!!」
ノエル様も一瞬遅れてその後ろ姿を追う。わたくしも追いかけようかと迷ったけれど……ゾフィー様の事は、ノエル様に任せた方がいいだろう。
「ゾフィーさん、どうしたのかしら……?」
マリア様は心配そうにゾフィー様とノエル様が出て行った教室のドアを眺めていた。
だけどマリア様もノエル様に任せると決めたのか、唇をきゅっと噛んで感情を堪えるような顔をしただけで二人を追う事はしなかった。
――問題はシュミナ・パピヨンだ。
わたくしは『犬』を通したマクシミリアンからの情報でゾフィー様を傷つけたのがシュミナ嬢だと分かっているけれど……。
ゾフィー様が口を開かない限り、現状では証拠がないのだ。
シュミナ嬢を睨みつけると、彼女は楽しそうに口角を引き上げながら取り巻き達を連れてこちらへ近づいてきた。
「どうしたんですかぁ? ビアンカ様。ただでも怖いお顔が今日はもっと怖いですよ?」
シュミナ嬢は楽しそうに、無邪気といった様子で言うと両頬に手を添えて笑う。
ノエル様もマクシミリアンもいないから、今日はとても強気ね? 小物臭がとてもすごいわ。
「貴女が、ゾフィー様に何かしたの?」
わたくしがそう問うとシュミナ嬢は軽く声を立てて笑った。
「そんな事、するわけないじゃないですかぁ。やっぱりビアンカ様は酷い人です。あらぬ疑いを人にかけるなんて……」
シュミナ嬢がうるり、と目を潤ませながら言う。すると取り巻き達が『シュミナ嬢に罪を着せるなんて』『シュミナ嬢がゾフィー嬢に何かした証拠なんてないだろう』と口々に同調する。
マクシミリアンはシュミナ嬢が取り巻きを連れずにゾフィー様に接触したと言っていた。
口汚くゾフィー様を罵るところを取り巻き達に見せないために、シュミナ嬢は一人でゾフィー様と話をしたのだろう……本当に卑劣な子ね。
「……お黙りなさい。このビアンカ・シュラットと対等な口を利ける立場だと、お前達は思っているの?」
わたくしが低く唸るような声でそう口にすると、シュミナ嬢と取り巻き達の動きが止まり、一斉にその口を閉ざした。
クラスメイト達も息を飲んでこちらを伺っている。
父様、ごめんなさい。ビアンカは貴方の権威を振りかざす悪い娘です。
だけど自分の事ならともかく……友人が傷つけられる事は、どうしても許せなかった。
「ゾフィー様に、何を言ったのか……教えなさい、シュミナ・パピヨン。さもないとわたくしに対する今までの行いを父様に報告し何らかの処罰を下すわ。良くて退学、悪くてお家の取り潰し、ってところかしら? 取り巻きの皆様も、もちろん同罪ですわよ? わたくし暴力まで振るわれましたものね? 父様はさぞお怒りになるでしょうね」
わたくしがそう言うと、取り巻き達は先程わたくしを罵った口でプライドの欠片も見せずに我先にと謝罪の言葉を次々と口にし出した。そしてシュミナ嬢に本当の事を言うようにと促し始める。
『そんなつもりはなかった』『俺は何も……』なんて往生際の悪い言葉をそれぞれが口にし、先程の威勢はなんだったのかと笑いたくなる。
あらあら、シュミナ嬢の騎士気取り達の意気地なんてそんなものだったのね。
「た……退学!? そんな、私二ヶ月停学したばかりなのよ!? そんなの酷いわビアンカ様! ましてや取り潰しだなんて……横暴もいいところよ!!」
「横暴……? それは貴女でしょう? 男爵家の娘の分際でわたくしに今まで散々無礼を働いて、その上わたくしの大事なお友達に手を出した……それ以上の横暴がある? わたくしこれまで寛容な心で貴女の事を放置していただけなのよ? 本当の事を言いなさい、シュミナ・パピヨン」
「――っ……」
シュミナ嬢は恨めし気な視線をこちらに送ると、桜色の唇を薄く開いた。
「……ゾフィー様に、貴女はノエル様に相応しくないと……言いました。それだけです」
不機嫌な顔で予想通りの言葉を彼女は呟いた。本当はもっと、口汚い言葉で罵ったのだろう。
「……今回は、見逃すわ。だけど次があれば……貴女達をただではおかない。覚えておきなさい。それとゾフィー様にはきちんと誠心誠意謝罪をしなさい。貴女からの謝罪なんて薄汚いもの、ゾフィー様は受け取りたくもないかもしれないけれどね?」
わたくしがそう言うとシュミナ嬢は人を殺せそうな視線でわたくしを射抜き、その身を翻して教室を出て行った。取り巻き達もそれに続いて教室を去って行く。
その姿を見送った後、体から一気に力が抜けた。口から自然に溜め息が漏れる。わたくしはへたり、と椅子に座り込んだ。
――なんだか酷く、疲れてしまった。
だけどこれで……これから先ゾフィー様が被害に遭う事はないと思いたい。
「ビアンカ様。ゾフィーさんのために……ありがとうございます」
マリア様が泣きそうな顔でわたくしの頭を撫でてくれて、わたくしも泣きそうな顔でへにゃりと笑った。