お嬢様の変化・後(マクシミリアン視点)
こじれる男心。
翌日、お嬢様の様子を見に部屋を訪ねると。
お嬢様は起き上がりベッドの端に腰かけていた。
寝ているものだとすっかり思い込み無断で扉を開けた私は驚き、動揺した。
ノックも出来ないのかと鬼の首を取ったように邪悪な笑顔を顔に張り付けて罵倒するお嬢様の姿が容易に想像出来た。
「お嬢様…意識が戻ったのですね」
思わず上擦ったような声が出てしまう。不覚だ。
きっと顔にも動揺が出ていただろう。
お嬢様に弱みを見せる事はしたくないのに。
お嬢様は無言で、こちらを見つめている。罵倒の内容でも考えているのだろうか。
さて、今から何を言われるか…。
『ノックも出来ないなんて躾の出来ていない犬ね!鞭でぶたないと分からないのかしら?使用人皆の前でぶってあげますわ』
『昨日は駄犬がちゃんと引き留めなかったから泉に落ちたのですわ!
父様に言いつけてやるから!』
お嬢様が言いそうな言葉が頭に浮かび頭痛を覚え、そっと頭を押さえた。
こんなやつ一生寝ていればいいのに。
「――……」
お嬢様の口から聞き取れないくらいの小さな声が漏れる。
それを聞き取れず怪訝そうな顔で彼女を見つめていたら。
彼女がまた倒れた。
今度は大量の鼻血を噴いて、寝間着の前を真っ赤に染め上げて。
状況に混乱しながら彼女の介抱をしていると、彼女はものの数分で目を覚ました。
「わたくし…どのくらい気絶していたの?」
いつもの彼女と様子が違う、どこか弱々しい声音。
声は弱々しいのに私に向けて来る視線には、普段の癇癪を起す子供特有のギラギラした光では無く、純朴なキラキラとした輝きが宿っている。
(……なんなんだ、これは)
私の自発的な謝罪でも期待しているんだろうか。面倒な。
お嬢様の奇妙な様子を、私はそう受け取った。
真摯に謝った所でこき下ろされるのが関の山だろうが、
謝らないともっと面倒な事になるだろう。
「申し訳ありません。私がもっと注意しているべきでした」
心の篭らぬ言葉を舌に乗せると苦い味がした気がして、顔を歪めてしまう。
私の謝罪を聞いた彼女は、どこか呆けたような顔をして戸惑っている。
「うう…」
そして、その湖面の色の瞳に涙を溜めて私を見つめた。
辛い事を我慢し、心を痛めているような表情。
そんな様子の彼女を初めて見た私は酷く動揺してしまい、
思わずお嬢様の華奢な背中を撫でた。
勝手に触れた事に何か文句を言われるんじゃないかと警戒をしていたが、意外な事に彼女は私に撫でられるままで、様子を伺うと薄く頬を染めている。
(――だから、これは、なんなんだ)
今日は混乱する事ばかりだ。
「マクシミリアンが泉から引き上げてくれたの?」
彼女の口から透明な鈴の音のような、優しい声音が転がり出る。
「ありがとう、マクシミリアン」
そして彼女は、ふわりと、私に笑った。
それは彼女に出会った日に私が夢見た優しく心が蕩けるような笑顔で。
私の心の奥底で、何かが音を立てて弾けた。
心拍数がどんどん上がって行く。
――期待してはいけない。
――これはきっと、お嬢様の新手の悪戯だ。
お嬢様に振り回された日々の思い出が警鐘を鳴らす。
「お嬢様がお礼を…!?しかも笑顔で!!?熱が出たのですか!?」
取り合えずこの場は誤魔化してしまおうと口にした言葉だったが、
もしかすると本当にお嬢様は熱があるのかもしれない、と思い直した。
だったらこの変わり様にも納得が行く。
混乱したままの私は額で彼女の熱を測ろうとして……。
勢いよく彼女の額に自身の額をぶつけてしまった。
痛そうに蹲る彼女の額に思わず手を伸ばしてしまう。
「申し訳ありません。お嬢様」
形のいいお嬢様の額に私の手が触れた。
白いお嬢様の肌に、私の褐色の肌が重なっている。
彼女の肌に直接触れていると言う事実に、私は背徳的な高揚感を覚えた。
振りほどかれるまではこのまま彼女に触れていたい…そんな気持ちになってしまう。
――しかし。
私の手を彼女が振りほどく事はなく、
自分の小さな手でぎゅっと握って幸せそうな顔で猫のように頬ずりした。
「…謝って許される事じゃないけれど。わたくし今まで我儘ばかりだったわ。…ごめんなさいね」
私の手を握り込んだまま、
嘘を言っているとは思えない、澄んだ瞳でそう乞われる。
(ああ……)
これは私が夢見た、彼女そのもので。
私は彼女に、もう一度、
毒にまみれていない彼女に、
純白の恋をしていいのだろうか。
……いや、明日になれば、またいつもの彼女に戻っているのかもしれない。
期待はするな、期待はするなと警鐘が鳴る。
……しかしもう、手遅れなのかもしれない。
どちらの彼女にも、私は結局恋をしているのだから。
「いっそ平民の好きな人でも見つけて南国に駆け落ちしたいなぁ…」
私の身分は、限りなく平民に近い。
彼女の口からふと零れた呟きに、激しく心乱された。
次回はビアンカ視点に戻ります。