9. 雪
《エミリー、目を覚ましなさい》
床から体をおこしたエミリーは、寒さにふるえながら窓に近づきました。
窓のそとには雪がふっていました。そして、天使さまが翼をひろげていました。
雪は夜空にまけないほど黒く、天使さまもおなじくらいまっ黒です。ですがエミリーは、へんだとも、こわいとも思いませんでした。
天使さまのお顔には、エミリーを突きさす目も、傷つける口も、さぐり聞きする耳も、なにもなかったからです。
でも、窓にはしっかりと、お父さんとお母さんが鍵をかけています。天使さまをおむかえすることはできません。
《心配はいらない。聖母さまのお言いつけで、お前をむかえにきたのだよ》
天使さまのほそい手が窓にふれると、鍵なんてなかったかのように窓はひらきました。春のようにあたたかい風が吹いてきます。
窓のそとは、いつのまにか冬の町ではなく、むかし絵本でみたような不思議な森がひろがっているのでした。
森のまんなかに、聖母さまは待っておられました。
天使さまとおなじ、聖母さまもまっ黒です。まとっておられるマントもまっ黒、お顔をおおうベールもまっ黒、マントからのぞくお乳もまっ黒で、そのまっ黒なお乳には天使さまたちが、赤ちゃんのようにちゅうちゅう吸いついています。
まわりを舞う天使さまたちが、お人形のように抱えているものを見て、エミリーは凍りつきました。
学校の先生やお友だち、ご近所のひとたち、そしてお父さんとお母さん。
みんなエミリーのよく知っている人たちばかりです。絵本の悪者や、ハロウィンのおばけよりおそろしい人たち。
そんなおそろしい人たちが、天使さまたちにつかまって、エミリーがいつもしているように泣いてもがいていました。
天使さまたちはおかまいなしに、みんなをつかまえて、くすぐります。するとみんなの泣き顔が、ぽろり、ぽろりと、お面のように落ちてゆくではありませんか。
落ちた顔を反対にうらがえすと、顔のもとあった所に、天使さまたちは押しつけ、焼きつけてゆきます。
《おまえたちの世界は、この楽園とはちがう。仮面をかぶらずには生きてはゆけない苦しみの世界だ》
天使さまが、声ではない声で、やさしく説いてくれます。
《仮面はどんどん古びて醜くなってゆく。皆の仮面のせいで、お前が苦しめられる成りゆきを、聖母さまは正してくださるのだよ》
聖母さまは、まっ黒なお手をのばして、エミリーの頭をやさしくなでてくださいました。
お手からは、やはりまっ黒な血がしたたっています。エミリーを助けるために、みんなをここへ呼びつけるために、聖母さまは血をながしてくださったのだと思うと、エミリーの目から、やはり真っ黒な涙がこぼれるのでした。
聖母さまの血は、まるで生き物のように、エミリーの顔へとしたたり、頬をなで、涙をなめとり、全身をふうわりとくるんでくれるのでした。
クリスマスの朝があけました。
夕方までにエミリーは、白い服をきたお医者さんたちに連れられてゆき、やがて白いおへやに通されました。
学校の先生もお友だちも、ご近所のひとたちも、そしてお父さんもお母さんも、別のおへやにいるはずなのですが、一度もあわせてもらえたことはありません。
けれど、むかしとちがって、エミリーはさびしくもこわくもないのです。
眠りさえすれば、あの森のなかで、天使さまのようにやさしくなったみんなと過ごすことができるのですから。