8. サルカニ
北風が強いという以外は、何の変哲もない夜のことだった。
忘年会の余勢で何となく居酒屋に寄り、理由もなく杯を重ね、気がつけば、とっくに店を追い出され、路地に転がっていた。
目を覚ましたのは、夜風が沁みたからじゃない。硬く尖ったもので突かれたからだ。
そんな有様だったから、頭まで帽子やフード、マフラーで隠した集団に覗きこまれていると気づいたときも、乱暴に引き起こされて連れてゆかれたときも、状況の理解はおろか、把握すらできていない体たらくで。
真冬の晩の道路をどのくらい引き回されたか。気がつくと、黒くどろりと汚い、ヘドロの腐臭ただよう池の前でねじ伏せられていた。
冬の星だけが明かりだったが、見覚えはあった。町はずれの再開発で埋め立てられた巨大な池。その残りかすのような水たまりだ。クソ溜めみたいだ、と思った覚えがある。
その段になってようやく、自分を押さえつけている『手』が硬すぎること、尖った感触は大きなハサミを思わせること、言葉といえるものを口にするやつが一人もおらず、時たま、ブツブツと泡を吹くような音をあげるだけだということに、やっと異常を気づいた。
なんで俺がこんな目に遭わされるんだ。
宇宙の端の暗い星かどこかからの侵略者なのか。
池を埋め立てた人類への復讐のつもりか。
忘年会で蟹を食いすぎたからか。
お握りでも騙し取ったことがあったっけ。
そいつらが俺を引きずって、ひるみもせず臭い池に踏みこんだ時には、何となく、そいつらが蟹だと知っていた。
おとぎ話とは違う。正義も復讐も、教訓も条理もない。蟹ミソの中で練られる甲殻類の思考なんて、霊長類にわかるわけがないじゃないか。
池のまんなか、臼そっくりの岩の上に押さえつけられながら、そんなことをぼんやり思ったとき、大きな石をふりかぶる巨大なハサミが目に入った。