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プラスチック・シンジケート ~緑楠学園サイキック事件録  作者: 潮見若真
第7話 楠見林太郎の身に降りかかる、いささか厄介な問題について
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1.「親交と情報交換」という名の

「では、諸々の準備もつつがなく済みましたところで。改めて乾杯と行きましょう」


 八人掛けの座卓が真ん中に置かれた、だだっ広い個室。テーブルの中心に座る六十年配の男が、酒の注がれた高級そうな薄手の陶器の猪口を軽く掲げながら言った。

 その言葉を合図に、ほかの面々も目の前の器を取り上げる。


「ここからはひとつ、カタいことは抜きにしてざっくばらんに話そうじゃないですか」

 そう言って酒をあおり一気に飲み干した男の器に、隣のやはり五十代後半といった風の男がすかさず次の酒を注いだ。


「ええ、お互いの親交と情報交換を兼ねてね」

「ああ、そういえば荒川先生は、先日ゴルフがご趣味だと仰っていたでしょう? わたし、こないだいいコースを見つけましてね」

「ほう、どのあたりです?」

「茨城県なんですが、いや、なかなか気持ちのいいコースですよ。設備やサービスも悪くない」

「茨城ですか。あまり行かないが、たまにはいいかもしれませんね」

「ああ、和久井先生もひとつご一緒にいかがです?」

「いいですね。ぜひご紹介いただけますか?」

「じゃ、決まりだ。今度一緒にまいりましょう」


「ところで楠見先生は、ゴルフはおやりにならないんですか?」


 酒に口をつけ飲むフリをしつつ、末席でこっそりと場の空気になろうとしていた楠見は、話を振られて内心で大きなため息をつく。

 さりげなくこの座を抜け出すタイミングを図っている人間に、ご丁寧に話しかけてくる人間がいるのである。


「楠見先生だったらお若いし、筋も良さそうだ。ご一緒したら手ごわいことでしょうな」

 一同の中では比較的若い、妙に派手な柄のネクタイをした男が、刺身へと箸を伸ばしながら訊いてきた。


 私立大学の理事で運営する協議会。そのブロック会議の事前打ち合わせとして招集されてきたのではあるが、実のある会話になど、集合してから解散するまでの数時間の中のほんの数パーセントしか使われない。

 適当にそれらしいことを話し合ったのちは、「親交と情報交換」という名のゴルフのスコアと海外旅行と家族の自慢話大会だ。


「いえ、付き合いでやるから覚えておけと教えられはしましたが、なかなか――」

 義理の笑顔を作って答える。


「それはもったいない」

 先ほど乾杯の音頭を取った都心の有名総合大学の理事長が、人生における重大な損失だとでもいうように目を見開いた。

「ぜひおやりになるべきです」


「はあ、どうもあまり向いていないようで」

「いや、慣れと練習ですよ。どうです、今度一緒に。その、茨城のコースとやらに行くときはぜひ――そうですね、来月あたり」


「いいですな」隣の男が頷き、けれど首を傾げる。「ですが六月に入ると雨が心配ですな」


「ああ、梅雨が明けると暑くなりますしねえ」

「まったくまったく。良いシーズンは短いものです」

「では秋口にでもひとつ、日程を組みますか?」

「そうですなあ、秘書にスケジュールを確認してみんと分かりませんが、九月頃ですと――」


 具体的な日取りを話し合いだした面々に、楠見は内心さらに大きなため息をついた。


 本日の本題である協議会に関しては、さらりとした話し合いがなされただけで、次の会合の日取りもテーマも次回までに各々の済ませておくべき課題も決まっていない。

 後から秘書が調整し、秘書どうしで根回しし合い、適当に決まるのであろう。

 ならば本日のこの会合などほとんど意味があるものではなく、彼らの「本題」はやはり「親交と情報交換」なのだ。


(まったく……この無駄な会合時間といい、決めごとの段取りの悪さといい……毎度どうにかならないもんか? ゴルフの予定の前に、話し合うことがたくさんあるだろうが!)


 さくさく進めれば実のある会合になるはずだし、さっさと解放されてこの時間に読みかけの論文の二、三本も読み進められる。書類も仕上げられるし、延び延びになっているサテライトキャンパスの候補地の視察にだって行けた。そういえば、面談の時間を空けてほしいという要望がいくつか来ている。一人二人でも前倒しにできれば後に余裕ができるはずだ。空いた時間でハルやキョウを焼き肉にでも連れていくほうが何倍も有意義だ。

 だいいち楠見だって三十前の若者なのだ、高級料亭か会席料理か知らんがおしとやかな料理よりも焼き肉のほうがいい。焼き肉が食べたくなってきた。


 そんなことを考えて、思わず手の中の器の酒を飲み干してしまう。学校に戻って仕事をするために、セーブしようと思っていたのに。

 隣の男がすかさず注ぎながら、


「そうそう、楠見先生はそういえばたしか、城北大学の中里先生のお孫さんとお付き合いされているとかうかがいましたが」


(……来た!)


 楠見はサッと身を緊張させる。「あの話」が来るのである。


「あ、いや、その話は……」

 曖昧に言って、場つなぎにまた手にしていた酒を飲み干した楠見に、


「もしかして、その話はなくなったんですかな?」


 斜め前の席の黒ぶち眼鏡の中年の男が徳利を差し出しながら、分厚い眼鏡の奥の目を光らせる。


「そうですか、それは喜んでは失礼ですが、実はいい話があるんです」

「ほう、木下先生、どちらのご令嬢ですかな」


 聞いたのは、最初にゴルフの話を持ち出した調子の良さそうな男だ。


「古い知人でしてね、商社を経営している者がおるんですが、その姪御さんが相手を探していましてな。歳も二十五、六というから、ちょうどいいのじゃありませんか」

「ですが楠見先生のお相手としては、やはり教育業界の縁者が最適なのじゃないですかな」

 難しそうに唸りながら言うのは、業界の重鎮、荒川理事長。

「どなたかお心当たりでも?」

「二、三、ないこともありませんな。たとえば都内の中高一貫校の理事をしている友人がおるのですが――」


(限界だ――!)


 楠見はテーブルの下でポケットに手を入れて、携帯電話をまさぐる。画面には、念のためと思ってあらかじめ呼び出して置いた電話番号が表示されているはずだ。


「知人の学部長も、娘さんのお相手を探していましたな。ゆくゆくは理事になるだろう男ですから、悪くない話だと思いますが」

「あるいは先々のことを考えると、政界に繋がりを持っておくのも良いかもしれませんぞ」

「それでしたら大学の同期の代議士が――」


 当人を余所に盛り上がる一座。楠見は確認せずに発信ボタンを押すと、数秒数えてまたポケットの中で電話を切った。


「ふうむ、悪くないお話ですな。どうです、一席設けては」

「そうですな。こういうことは女が詳しい。家内とひとつ相談してみますか」

「ええ、黙って進めると、女は後からうるさいですからなあ。あ、いや、荒川先生のところのご令室は、そんなことはないでしょう」

「いやいや、家じゃあてんで頭が上がらんですよ、ハッハッハ」


 座が笑いに包まれたのに、楠見も付き合いで頬を緩める。と、荒川の隣のハゲ頭が猪口を取り上げにやりと笑った。


「楠見先生も、遊びに仕事にと自由に打ち込めるのは今だけですよ。結婚されれば――」

「なに、そういうことは最初が肝心です。最初にビシッとしておけば――」

「なんにせよ、羨ましいもんですなあ、若い人は」


 派手なネクタイ男が茶々を入れたところで、ポケットの中の携帯電話が着信音を鳴らしだす。


(助かった……!)


 内心の安堵を隠し、

「申し訳ありません。ちょっと失礼――」

 小さく頭を下げ詫びて、楠見はおもむろに携帯電話を取りだした。


 周りの男たちは、まだ結婚後にいかに自由が奪われたかについて喧々諤々と自慢しあっている。不平不満の形をとった、要はお惚気大会である。


 通話ボタンを押すと、相手の言葉も待たずに声量を上げて、


「なに! それは大変だ、分かった、すぐに行く。いや、こちらは重要な会談の最中なので――可能な限り早く行くので、その件に関してはそれまで待ってもらうように」


 深刻な表情で電話を切ると、楠見は一同に向け座りなおしてまた頭を下げた。

「申し訳ありません、ちょっと学校のほうで緊急の問題が発生したようで。すぐにまいらねば」


「まあまあ楠見先生、そんな慌ててお帰りにならなくとも、誰かが処理するでしょう」

「そうですよ、もう少し飲んで行かれては」


 徳利を取り上げた斜め前の男に、楠見はこの世の危機に立ち向かうかのような真剣な顔を向けて片手を上げた。


「いえ、皆さまと違い、理事とはいえ若輩の身ですから。何しろ自分が動きませんことには、他人がついてきません。この埋め合わせはまた後日」


 嫌味にならない程度の口調で言って控えめに笑顔を作り、楠見は立ちあがる。

 廊下に出ると、慌てて上着を持って駆け寄ってきた仲居に心付けを渡し、「中座するのでフォロー頼みます」と言い置いて料亭を後にした。

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