表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の戯れ  作者: 有月 晃
Segundo Capítulo / 第二章
8/52

2. delay(ディレイ)

2008.04.09 21:24



「あら、こんばんは、おみちゃん」


 渋い低音に奇妙な艶が絶妙にブレンドされた声がすぐそばから聞こえてきて、箸を持つオレの手が空中で静止する。オレの「孝臣タカオミ」という名前を「おみちゃん」なんて呼び方するのは、この街に一人しかいない。


 商店街の外れ、雑居ビルの階段を上がったところに、小さなバーがある。入口の金属製の扉には「delayディレイ」という店名が刻まれたソリッドな質感のプレートが打ち付けられているだけ。

 一見すると何の店だか全くわからないが、この街で数少ないバーの一つだ。店長の個性的な人柄と性癖のせいで客層に多少の偏りが見られるが、美味い酒が飲める希少な存在である。


 店を誰かに任せて抜けてきたのか、服装はいつものバーテンダースタイルのまま。年齢を感じさせない細身の身体に、夜の世界で長年磨いてきたであろう洗練された物腰、時折見せるかげのある表情。

「最近、老眼が始まったみたいで困るわ」と言って使い始めたシャープなブロウ型メタルフレームのメガネ、それにベストをキリッと着こなした姿はオレみたいな小僧では到底出せない苦味走った大人の色気を漂わせている。


 ってか、オレも最初はこのルックスに騙されてこの人のバーに通っていた一人だ。いや、いまでもただの渋いバーだと勘違いしたまま通っていただろう。黙って酒だけ出してくれていたら。


delayディレイ」の店長がカウンターの奥に声を掛ける。


「おい、彼と同じ物を俺にも」

「この時間に飯食うのか。珍しいな。太るぞ」

「相変わらず一言多いな。いいから黙って作れよ」


 この二人、小学校時代からの付き合いらしい。喋り方、一瞬で切り替わってるし。ってか、なんでオレが食べてるのと同じ物で即決なんだ。気持ち悪りぃよ。


おみちゃん、横で飲ませてもらって良いかしら?」


 そんな屈み込んで話し掛けなくていいって。顔! 顔近いって!ってか、もう座ってるし!


「イイ男がこんな店で独りで晩ご飯とか。ダメよ、黙って見てられないわ」

「いや、独りでいいです。むしろ独りがいいんです」


 思わずカウンターの中に視線を走らせると、マスターの背中が明らかに怒ってる。「こんな店」って言葉に反応してるよ、怖いって。そして、それに気付いてクスクス笑いながらも、構わず続けるバーの店長。


「あら、独りがいいとか、カッコいい…… 誰にもなびかない孤高の男って感じ? それも悪くないわね」

「おい、お客さんがメシ食ってる時にベラベラ話し掛けんな」


 ゴトンッと音を立てながら、焼きそばの大皿が乱暴に置かれる。鰹節かつおぶしが多過ぎて、その下に存在するはずの焼きそばが視認出来ない。


 しかし、ただの山盛り鰹節にしか見えないそれを、バーの店長は気にする素振りもなく大口で掻き込み始める。惚れ惚れする食いっぷりだ。


「ところでさ、おみちゃん」


 焼きそば定食を食べ終わったオレは、ビールグラスを傾けながら視線だけで「なんですか?」と問う。


「誰なの? この前、一緒に歩いてた金髪の美人さん」

「グフッ!」


 絶妙なタイミングで飛んできた想定外の質問に、思わずビールを吹いてしまうオレ。カウンターの向こうで作業してたマスターが、無言でオシボリを差し出してくれた。唇を歪めながら。


「人の口に戸は立てられないってことさ。あとさ、寝る時は何も着ないことにしてるんだ、俺」


 いきなり渋い男口調で古典的格言をささやくのやめろ。それから、セリフの後半に全く関係ない情報ブッこむのもやめろ。そんなの知りたくなかった。


「いや、別に何でもないです。道聞かれたから案内しただけで」

「ふーん。アイスクリームは美味しかったのかしら?」

「ブハッ!」


 今度は飲んでたビールがグラスの中で逆流して、顔に飛び散る。どこまで把握してるんだ。勘弁しろよ。あと、なんでアンタがオレのオシボリ使ってるんだ。いますぐ返せ。


「いや、あの、それはですね」

「まぁ、いいけど。でも、気を付けた方が良いわよ。そういう女に関わると、男は全部持って行かれるからね」

「はい?」


 食べ終わった食器を下げようとマスターが近付いてくる。バーの店長の表情が、悪戯を思い付いた子供みたいな喜色を帯びて輝く。


「ほら、この人とか良い見本よ。人生の反面教師ってヤツね」

「おい。それ以上要らんこと喋るなら表出ろ」

「うわ、相変わらず怖いわー」


 いつの間にか平らげていた料理の横に代金を置いて、素早く席を立つバーの店長。極度の早飯だ。「焼きそばはね、噛まずに喉越しを楽しむものよ」とか言い出しかねない。


「またお店に来てね。サービスするから」

「いや、フツーに酒出してくれるだけでいいですから」


 至近距離に顔を寄せて囁くと、そそくさと店を出て行った。さすが長年の付き合い。ギリギリの引き際を心得ている。でも、オレを置いかないで。


 カウンターの中ではマスターが腕組みをして、大きな溜息を一つ吐いていた。

 新しい登場人物、投入してみました。果たして、上手く動いてくれるのか。

 しかし、これまでそこそこシリアスに書いてきたつもりなのに。なぜこうなった…?


 でも、嫌いじゃない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ