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冬の戯れ  作者: 有月 晃
Primer Capítulo / 第一章
6/52

5. ヴィクトル

2008.04.03 19:08



 いまさらだけど、オレが住んでるこの街のことを少し話してみる。


 この街の名前は「潮見坂しおみざか」という。


 都市部から通勤電車に揺られること約一時間、こぢんまりとした古い駅が見えてくる。海からの風に長年晒されて、随所がくたびれた駅舎だ。実は猫が駅長を務めていますとか、駅舎が木造で移築出来ます、みたいな昼下がりのバラエティで紹介されそうなエピソードは、この駅にはない。


 駅前には前述の、これまたこぢんまりとしたロータリーがある。運が良ければタクシー乗り場にタクシーが停まっているが、大抵は車も人影もあまり見掛けない。そのロータリー周辺には街唯一の商店街、銀行、公園、図書館、交番や役所の出張所、それから誰が泊まるのかよく分からないがビジネスホテルも一軒だけあったりする。


「生活インフラがコンパクト、ワンストップに纏まっていて、暮らすには便利ですよ」というのが、オレがいま住んでる部屋を不動産屋に勧められた時のセールストークだった。それは嘘ではなかったけれど、これ以外の施設がこの街にはない。駅前を少し離れると、あとは住宅街が広がっているだけ。典型的なベッドタウンだ。


 自分が住んでいる街なのに、少し否定的に描写し過ぎた。こんな街だけど、街を特徴付けるキーワードが二つある。


 それは「海」と「坂」だ。


 潮視坂駅は「海」に面している。プラットホームから南側に砂浜が、北側には山が見える。小さな砂浜だけど海水浴も出来て、夏になると海の家がオープンしたりする。一軒だけだが。暑い季節には、電車待ちしている間に潮風に吹かれて身体がベトついてしまうという、平日の社会人には全くメリットがないロケーションでもある。


 そして、この街は全体が「坂」である。山裾にある駅から山頂に向けて、斜面を真っ直ぐに登る形で商店街が伸びていて、住宅街は扇状にその周辺に広がっている。つまり、斜面を開発して街が作られていて、この街の人々は毎日、坂道を登ったり降りたりしながら暮らしている。老人の終生の住まいとしては、いささかキツい環境かも知れない。


 やはり、どうも否定的な描写になってしまう。まぁ、実際にそんな街なのだから仕方がない。



 さて、話を戻そう。


 彼女(この時点ではまだアストリッド、と名前で呼べる間柄ではなかった)は大きなスーツケースを持ってきていた。そして、その中には彼女の私物に加えて仕事用の書類なども入っていて、実はかなりの重量がある。


 アイスクリーム店を出て、目的地のマンションを目指して歩き始めると、彼女の表情が急に険しくなってきた。頬を汗が伝い、明らかに顔色が悪い。

 それもそのはず。この時の彼女は、人生で初めて10時間以上も飛行機の中に閉じ込められて、消耗しきっていた。そもそも飛行機が苦手なことに加えて、軽い閉所恐怖症にも見舞われながらの長旅で、要するにクタクタだったのだ。


 見るに見かねたオレがスーツケースを引き受けて、坂道を登ること約5分。ようやく彼女の目的地であるマンションが見えてきた。


 つい最近建てられた、この街にはおよそ似つかわしくない垢抜けた雰囲気の建造物。規模こそ大きくはないが、吹き抜けのエントランスホールにコンシェルジェが控えているマンションなどこの街には他になく、近所の主婦達が「セレブマンション」と呼んでいたのもあながち的外れな表現でもない。


 後日わかったことだが、彼女は仕事で日本に来ていて、勤務先の外資系企業が従業員の社宅としてこのマンションの部屋をいくつか契約していた。


 ようやくホッとした表情を見せる彼女。

 オレも案内役からやっと解放されるということで、思わず安堵の溜息を漏らしてしまう。


「着いたよ。ここで良いんだよね」

「ハイ、ソウデス。ドウモアリガトウ」


 彼女はエントランスのプレートまで小走りで近寄り、マンション名を確認する。振り返って笑顔を浮かべるが、やはり顔色が優れない。早く休んだ方が良さそうだ。


「えっと、それじゃ……」

「スコシマッテ、タカオミ」


 バックパックを下ろしてサイドポケットをしばらく探ると、彼女がメモと万年筆を取り出した。緋色に透き通ったボディにシルバーの繊細な装飾が施された筆記具は、見るからに高級そうで思わず受け取るのを躊躇ってしまう。


「アナタノデンワナンバー、クダサイ」

「……え?」


 どういうことだろう。逡巡するオレを見上げる彼女。いつの間にか夕陽も落ちて、街灯を写し込んだ翡翠色の瞳が優しくこちらを見ている。薄い唇が遠慮がちに「プリーズ」と囁き、メモと万年筆が再度差し出される。これは……


Astyアスティ!」


 唐突にマンションのオートロックドアが開き、大柄な白人男性が飛び出してきた。


 初春だというのに小麦色に日焼けした肌。短く刈り込まれた黒髪、逞しい鷲鼻と手入れされた顎髭が精悍なマスクをさらに引き立てる。仕立ての良さそうなシャツとパンツが引き締まった身体を強調していて、広いエントランスホールから駆け寄ってくる姿はまるで洋画のワンシーンの様で、男のオレでも暫時視線を奪われてしまう。


Victorヴィクトル!」


 彼を見つけると、彼女(アスティというのはアストリッドの愛称らしい)も嬌声を上げて駆け寄った。二人はそのまま抱き合ったかと思うと、両頬を交互に合わせる挨拶の仕草をしてから、早口の英語で囁き合う。


「遅いから、いま探しに行こうと思ってたんだ」「少しトラブルがあって。久し振りね。会いたかった」という会話がオレの耳にも届く。


 そう。そうなのだ。その二人の様子は何というか、まさに相応しくて。オレの足はその場から早く離れたくて、でもその一歩をいつ踏み出せば良いのかわからないままで。


 ヴィクトルと呼ばれた男性が、オレに気付いてしまった。彼の視線がオレに数秒間留まり、再び彼女に戻る。それに気付いた彼女が、紹介してくれる。


「カレハ、タカオミ。ココマデキテクレタ、イッショニ」


 彼女を抱擁していた腕を解くと、ヴィクトルがゆっくりと近付いてくる。オレとヴィクトルは身長こそそんなに変わらないが、間近に立つと体格差が歴然と感じられて、思わず気後れしてしまう。


「ヴィクトルといいます。彼女の道案内をしてくれたんですね。感謝致します」

「あ、いえ、すぐ近くだったから……」


 低音だが不思議に良く通る声で紡がれたのは、流暢な日本語だった。日本に長く滞在しているのだろうか。深い眉稜の下から興味深げにオレを見下ろす瞳は明るい栗色。差し出された右手を握り返すと、がっしりした骨格の力強さが伝わってくる。


「えっと、オレはそろそろ……」

「そう? もしよろしければ、お茶でもどうですか」

「いや、本当にもう」


 洗練されたら仕草でマンションのエントランスを示すヴィクトル。微笑みを浮かべたその表情から、彼が本気で誘ってくれてるのだと感じられて、立ち去ろうとしていた動作を一瞬止めてしまう。


 そこに彼女からの言葉が届く。


「Takaomi, please join us. And your phone number……(タカオミ、是非一緒に。あと、貴方の電話番号もまだ…)」

「No, no. You don't have to call me, OK?(いや、だからさ、電話なんかしなくていいって)」


 この日、オレに対して初めて使われた彼女の英語に、思わずこちらも英語で返す。視界の隅で、ヴィクトルがスッと目を細めるのが見えた。


 自分で意図した以上に強い口調になってしまったが、一度発せられた言葉はもう戻らない。ハッとした表情で黙る彼女。その向こうの感情を察する余裕などオレにはもう残されてなくて。


 マンションのエントランスの照明から離れるともう振り返ることもなく、オレは逃げるみたいに坂を降りていった。

 今回で第一章が終了。もっとコンパクトにするつもりが、書いてたら長くなってしまいました。


 あ、ちなみに目次の「PROLOGOプロロゴ」は「序章」、「PRIMERプリメール CAPITULOカピトゥロ」は「第一章」を意味します。スペイン語です。プロロゴとかカピトゥロとか。スペイン語って音にすると可愛い響きの言葉が意外に多かったりします。どーでもいい話ですね、ハイ。


 次から第二章に入ります。


 今回は街の説明がちょい長くなったので、次はもっと人物に動いてもらいたいなと。動いてくれるかな。フリック入力で長文書くのもやってみると意外に大丈夫そうなので、このまま書けるところまで書いてしまおうか、とか思ってます。


 ってか、読んでくれてる人、いるのかな。こういうところに掲載するの初めてなのでよくわからないのですが、淡々と書いてみます。



 あ、ちなみに、スペイン語で「第二章」は「SEGUNDOセグンド CAPITULOカピトゥロ」といってですね、「SEGUNDOセグンド/A」が「第二の」という形容詞で、「CAPITULOカピトゥロ」は男性名詞なので…(以下、略

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