4. 美嘉(みか)、再び
2009.01.15 18:13
夕刻の地方銀行の支店、自動ドアを抜ける。
磨かれた床の向こうに、鈍い光を帯びたATMが並ぶ。オレ以外に客の姿は見えない。コートのポケットからキャッシュカードを取り出して、預金を引き出す。
この紙束で何ヶ月も暮らしていけるのだから、人間の社会は不思議だ。ATMの横に備え付けられた封筒を一枚抜いて、無造作にそれを放り込む。
ATMコーナーを後にしながら、携帯電話を操作する。コール数が10回を越えて諦めかけた時、不意に通話が繋がった。
「悪い。勉強中だったか、美嘉」
「ん。いいわよ、ちょうど休憩しようと思ってたところ」
話し方に微かな疲れが滲んでいる気がしたが、小さな頃から慣れ親しんできた声にホッとする。相手は自動販売機を操作しているらしい。まだ大学にいるのか。そう言えば、卒論が追い込みの時期だった言ってたな……
ゴトンッと硬い音がしたかと思うと、プルタブを開くプシュッという効果音がそれに続く。
「当ててみようか、なに飲んでるのか」
「わかってるくせに」
「コーラ。赤い缶」
「コレ以外はコーラじゃないわ。ノーカロリーとか、オカマにでも飲ませればいいのよ」
「相変わらずのオリジナル原理主義者だな。でも、オカマに失礼だぞ、その発言」
「なによ。人に説教出来る立場なの?」
美嘉と軽口を叩きながら、日の落ちた商店街を進む。自転車で坂道を下ってきた中年の女性が、オレの脇をゆったりと走り抜けていった。
「で? どうせ何かあったんでしょ。そんな時しか電話くれないんだから、兄さん」
「……スマン」
「別にいいわよ。で、どうしたの?」
一度、深く息を吸って、ゆっくり吐き出した。せかさずに待ってくれている、美嘉の沈黙が有り難い。
「アスティが妊娠した」
「……えっ?」
「子供ができたんだ」
「ちょっと! なにしてるのよ! どうするつもりなの!?」
「彼女は産みたいって。育てるって言ってるんだ…… 一人で」
「……はぁ!? ぜんっぜん意味わかんないんだけど!」
「スマン。オレも混乱してる。だから、いまからプロポーズしてくる」
「プロポ…… え、どうしてそうなるわけ!? いや、わからなくはないけど…… ゴメン、やっぱわかんない」
「フフッ。そうだよな。オレもよくわからない」
「なによそれ。しっかりしてよ」
「でも、どうして良いかわからなくて。いや、やるべきことは決まってるんだけど」
「……で、私にどうして欲しいわけ?」
「ただ、聞いて欲しかった。父さんや母さんにはまだ話せないから。お前くらいしか話せる相手がいなかった」
「はぁ。大人しそうに見えて、たまにびっくりするくらい大胆なことするんだから。昔からそうだよ、兄さん」
「スマン」
「別に謝ってくれなくてもいいんだけど……」
先日のアンティークウォッチの店が、視線の先に見えてきた。ショーウィンドーにゆっくりと近付く。「それ」は先日と変わらず、ライトを浴びて白く微細な輝きを放っていた。
「なぁ、美嘉。異性に時計を贈る意味って、知ってるか?」
「なによ、急に」
「いいから。答えて」
「時計…… 一緒に時を刻みましょう、共に老いましょうとか。なんかそんなんじゃない?」
「やっぱそうか。そうだよな」
そうだ。薄々わかっていた。「時計は受け取れない」と言ったアスティの心中。だけど、オレだって引き下がれない。
「美嘉、ありがとう。また連絡するから」
「当たり前でしょ? それから、何かご馳走してよね。もう私も混乱して、わけわかんないんだから」
苦笑しながら通話を終えて、店内への扉に手を掛ける。愛用の皮手袋が金属製の取っ手に擦れて、小さくキュッと鳴いた。
お待たせしました。
美嘉、実は結構気に入ってるのですが、コレで彼女の出番は最後です。
終わらせたくない……という作者の勝手な葛藤でなかなか筆が進みませんが、着実に結末に向かって進んでます。
次の更新はもう少し早めに書く様、ガンバります……




