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冬の戯れ  作者: 有月 晃
Sexto Capítulo / 第六章
41/52

5. 雪見風呂

【注意】入浴中の飲酒は大変危険らしいです。真似しちゃダメです。絶対。

2008.12.31 18:23



 日の落ちた針葉樹林。ヘッドライトの無機質な白光に照らされてなお、視界に舞う雪片は銀色に透き通っていた。


 コテージに戻ると早速、大きめの鍋に水を張って火にかける。煮立ったところで、二人前の蕎麦を投入。鍋の中をゆったり回遊する麺から漂う、蕎麦の仄かな香り。思わず目を細めながら、長ネギをブツ切りに。

 茹で上がった蕎麦をいったん冷水で締めて横に置き、さっき奮発して買い求めた地元の鴨肉をフライパンに丁寧に並べる。脂肪の融点が低い鴨肉は、火加減に少し気を付けてやれば油をひかなくても良い。軽く塩を振って、長ネギとともに両面に焦げ目をつける。


 薄めた出汁に鴨肉と長ネギを浸して、しばらく煮込む。具と出汁が馴染んだ頃、満を持して蕎麦を投入。アクセントに柚子の皮と三つ葉を散らして、年越し蕎麦の出来上がり。山椒を添えるのも忘れてはいけない。


 ダイニングに向かうと、テーブルの真ん中に置かれた伊達巻きが目を引いた。今夜の主役は私だと言わんばかりに鎮座している。そういえば、さっきアスティが物珍しそうに手にしてたな。大晦日に御節料理の伊達巻きって、なんだか違和感が……


まぁ、いいか。



――――――



「日本のduck(鴨)がこんなに美味しいなんて知らなかった」


「あ、鴨肉って初めてだっけ、アスティ?」


「そう。噛むとしっかり歯ごたえがあって、ジワッと美味しさが雪崩なだれてきて……」


「美味しさが雪崩なだれるって斬新な表現。自由で素敵」


「そう? じゃ、美味しさが…… よだれるは?」


「えっと、涎るっていう動詞は多分ないんだけど。まぁ、とにかく、よろしいお上がりでした、ヴァイキングの姫様」


「ハイ、ご馳走さまでした、サムライの王子様」


「じゃ、お腹を満たしたところで。そろそろ行こうか」


「あ、ひょっとして?」


「そう、お風呂」


「わぉ! おんせん! さんぽ!」


「あ、残念。オレも腹ごなしに散歩したいとこだけど、今夜は車で行きます」


「え、どうして? すぐ近くなんだよね?」


「徒歩10分かな。でも、日が落ちると野生動物が危険だから。イノシシとかクマとか。住民は必ず車移動だよ」


「あ、なるほど。トナカイも?」


「日本に野生のトナカイはいないんじゃないかな」


「え、どうして!? まさか、ぜんぶ食べちゃったの?」



――――――



 カーステレオから、アコースティックギターの音色が聞こえてきた。哀愁を込めて弦を爪弾くこの感じは、スパニッシュギターだ。やがて、その旋律を伴奏に、ハスキーな男性のボーカルが訥々と言葉を紡いでいく。



 女を本当に愛するためには


 心の内をさらけ出して


 彼女こそが運命の人だと伝える


 その存在を自分の内に感じるまで


 香りを嗅いで、味わって……



 みたいな、甘い歌詞のラテンバラード。



「この歌、知ってる。たしか映画の主題歌だったよね。ジョニー・デップ主演の……」


「ドン・ファン。17世紀スペイン、伝説上の色男」


「そう、それ。わざわざ映画館で観た気がするなぁ」


「え、ちょっと待って。その時って何歳だったの、孝臣?」


「んー 中学生かな? 背伸びしたんだね。正直、よくわかんなかったよ」


「でしょうね。彼の主演作の中では地味だけど、ロマンティックで素敵な映画よ。観てると、セクシーな気分になるの」


「へぇ、好きなんだ、ジョニー・デップ?」


「違うわ。でも、黒髪の男の人って好きよ」



 オレの髪に軽く指を差し入れると、唐突に英語で歌い始めるアスティ。ちょうどサビに差し掛かったボーカルに、彼女の声が重なる。ご丁寧に、カナダ人ロックスターのハスキーボイスまで真似している。

 最初こそ驚いて苦笑いしていたオレだけど、彼女があまりに真剣なのでやがて口を閉ざして聴き入ることにした。鼻歌を耳にすることはよくあったけど、こんなに情感豊かに歌うアスティは初めてだった。


 フロントガラスの向こう、真っ白な闇に意識を集中する。


 雪道の運転にはもう慣れた。いま背中を伝う汗には、きっと緊張以外の何かが満ちている。



――――――



 祖母が手配してくれた温泉の外観は「やや趣のある掘っ建て小屋」という感じだった。それも記憶より遥かにこじんまりとしている。そう言えば、最後にこの温泉を訪れたのは法要で集まった親戚に連れられてだった。子供の頃の話だ。無理もない。


 古びた茶色の鍵で入口の木戸をカラリと開くと、そこは畳五帖程の簡易脱衣場。壁面に造り付けの棚があって、脱いだ服や手荷物を入れる為の籠が並んでいる。

 そして、脱衣場の奥、入口と反対側の小さな扉の向こうには、少し急な石の階段が伸びている。これを降りた先に小ぶりな石造りの露天風呂、というシンプルな構造。


 ……と言うか、露天風呂しかない。それも大人が五、六人も浸かれば窮屈に感じる。そんなサイズだ。あ、周囲には竹材を編んだ柵が張り巡らされていて、田舎とは言え最低限のプライバシーが確保されている。当たり前か。


 初温泉にして、初露天風呂。

 さすがのアスティさんもこれには戸惑っているだろう……


 と後ろを振り返ると、キラキラした瞳で露天風呂をロックオンしたまま、黒い下着に手を掛けている彼女がいた。備え付けの籠には、脱いだ服が雑然と放り込まれている。これが外資系投資銀行に勤める人間のメンタルか。



「オーケー、アスティ。ちょっと待って。作戦を練ろう」


「ん、何の作戦? 凄く素敵だよ、このお風呂。はやく入ろ!」


「外気温はマイナス、しかも、風が吹いてて雪も舞ってますけど。マッパになるのに一切の躊躇ナシですか」


「そんなに寒くないし。すぐにお湯に入って、身体温めたらだいじょぶだよ」


「それ、マナー違反ね。日本のお風呂は身体洗ってから入ります」


「あ、そっか。じゃ、どーするの?」



 作戦会議の結果、まずはアスティの髪と身体を優先的に洗って、次にオレ、というざくっとした方針になった……が、いきなりぶっつけ本番でそんなにスムーズにいく訳もなく。



「シャンプー、目に入ったー あーうーちー」


「ゴメン、急いで洗ったから。身体はどこまでいってるの?」


「進捗80%かな。背中以外はほぼ完了」


「わかった。じゃ、オレが背中流すから、髪は自分で洗って」


「I can't. お湯、por favor, right now(おねがい、いますぐ)」


「洗面器ってどこだっけ…… って、さむっ! オレ、さむいっ!」



 こそばがって逃げようとするアスティさんを無理矢理洗い上げて湯船に送り込むと、ようやく自分の身体に取り掛かる。ってか、髪の上に薄っすら雪積もってるし。歯の根が合ってないよ、オレ。



「アスティ、石けん、どこだっけ?」


「んー 食べちゃったー」



 視線を向けると、石造りの湯船の中、仰向けにふわふわ浮かぶ乳白色の裸体。口を開けて、降ってくる雪を味わっている。なんだ、この生き物。


 ささっと目を走らせると、湯船近くに転がる白い石けんを発見。震えながら手を伸ばすと、湯船の中から一筋の湯が襲ってきた。

 視線を上げると、両手を合わせて作った水鉄砲の照準をこちらに合わせているアスティさん。湯の掛かった箇所から一瞬湯気が上がるものの、またすぐに冷えてくる。


 中途半端に濡れるとかえって寒いんですけど。



 数分後、大急ぎで洗い上げた身体をようやく湯船に沈めることに成功。冷え切った身体と熱い湯の境目で、肌がじわじわと粟立つ。背後から「いらっしゃいー」と二本の白い腕が絡んでくるけど、暫時無視。濁り湯の温もりを貪る。


 オレから反応が得られないと知ると、アスティはざばりと湯船から上がって、脱衣場にスタスタ戻って行ってしまった。あれ、怒ったのかな?と首を捻っていると。


 琥珀色に輝く缶を両手に、ニコニコしながら戻ってきたノルウェー人。不思議なダンスを踊りながら、石の階段を降りてくる。アルコールを手にするとテンションが急上昇するのは国民性か。つるりとコケないことを祈らずにはいられない。



「どしたの、それ?」


「雪見ながら飲んだら、きっと美味しいと思って。ね、コレってワビサビ?」


「んー 当たらずしも、遠からず。でも、一人で飲むの?」


「え、どうして? 孝臣のもあるよ」


「オレ、運転するから飲めないよ」


「お父さん、この村にお巡りさんいないって、さっき言ってたよ?」


「ダメ。雪道舐めちゃいけない」


「まーじーめー。ビールなんてお酒じゃないのに」


「む、その言い方はフェアじゃないよ」


「じゃ、真面目に運転してくれてる孝臣には……」


「なに?」


「この身体を好きにできる債権を付与します」


「Done.(契約成立)」



 空から降り注ぐ銀色の雪片を肴に、湯船の縁を枕にして缶ビールを煽る北欧人。あまりに美味しそうに飲んでるから、悔し紛れにその辺の雪塊を洗面器ですくって、顔にパサッと。


 クスクス笑いながら、短く息を吐いて口元の雪だけ飛ばすアスティ。彼女の息が顔に届くと、麦芽の香ばしい匂いが鼻腔を満たす。ものすごーく羨ましい。



「もうね、匂いだけでも軽く酔えそうだよ」


「お酒弱いもんね、孝臣」


「アスティが強過ぎるんだよ」


「じゃ、違う方法で酔わせて」



 薄翠色の瞳に艶を宿して、美味しそうにビールを嚥下するアスティ。彼女が酒を口にするのを見たのは、これが最後だった。

コレ書いてたら久し振りに食べたくなった、鴨南蛮蕎麦……

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