5. 焦げ茶色に照り輝くアレ
【注意】お食事中の方は読んじゃダメ。絶対。
2008.12.08 20:32
今日も結局、仕事で遅くなってしまった。
真っ黒な海に浮かぶ数隻の漁船の灯りをぼんやり眺めていると、車内アナウンスが「潮見坂駅」と告げる。
「ゴメン、遅くなった。晩ご飯、どうする?」
「まだ食べてない。待ってる」
「お寿司でも買って帰るよ」
「大好き。お寿司、よろしく」
車中でアスティとメールをやり取りした結果、今夜の晩ご飯はお寿司に決定。
最後の「大好き」の目的語は何だろう。「お寿司、大好き」だろうか。もしくは、少し自惚れて「孝臣、大好き」か。いや、「お寿司を買ってきてくれる孝臣、大好き」あたりが妥当な落とし所だろう。
商店街の遅くまで営業してるスーパーマーケットで、割引シールが貼られた握り寿司を二人前お買い上げ。ついでに、デザート用の果物とヨーグルトも買物カゴに入れる。
衝動的に始まった彼女との共同生活は、早くも一ヶ月を過ぎた。今のところ大きな喧嘩もなく、存外穏やかな日々を過ごしている、と自分では思っている。
ただ、互いに異なる文化で育った者同士、日常生活の中で遭遇する些細な驚き、というのは結構あったりする。
「ただいまー」
「あ、おかえりー。ね、孝臣、ちょっと来て」
「ん? なに」
「変わった虫、捕まえたの」
「へぇ、冬なのに?」
「そう。ベランダにいた。なんだか弱ってるみたい」
なにやら興奮気味のアスティに手を引かれて、ベランダへ出る。彼女が指差す先には、食べ終わったプリンの半透明の容器が伏せて置かれていた。
その中に捕獲されているのは、全長3〜4センチ程のアーモンド型の身体を持つ生き物。二本の触角、細長い三対の脚、そして独特の光沢を放つ焦げ茶色の羽根……
「あー それ、ゴ○ブリだよ」
「ゴ○ブリ? なにそれ?」
「英語だとcockroach。スペイン語は……」
「cucaracha! へー、初めて見た!」
「え、ノルウェーにはいないの?」
「んー 兄さんが、南部の飲食店で一回だけ見たことあるって言ってかな」
彼女はプリンの容器に顔を寄せて、珍しそうに観察している。日本人なら、まず取らない行動だろう。オレは台所に戻ると、使い捨ての割り箸を持ってきた。パキンッと割って、排除対象に近付く。
「え、なんでお箸!? 食べるの、孝臣?」
「いや、そんな訳ないでしょ。お帰り願うだけだよ」
「でも、なんでお箸なの?」
「直接触りたくないから」
「私、さっき触ったよ。ただの昆虫だよね? 毒ないよね?」
「……いまからお寿司食べるから、手洗ってきてください」
暖かい時期には異常な敏捷性を誇る害虫だが、寒さで弱っているのだろう。割り箸であっさりと捕獲成功。ベランダから闇夜に向かって彼(彼女?)を放り投げて、しばし残心の姿勢を取る。
割り箸をそのままゴミ箱へ放り込み、鍛え上げられた箸技術を賞賛する拍手に迎えられながら室内へ。何だろう。仕事終えて帰ってきてみたらもう一仕事待っていた、みたいな感じ。
寿司を嬉しそうに頬張るヴァイキングの末裔。お気に入りのネタはサーモンではなくなぜかイクラだったりするが、最近は恐々ながらも少量の山葵にもトライしてたり。
お腹が満たされて幸せそうな彼女の顔を眺めながら、感覚って人それぞれだよね……とお茶をすするのだった。
北欧でも南部には結構いるらしいです、アレ。




