10. ナマエ
2008.04.20 17:21
八百屋や魚屋の威勢良い呼び込みの声が、アーケードにこだましている。
夕暮れ時の買い物客で賑わう商店街を、人の流れに身を任せながら彼女とゆっくり歩く。公園から彼女のマンションまでは、商店街を抜けて徒歩15分程。
「タカオミ、キョウ、アリガトウ」
もうすぐ着くな、とオレが思い始めた頃、そんな言葉が隣から聞こえてきた。
横に視線を向けると、柔らかな表情をしている彼女がいた。物珍しげにキョロキョロするのは、今日はもうやめにしたらしい。
「タカオミ、ヒトツ、サイゴノシツモン」
「ん。なに?」
「キョウ、ナゼ、キタ?」
軽く歌う様に発せられたその質問に、オレは言葉を探す。
「いや、それはヴィクトルが、君に街の案内をって」
「ソレ、ゴメンナサイ。カレ、ウソイッタ」
「あぁ、まぁ、そうだよね」
「タカオミ、ウソ、シッテタ。ジャ、ナゼ、キタ?」
にわかに、彼女の口調が真剣味を帯びて、容赦無い直球が飛んでくる。
彼女は物事にシンプルな答えを求める。白黒つけにくい事柄でも、その中に白と黒がどれくらい含まれているのかを分析して、対象の性質を見極めようとする。
今日一日でオレが気付いた、彼女の気質だ。
それは彼女が持って生まれたものなのか、それとも研究者として、あるいは金融業界の人間として生きるうちに身に付いたものなのか。いまのオレには情報が不足していて、判断がつかない。
オレにわかるのは、オレにとっての彼女がそうである様に、彼女にとってもオレは外国人だということ。育ってきた環境、自国の歴史や一般常識みたいな共有部分が少ない相手だということは間違いない。
だから、彼女は一つ一つ丁寧に、答えを探す。探して、理解しようとする。何のために? これも情報不足でわからない。
彼女の「なぜ来たのか」という質問に対して、オレは自分の胸の中を探って何とか言葉にしてみる。
正直、こういう作業は苦手なのだが。
「それは、まぁ…… 楽しそうだと思ったからかな」
「デ、タノシカッタ?」
「うん、まぁ」
「ホントニ?」
「いや、本当だって」
「アマリ、タノシソウジャナカッタ」
「それは緊張してたからだ」と答えようとしたが、今日の自分を思い返すと、そうでもなかったと気付く。なぜだろう。自然、黙ってしまう。
「ワタシ、ヒトツ、カナシイ」
「なにが?」
「ワタシノナマエ、ナニ?」
「アストリッド、だよね」
「セイカイ! デモ、キョウ、ハジメテヨンダ」
「え、そうだっけ」
言われてみれば、そんな気がする。
「ハナストキ、ナマエ、ヨブ。ニホンジン、シナイ?」
「いや、そんなこともないけど。君とはほぼ初対面だし照れ臭いというか……」
「モウ、ワタシタチ、トモダチ。ナマエ、ヨブ」
にわかに声が低くなって、詰問調になってきた。細められた翠の眼差しが、剣呑な空気を伝えてくる。マズイ。こういう雰囲気の女性をはぐらかすと、猛烈に怒られそうな気配がする。これは万国共通認識、または男の本能的感覚だ。
細く息を吸って肺に溜めてから、思い切って発音する。
「アストリッド」
「ダメ! マチガイ!」
「え、なんで」
「トモダチハ、アスティ、ヨブ!」
「いや、さっきはアストリッドって」
急にうつむいた彼女の髪が、小刻みに揺れる。そのうち肩まで揺れ始めて、髪の間から見える彼女の口許がクスクス笑っていることに気付く。
これは北欧流ジョークなのか。わかりにくいよ。
前方に、彼女のマンションが見えてきた。クルリと身を翻したアストリッドが、オレの前に躍り出る。フワリと舞う彼女の髪の向こうに、夕陽が透けて見えた。
オレをからかって、機嫌が良さそうだ。
「ワタシ、ツギマデニ、ヒラガナ、レンシュウ」
「あぁ、さっき本買ったしね」
「ダカラ、タカオミ、アスティ、レンシュウ」
細い指を鼻先にピッと立てて勝手にそんな宣言をしたかと思うと、彼女の姿はエントランスの向こうへと消えていった。
呆気に取られて、小さな溜息が漏れる。
オレは今夜の晩飯の店をいくつか思い浮かべながら、西陽に照らされた歩道を降り始めた。
初デート編、やっと終わりですよ。長かった。あっち行ったり、こっち行ったり。初めてなのに、どんだけデートしてんだよ、この二人。
はい、書いたの私でしたね、スミマセン。
メモ。第二章、終了時点で約25,000文字。
この後、アスティはひらがなを習得したということで、次回からはセリフにひらがなが混ざる予定です。まだ第三章を全く書いてないから、あくまで予定ですけど。
ってか、カタカナだけでセリフ打つの、正直めんどかったんですよね…
あ、あと事務連絡なのですが、今後の活動報告は下記のtwitterに集約させてもらおうかなと。「なろう」内の活動報告とどうしても重複した内容になってしまうので。悪しからずご了承の程、お願いします。
有月 晃
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