4. ヴィっくん
2008.04.17 22:36
ヴィクトルの話は、おおよそこんな内容だった。
先日の女性は名をアストリッド、愛称アスティという。年齢は27歳で、オレより1つ上。名前も出身も北欧系だが、両親は離婚していて、父親がスペインにいるらしい。勤務先はやはりヴィクトルと同じ中堅の投資銀行。
アスティの場合は大学院で身に付けた物理学の知識を買われて、金融商品開発チームに配属された。入社して数年の内に上層部の目に止まる大きな功績を次々と上げたものの、社会人経験の浅かった彼女はいつの間にか心身共に磨耗してしまっていた。
代表の遠縁にあたるということもあって、いったん商品開発からは遠ざけ、アナリストをさせてみようという上からの意向を受けて、今回の赴任になった。赴任先が日本になったのは、彼女がアジア圏を希望したからとのこと。
「意外ですね。海外の投資銀行なんて、不要と判断された人は次々と解雇されるイメージがあるんですが」
「ディーラー部門でそういう傾向が強いのは事実です。ただ、明日をも知れない身なのは、解雇する側も同じ。狭い世界ですからね。ドライな様でいて、いったん懐に入ってしまえば存外ウェットなものです」
「なるほど。金融業界と義理人情なんて相容れないものだと思ってましたよ」
「まぁ、それもボス次第ですけどね。そういう意味では私達は恵まれているのですが…… いずれにせよ、この世界はとにかく人を消耗させます」
そう言って、細い溜息を吐くヴィクトル。先日は動揺していて気付かなかったが、こうやって至近距離で座っていると初対面のエネルギッシュな印象は鳴りを潜め、目尻の皺や黒髪に混ざる白い物が見受けられた。
オレのそんな眼差しに気付いたヴィクトルが、問い掛ける様に見つめ返してくる。その瞳が妙に優しくて、なんとなく気まずくなったオレはカクテルを一口含む。ヴィクトルも空になったビールのボトルを示して「同じ物を」と店長に伝える。
「孝臣さん、誤解して欲しくないのですが、アスティは仕事を愛していました。また、チームメンバーも彼女を愛していました。私もそうです。彼女は殺伐とした金融業界には珍しい何かを持っているみたいです。それに触れると、彼女を愛さずにはいられない…… 私の言う意味がわかりますか? 日本語だと天真爛漫とか、そういう言葉になるでしょうか」
「何となくわかる気がします。ただ、ここまで貴方の話を聞いても…… なぜオレにこんな話をしたのか、まだわからないのですが」
「あぁ、なるほど。それは確かに……」
さっきまで穏やかながらも歯切れの良かったヴィクトルが、言葉尻を濁す。引き締まった身体をバーカウンターの席でモゾモゾと動かし、急に落ち着かない印象だ。
店長に視線を向けるも、肩を竦めるだけで何も言ってくれない。
「つまり、要するにですね、私はこの国におけるアスティの後見役といったところです。娘……とまでは言いませんが、姪っ子くらいの感覚ではいるつもりです。彼女はまだ若いし、何か思うところがあるらしい。アスティがより良い再スタートを切る手伝いをしたい」
「はぁ」
「そこで…… 私にも理由ははっきりとはわからないのですが」
「えぇ、何でしょうか」
「つまり、会ってあげて欲しいのです」
「……誰が?」
「貴方、孝臣さんがです」
「誰に?」
「アスティです」
「えっと、それはアストリッドさんご本人の意向を確認した上でのお話ですか?」
「いいえ。全然」
「そんな無茶な」
「待ってください。彼女はあの日、貴方の連絡先が聞けなかったことを大変残念がっていました。つまり、そういうことです。疑うなら、いますぐ電話しましょうか。そうだ、それがいい」
白いシャツの胸ポケットからBlackBerryを取り出そうとするヴィクトルの手を何とか抑える。そのまましばらく押し問答するオレとヴィクトル。
カウンターの中からクスクスと笑う店長の声が聞こえたかと思うと、それはやがて薄暗い店内に不似合いな、大きな笑い声になっていった。
今回はオジサンが頑張る回でした。しかし長い。回りくどい。面倒くさいよ、ヴィっくん。あ、書いたの私ですね、スミマセン…
次回、アストリッド登場します。やっとかよ > 自分




