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囲卓下郎隠夜  作者: ぺき
1/9

一夜の1

異世界系が流行と聞いて。

ちょっとした息抜きのつもりで読んでください。

「一体どういう事なの・・・?」

町外れの小さな神社の境内で男は呟いた。

手水舎に映る自らの顔をしげしげと見つめていた。

正面から映したり、横顔を映してみたり。

水口からちょろちょろと湧き水が流れ落ち、水面は小さな波紋が幾重にも重なってはいるが顔を確認するだけの鏡面としてなら申し分ない。

そのゆらゆら形を変える水面に顔を映したところで、自らの顔を認識できない者など居やしないだろう。しかしこの男の顔は記憶している自分の顔と今ここに映りこむ自分の顔が、余りにも違いすぎている事に驚きと混乱を隠せないでいた。


全体的に面長で栄養が足りないのか頬は痩け、眼窩は落ち窪み眼は虚ろ。鼻は鷲っ鼻で豊齢線が深く皺を刻み、呆けた口元は歯の抜け落ちて隙間だらけの薄汚い隙っ歯で、その頭はみすぼらしく禿げ上がり申し訳程度の毛髪が、ところどころに辛うじて張り付いていると言う程度で、頭皮の色を見るに毛根は死滅して久しい事は一目瞭然だった。おまけに眉毛まで薄くなってきている。

・・・由々しき事態だ、どこまで止まることを知らず猛威を奮うのか。枯葉剤でも撒かれたとでも言うのであろうか。ベトナムとは我が頭頂にあったのか。

手水舎に両腕をつき変わり果てた顔を前に、男は混乱に混乱を増した。

昨日までは確かにこんな不細工ではなかった、こんな腐乱寸前の亡者面では無かったはずだ。とは言え、触れただけで女という女が股を濡らし、囁いただけで耳が妊娠する程のイケメンでもなかったが・・・。とにかくもうちょっと整って可も無く不可もなくのフツメンだったはずだ。

スペックとしては身長172の体重65。正社員で年収は250。コミュ症ではないがリア充でもない。彼女居ない暦=年齢という悲しい三十余年だったが、だがしかし。

普通・ザ・普通と自他共に認める事を自負している次第である事くらい普通。


いや、しかし。待て待て待たれい、あいや暫く。

混乱は静まることなく男を支配していたが、ようやく理解不能な状況を分析しようと身に降りかかったこの混乱を極めた事態に至った経緯を推考した。

「確か昨日は・・・」



深夜遅くに就職以来もう十年以上借り続けている住み慣れたボロアパートに、男はようやっと帰りついた。こんな時間だしご近所とのトラブルを避けるためにもスニーキングミッションの開始である。

まずは鉄板で出来た外階段を、なるべく音が鳴らないようにゆっくり上り、部屋の鍵をそっと差込み慎重に回す。かちゃりと小さな音が立ち解錠されたことが伝わるが、物音一つしない暗闇においてその音は殊更大きく感じられた。びくりとして数秒息を止め、辺りの気配をうかがった。

近隣住民の咳払いや照明の点灯も無く、しんと静まり返っている。大丈夫だ問題ない。彼はそっと胸を撫で下ろすもまだミッションは残っている。

慎重に更に慎重に、ゆっくりとノブを捻る。

ドアノブの中がどのような機構になっているのか知らないが、金属同士が絡み合い擦れる感触が伝わる。額にはいつの間にか汗が浮いている。その汗が頬を伝いあごの先から垂れ落ちるその時ついにドアノブを捻り切った。後はドアを開けその中に滑り込むだけだが、慌てるな、まだ気を抜いていいタイミングじゃない。ここで焦ってドアを開け、ぎいいいいいなんて軋む音を響かせてしまったらこのミッションは失敗だ。それではまるでコントになる。もう随分と昔にドリフが散々やった後だ、今更そんな手法で笑いなど取れやしない。むしろ怒られてしまう。主に隣の住人とかに。

静かにゆっくり慎重にそれでいて迅速且つ丁寧に、脳内でそう唱え続けドアを引っ張る。徐々に閉ざされていた玄関が姿を現し、滑り込めるだけの口を開けた。

時は来たれり。天啓を受けた駿馬のように、雷にも勝るスピードで身体を翻しするりとたたきに進入する。おお、なつかしの我が家よ。

ミッションの成功に逸る気持ちを抑えつつドアを閉め、鍵を下ろした。

コンプリート。俺は今偉大な事業を成し遂げたぞ・・・!彼の心は謎の充足感で満ちていた、長年勤めた会社でもこれほどの充足感を感じたことは今だかつて無い。

靴を脱ぎ狭いキッチンを抜け、唯一の光源である蛍光灯の紐を引っ張る。何度か明滅し小汚い住み慣れた王国に太陽が輝きを取り戻した。


築四十年、家賃三万五千円(共益費込み)1k給湯器付き風呂トイレ別で当然のようにバランス釜。シャワーなんてハイカラな物は付いてない。狭苦しく愛しき我が領地よ、私は帰ってきた。

深夜特有のテンションと、見事に困難なミッションをやり遂げた興奮が、彼を頭のイカレた国王へと変身させていた。右手を高く突き出してポーズをとり、一片の悔い無しといった風情である。

しばらくそのノリで満面の笑みを湛えていた王は、しゅるりとネクタイを外し膝を折りがくりと這い蹲った。

「俺は一体何をしてるんだ・・・」

哀れな国王は魔法が解けて、一気に万年平社員へと身をやつす。

そうだ。俺は何時まで経ってもうだつの上がらない平社員、同僚にも馬鹿にされ有給申請(主にお盆の頃と年末)すると露骨に舌打ちをされるようなそんなゴミクズだったんだ。何が国王だ、アホか。

どうしてこうなった。あれか、天罰か何かか。そんな悪いこと何かしたっけ。純粋で素直ないい子だったはずだぞ。ただ、気が付けばアニメにはまりそこから漫画やゲームにのめりこんでいって、碌に勉強もせず中高とオタ仲間とTRPGしたり麻雀したり即売会に通ったりと女っ気のない青春を謳歌しただけだぞ。ちょっと年季の入った濃い目のオタであるという事が罪なのか。神よ。


オタすなわち罪人。そんな事は一切ないだろうが、彼にはこんな酷い仕打ちを受ける謂れが皆目見当付かない。多分だけど、Fラン大をだらだら通い適当に就職先を選んでしまったのが唯一にして最大の失敗だろうと思われる。

「いや、悪いのはアレだ。あのクソ部長だ・・・間違いない」

出ました、責任の擦り付け。

自分の非を頑なに認めず他人に責を問うタイプの人が、往々にして執る簡単且つ厄介な手段。ある意味最強のカードと言える。

「テメェの仕事を押し付けてきやがって。なにが今日中にまとめて提出だ、のうのうと定時に帰りやがったくせに・・・。夜のオフィスにぼっちってのがどれだけ怖いか解んねえのか・・・」

彼はビビリでもある。

オフィスの中を誰かが歩き回ってたり、モニターに髪の長い女が映りこんだり、急に照明が付いたり消えたり。そんな事を想像してしまい恐怖に震えながらエクセルに数字を入力していたらしい。余りに怖くてちびりそうになっていたが、トイレも怖いので我慢し続けた。膀胱は悲鳴を上げていただろう。

「つか、今何時だよ・・・ふざけんな、4時間しか寝れねえじゃねえか」

少しばかりくたびれてきたワイシャツを脱ぎ、安物のパイプベッドに倒れこんだ。

ぶわと埃が舞い上がり部屋中に飛び散り、布団はじんわりと湿っていて不愉快なことこの上ないが、眠さと疲れが彼の思考を遮断した。もう、何でもいいしどうでもいい。この王国の唯一の聖域で余は英気を養うぞ。魔法の余韻か、彼はまた王の身分に浸りながら眠りに落ちていった。

何かが床に落ち、転がる音が聞こえた気がしたが、一切気になることは無かった。


ここまでは概ねいつも通りの生活だった。

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