九つ夢
ーー日が暮れようとしている。開けた視界に淡く燃える赤が広がって確信した。見渡さなくてもわかる。むせ返るような花の匂い。私はまだあの花園にいる。
ふと持って行かれてしまったあの罫線入りの紙っぺらのことを思い出した。再び湧き上がる恥ずかしさと悔しさに唇を噛んだ。目に浮かぶヴァンパイアの憎らしくも美しい笑みが、むかつく。
意地悪なあの男のこと、今頃はあの絵を誰かに見せて一緒に嘲笑っているのではないか。うんと幼い頃、あっちの世界でかつて私が同級生の男子たちにされたように。
あれから人前でペンを握らなくなった。勉強に用いる以外は。
物心ついた頃から息をするみたいに描いていた。自分がどの程度のレベルなのか、ましてや描く意味なんて考えたこともなかった。だけど少なくともこんなことの為ではない、と幼心に思った。
見る人がいるのならば、できるのならその人を楽しませたい。だけどこんな形で楽しんでほしい訳ではない、と。
誰かを罵って見下して初めて起こる笑い。テレビでも日常でも嫌という程目にする。好きな人もいるだろうけど私は虫酸が走る程、嫌い。あれと同じ類のものだと。
菫色に染まり始めている空を眺めた。ここは静かでいい。耳障りな複数の囁きも、罵声ばかりを飛ばす小心者のブルドッグもいない。
おかんとおとんと若菜がいないのはちょっとつまらないけれど休みの日さえ一日の半分も顔を合わせていない私だ。今更いなくなったところでどうということはない。きっとすぐに慣れる。あの三人なら上手くやるはずだ。
やがて一つの気配に気が付いた。アイツか、そう思って振り返り見上げるとそこには誰の影もない。ただうっすらとした闇を纏った薔薇たちが揺れているだけ。
私はそのまま顔を傾けた。下に。思いのほか傍にいた気配の出処と目が合った。私は呆然と固まっていた。
済んだ瞳を菫色に染めて見上げる少女。薄いピンクのように見える髪。あの男の子と同じ、とても人間とは思えない姿。これを何と呼ぶのか私はもう知っている。
あなたも、妖精?
小さな小さな彼女に問う。おずおずとした上目遣いのままこく、と頷く女の子。私は更に言う。
私さ、ここに居てもいい?
こっちの方が合ってるんだよね。
居心地いいんだよね。
ここを私の居場所にしたい…駄目かな?
女の子はしばらく円な両の目を見開いていた。しばらく後に動きがあった。
ゆっくりと、小さな頭がかぶりをふった。何か言いたげな悲しそうな目が言葉もなく見つめ上げる。私はふっ、とため息を落とした。
そうだよね。
駄目、だよね。
苦笑に顔を歪ませてこぼした。女の子がまた緩く顔を振る。さっきと同じ方向へ、何度か。
それが何の意味を持つのか、何の否定なのかもわからないままだった。すぐに伏せてしまった私の顔をはその後、小さな彼女と向き合うことはなかった。ぼんやりとうつむき続けていた
侵食していく闇がついに空を覆い隠すまで。




