夢やどる・旅はじまる
ーー私の祖母は預言者ではないかと思った。
あの厳格な表情、只者ならぬ雰囲気、まるで他とは時間の流れが違うみたいな若々しさ。シャーマンの血を引いていたとしても何ら不思議はない。
きっとそうだ。私にだって予感はあったんだ。祖母の力には劣るけれどちゃんと気付いた。私にもきっとシャーマンの能力が…
…な、訳ないっか。
身支度を終えた私は洗面台の鏡の前で息をつく。いろいろ悩んだけどまぁそれなりにキマっている。全身で見れないのが残念、やっぱ姿見買おうかな?でもこの狭い部屋じゃあね…
スッキリとしたラインのワンピースの色はロイヤルブルー。落ち着いた膝丈。私くらいの歳ならこれが正解ではないだろうか?なんて誰へのものかもわからない問いを投げかけてみたり。
こんな服装もあともうしばらくでお預けだ。今日、食べれるものあるかな?あっ、フルーツだったら…
「浅葱ーっ、支度できたか?」
「できたーっ!」
部屋から呼ぶ彼の声に答えた。コートを着込んで準備万端のVサイン。いつもと大して変わらない彼と一緒に玄関に向かう。
「気を付けろよ、足元」
「大丈夫だって、タカ…」
そうだよ、この靴だってその為に選んだんだから。本当、心配症な奴。苦笑する私は差し伸べられた手を取った。これからますます…なんて考えながら。
会場のダイニングバーまでは車で20分。話していればあっという間だ。
あーちゃんっ!!
タカと一緒にフロアに入るなり、真っ先に出迎えてくれたのは、彼女。
「お久しぶりです、星華さん。今日はありがとうございます」
「ううん、ずっと出来なかったから…」
両手を合わせてごめん、を示してくれる。そんな彼女ももう24歳、立派な女性だ。私?同じだよ、立派な女性!
「遅くなってごめーん!」
入り口から現れたもう一人…いや、一組。気付いた星華ちゃんの顔が晴れていく。
「わぁ!君塚様、お久しぶりですぅ!」
「久しぶり。もう君塚じゃないよぉ」
ははっ、と笑って返す君塚砂雪、改め、川崎砂雪。カタカナにすると早口言葉みたいになっている彼女も今じゃ…
「ママー!」
「ママぁ!」
ぐいぐい裾を引っ張ってくる幼い男の子と女の子をはいはい、と言ってなだめている。その後ろでおずおずと近付いてくる男が何者かは言うまでもなかろう。そして星華ちゃんがまたわぁぁ!と声を上げる。
「かっわいーい!!」
二人の幼子がビビる程に興奮している、彼女はかなりの子ども好きらしい。嫁候補を募集している男性諸君、家庭的なギャルなどは如何ですか?
「そうそう!私彼氏できたんだよ、あーちゃんっ」
「えっ!本当ですか?」
思いがけない朗報だった。それから芽生えた、過保護な思い。とりあえず、どんな人ですか?と探りを入れてみる。彼女は頬を染め、イキイキとした様子で頷く。
「二個下なの!でもすっごいしっかりしててね、IT企業勤務だよ?」
何と、年下とな。だけどしっかりしているというなら良いだろう。職業から察するに頭もキレるのだろうし、何より彼女が満足気だ。うん、きっと大丈夫!
「よく彼のお母さんと比べられるけどぉ〜」
大丈夫……か?
多少疑惑が残ってしまったが彼女が笑顔で居続けてくれることが安堵を与えた。それに…
あっ!私が思い浮かべる前に上がった星華ちゃんの声。
「店長ーーっ!こっちですぅ!」
コツコツ、とヒールを鳴らして歩いてくる。引き締まったラインのパンツスーツの中にはメタリックなキャミソール一枚。胸に真っ赤な薔薇でも刺さっていればもう完璧。皆様、いよいよ開演です!って違うか。
柏店スタッフ、船橋店スタッフ、川崎家、みんな揃った。グラスを持った。
声が上がった。
浅葱ちゃん!
お誕生日おめでとう!!
あぁもう、また目の前が霞んじゃうよ。大好きな人ばかりのパーティ。星華ちゃん、本当に幹事やってくれるしさぁ。
指先で濡れたところを拭う私の肩へそっと触れた温もり。タカ…隣に居る高い彼の顔を見上げた。照れくさくって、笑った。
席に着いた後、膝の上へ大人しく置いた自分の手を見下ろした。ううん、正確には手と共にあるもの。先日、貰ったもの。
「あーちゃん、全然飲んでないじゃん!フルーツばっか食べて…」
向かい側の星華ちゃんが料理をいっぱいに詰め込んだハムスターみたいな顔で不思議そうに覗き込んでくる。あ、そうだった。私はやっと思い出した。
言うタイミング、すっかり忘れてたって。
あの…
私は立ち上がった。みんなの話し声が止まった。こちらに注目した。
遅れてタカが立ち上がった。顔を見合わせた。うん、と同時に頷いた。
「遅くなってごめんなさい、ご報告が…」
えっ…
もしかして…!?
ざわつき始める会場。みんな察してるとわかる。でも…多分、ちょっと違うっていうか…
口を開く前、私は思い返した。手元を見下ろした。綺麗な輝きに。
一ヶ月前、タカから貰った。言ってもらった。これからまたいろいろ始まるねって夜じゅう話をした。それからわずか一週間後。
「タカ…あのね…」
パソコンに向かう彼に恐る恐る近付いた。私の様子、いつもと違うってわかったのかな?心配そうな顔にまた胸が高鳴って。
それでも言った。打ち明けた。嬉しそうに、本当に嬉しそうに、みるみる晴れていった彼の顔は今でも鮮明に思い出せるくらい。
20代の真ん中を超えたからだろうか?睡眠発作や睡眠麻痺の頻度は減ってきて薬はもうほとんど飲まなくなってた。そのいくらか解放された気分の為なのか彼に対してもっと素直になってた。温かさを分け合うことを覚えていってた。今、左薬指にある、これを貰う前から一緒に過ごす時間は増えていたんだ。
私は瀬長浅葱。彼は千葉巳隆。別々の姓。まだ変わってない。変わるのはこれからだったんだ。
そう、ちょっと…
順序が、ね。
この話をしたとき、母は浮かれ、父は少し悲しそうで、妹はやっぱり、ってな顔をしてた。巳隆ママは感極まって泣いた。
そしておばあちゃんは…
「な……っ…!」
白目を向いて卒倒しかけてた。
おじいちゃんは…
「Oh〜!congratulations!アサギ!!」
ですよね〜。
しばらく険しい表情をしていたシャーマン祖母。だけど数日後には母を通じて私にくれたんだよね。腹巻き、靴下、マフラー、手袋…ってもうどんだけ!って程、たくさん。
大丈夫、大丈夫だよ。もらった防寒具の山を前に一人語りかけてた。
大丈夫、私たちもう、大丈夫だから。
節約もちゃんとして、頑張ったから。
あと知っているのは船橋のカリスマ。その近くでニヤニヤしている船橋スタッフはさすがに知ってるんだろうね。ヒール履かなくなったんだからそりゃあ察する、よね。
さぁ、みんなにも伝えなきゃ。そう思っていよいよ口を開いた。なのに、先にみんなの方がざわめいたんだ。あれ?と不思議に思ったけどやがて気付いた。
無理もない。声より先に私の手が示していたんだから。
千葉…さん…?
いつかみたいに星華ちゃんの声がした。これ、デジャヴだけど…うん、大丈夫。
彼女が高く右手を上げた。親指を上へ立てて、叫んだ。
「グッジョブですっ!!」
ほら、大丈夫。
こうなるまでに時間がかかったことだって知ってる。時が解決する?いや、時に任せてばかりでは駄目だって、知った。
進まなきゃ。私の動ける時間は短かった。だけど、大切なのは長さじゃないんだ。それを教えてくれたのは…
支えてくれたのは…
開きかけた口を閉じて静かに息を吐いた。右手を彼の手へ、そして左手は私の真ん中へ。
ここにいる、新しい夢。
歩いて行くんだ、一緒に、旅をするんだ。
「浅葱」
隣から呼びかけてくれる、笑ってくれる、この人が、いる。
会場を見た。この人たちも、いる。
私は再び口を開く。
「みんな…」
しっかり届ける。届けてみせるって、思いを込めて。
ーーありがとうーー
この世界に居てくれて。
ーFinー
【特発性過眠症】…著者がその名を知ったのは本作主人公よりいくらか後のことでした。中学の頃から異様なまでの眠気に戸惑い始め、やがて私は何処かおかしいのではないか、と疑い出しました。不眠症は知っている、ならばその逆もあるのでは…と考えて家の医学書を漁りました。しかしそれらしきものは見つからず。インターネットもそれ程普及していない時代。何だ気のたるみか、と早々に諦めてしまった当時の私。
高校に進みました。やっぱり変でした。
専門学校に進みました。やっぱり眠過ぎました。
ある日浅葱と同じことをしました。痛みで眠気を振り払おうとしました。そこから辿ったルートも大体同じです。
電車の中、いつ眠ってしまったのかもわからず時には寄りかかってしまった隣の人に大声で怒鳴られました。遠方に勤務していたとき、目覚めたら元の駅まで折り返していたこともあります。上司には正直に伝えました。呆れられ、怒鳴られさえしませんでした。
ある程度大人になって、もう若い子とは呼ばれなくなるかな…ってあたりでやっとインターネットでその名を見つけました。【ナルコレプシー】…もしかしたらこれかも知れない、と考え、半ばすがるような思いで睡眠外来を訪れました。
出費は大きかった。だけどそれ程痛くは感じませんでした。私が私の身体をコントロールできないのは甘えじゃない、たるみじゃない、その根拠が手に入るのなら安いものだとさえ思いました。
結果、告げられた病名は別のもの。だけど十分でした。十分に根拠になりうると安堵しました。病院を出て、それを身近な人に伝えたい思いでいっぱいになりました。ほら、やっぱり私はこうだったんだよ、理由があったんだよ…今考えればすぐわかる、私は理解してもらいたかったのです。
親にも友達にも恋人にも伝えました。だけどその後、じわりじわりと広がってきた虚しさ。
ーー今のところ特効薬はありませんーー
ーー症状を抑えることならできますが…ーー
処方された薬剤は新薬で二週間程の量なのに高かった。続けられるかもわからない。知ってしまった以上、みっちり働くのもきっと、厳しい。何処で働いても長くは続かず転職ばかりしてしまった。年下の人が当たり前に上司をやっている。出世もできない。
何だ。何も変わらないじゃないか。歳をとって症状が和らぐのを待つだけ。いや、もしかしたらそんな日さえ来ないかも知れない。
知って何になる?わかってもらって何になる?私はしばらく塞ぎ込みました。様子を伺う周りの気遣いさえ鬱陶しいと思いました。あれ程わかってほしいと願ったのに、何と身勝手で矛盾した話でしょう。
こんな可愛げのない私から離れていく人がいても何ら不思議はなかったのです。だけどその後の私の身には不思議な出来事ばかりが続きました。誰も離れてはくれなかった。むしろずかずかと入り込んでくる人ばかりだったのです。
これが正解かと言ったら必ずしもそうとは言えないでしょう。放っておいてほしい人だってたくさんいます。だけどやがて知りました。そうじゃない。私の周りの人たちは私の性格を的確に捉えてそうしているのだ。声にならない“助けて”を聞き取ってくれているのだ、と。
幸いなことに私の睡眠発作は頻度を減らし、睡眠時間も徐々に短くなっていきました。薬ももう続けていません。これはいよいよ来たか、もう一度、始まる時が…!そう意気込んで無理ばかりしていたら今年の一月(最近ですね)ふらっと倒れた上にその後来る日も来る日も胃腸の痛みを繰り返しました。それからしばらく十分な睡眠を心がけていたらやがて回復しました。油断してました。まだ完全ではないようです。無念。
一度リズムを取り戻せば生活にもそれ程支障は出ません。十分な睡眠とは言っても昔程は必要としません。ほんのちょっと長いだけ。睡眠発作や睡眠麻痺もたまにあるくらい。それでも、私の青春はここから…!とばかりに突っ走ろうとする私を時々旦那が止めます。当たり前のことが嬉しくて仕方がない私を落ち着けとばかりにたしなめます。彼もまた離れてくれなかった一人、作中のあの人みたいに助けてくれた心配性兄さんなのです。
…と、ここまでが著者・七瀬渚の話。ここからはまた少し違う特色を持った瀬長浅葱の話です。
もうお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、瀬長浅葱(asagi senaga)は七瀬渚(nagisa nanase)を並び替えようとして生まれたアナグラムとも言えない中途半端に似た名前。このようにしたのは彼女と思いを重ね合わせる為、そしてなりたい自分として描こうとした為です。
私にとってキャラクターは空想の存在でありながら実際は自ら息をして歩いていく確かな生き物です。その足取りは書き進めるにしたがってより確かなものになっていきます。話数を重ねるごとに文章量も増す…それは浅葱の世界が広がっていくイメージを作る為の仕様ですが、それにしたって彼女は当初思っていた以上にアクティブに飛躍していきました。ラストの展開は予想外。ぐいぐい前へ行って新たな旅人まで宿してしまった。そして彼女自身も進み続ける。物語上は完結していてもです。
この作品で著者自身をモデルとしたのは実は浅葱だけではないのです。
変わっていく浅葱の元には人が増えていきました。支えられている…謙虚な彼女はそう思っていますが、実際は彼女も支えている。そうだとわかるのは砂雪、巳隆の視点から見ているからです。彼らにもまた私の経験が含まれています。むしろ睡眠障害の苦悩を除いては浅葱よりもこの二人の方が近いかも知れません。
口にできない孤独感に耐えていた砂雪。ほんわかマイペースに接してくれる浅葱にどれ程癒されたことか。
口にすれば誤解を招き敵を増やしていった巳隆。曲げずに真っ直ぐに自分の言葉を受け止めてくれる浅葱にどれ程救われたことか。
そう考えれば彼らが彼女を大切にするのは何も不思議ではなかったりするのです。自分のことのように胸を痛めて泣いたり、脇目も振らず駆け付けるナイトになったり、する訳です。
こうして動かしてみて私も知りました。書いている途中から気付きました。
望むのは周囲の理解、だけではない。自分も理解すること。理解を理解すること。どっちか片方では駄目、どっちもが歩み寄らねば成り立たない。それ程までに人は一人では生きられない。
障害のある、なし、に関わらず。
時代は変わっていく。早く早く、流れていく。それでも私は進んでいける。信じるその気持ちを忘れないことが未来を創っていく。
旅人・浅葱、それから巳隆。二人は幻想でも現実でも新たな旅人を生み出しては世に放っていくのでしょう。きゃっきゃと無邪気に走り回り、仲良く寄り添う姿は周囲の人間の内なる若々しさを呼び起こすかも知れません。
知的な妹・若菜。彼女のような子は世の風潮を変えていくかも知れませんね。一人では難しくても仲間を見つけて手を組めば、思い描く“綺麗事”もいつか成し遂げられるかも知れない。
柏のイケメンと船橋のカリスマ。迷える子羊たちを拾っては飴と鞭で逞しく育て上げ、強く美しく、新たな時代の女の姿を世に見せ付けていくでしょう。
私たちは一人では生きられない。それを認めるのは決して弱さではない。旅人は知っている。だから行く先々で人と繋がり、時に頼る。
最後に。自分で自分を信じられなくなったときは是非一度立ち止まり、辺りを見渡してみて下さい。立ち止まることも旅には必要です。そこで見つけられるものがあるから。
きっと見つけられます。あなたに支えられた誰かが今度はあなたを支えようと待っていたりします。誰も支えた覚えはない?そんなはずはありませんよ。
誰も支えずに生きていくこともまた、できませんから。
親かも知れない、恋人かも知れない、友達かも知れない、知人程度と思っていた人かも知れない。
“あなたが居てくれるだけで”
…これ、誰かの声です。
七瀬渚




