四つ夢
アサギ…
浅葱…
聞き慣れた声が呼ぶ。優しく続いていく響きに私はかぶりを振る。
何で…どうして…いるんだよ。見つけたくなかったのに…どうしてこっちに…
タカ……!!
叫ぶと同時に目を開けた。すっかり暗いけれどわかる、見慣れた自室の天井。いつもと変わらない現代の、こっちの世界の光景。
それでも続いている、手に感じるぬくもり。
浅葱…?
すぐ傍から声がした。私は振り向いた。
ベッドの傍、青い月明かりを放つ窓を背にした彼がこちらを覗き込んでいる。相変わらず表情の薄いタカ。それでもわかる。笑っているって。
「良かった、浅葱…苦しそうだったから…」
ドク、と心臓が跳ね上がった。生きているよ、と示すように速まる鼓動が私の身体を突き動かした。反射的だった。
「タカ……ッ!!」
起き上がるなり彼の首へしがみ付いた。込み上げる涙も抑えられないまま叫んだ。
「良かった…良かった…タカが、レオたちと同じ世界の人だったらどうしようって思った…!」
はぁ?と返ってくる訝しげな声。だけどその腕はしっかりと私を受け止めてくれている。タカはここにいる、その実感が更に涙腺を容赦なく攻撃してくる。
「何だそれ、レオって誰だ?」
彼は問う。そうだよね、そうなるよね、って今更可笑しく思った。嗚咽と堪え笑いが混ざって余計おかしなことになった。
しばらくはそうしてた。電気もつけないまま、月明かりだけに照らされたまま、時折よしよしと言って頭を撫でてくれる彼の温かさを、確かめてた。
ーーいくらか落ち着いた頃、私は彼に打ち明けた。今まで見てきた世界の話、レオやサキやモモのこと…
「すげぇリアルなんだな」
目を見開いたタカが言った。少し興奮しているのか上ずった声で。でしょ、と苦笑した私は続けた。
「さっきタカを見たんだけど、それもすごいリアルだったんだ」
詳細はあんまり言いたくないけど…
「その…体温とか匂いとかまで、確かで…」
そう、だから焦ったんだよね。こっちに戻ったときタカが居なかったら…なんて、今考えると馬鹿げた話なんだけど。
くくっ、と一人で笑っていた。そこに混じった。あ、と漏らす彼の声が。
「…ごめん、それ俺が起こしたからだわ、多分」
効果あるかなって思って…
ん、と私は笑い顔のまま顔を上げる。何故か戸惑ったような面持ちの彼が目の前に。
もう慣れたもんだと思った。コイツはいつもそうだ。こうやって意味深な発言ばかりするけれど実際聞いてみたら何のことはなかったりするんだ、と。
「起こしたって、何かしたの?」
いつかみたいに身体を引くそぶりをして聞いてやる。だけどタカ、何だろう、目が泳いで…?
「うん。だからごめん。勝手に…」
………
………うん?
どういうこと?と聞き返す前に一つ覚えのある言葉が浮かんだ。いつかの彼の声に乗って。
ーーお前が眠り姫なら…ーー
………
………えっ…?
何かとてつもないことに気付いてしまった。そう、まだ記憶に新しい。しっかりと覚えている。リアルだった声、息遣い、感触…
温かさ…
なっ…!思わず上ずった声が漏れた。どうしようもなく上がってくる熱に口を押さえながら。
「な、何、した、の?アンタ…」
え、と心底驚いたように目を丸くするタカ。それからまた目をそらす。後頭部をポリポリと掻きながら彼は言う。
「何って、そりゃあ…」
まっ…
待って…!!
答えが戻る寸前で止めた。ばくばくと暴れる鼓動に舌もまわらないまま。
「やっぱいい!言わないで!!」
直視もできないまま言い放つと、あ、そう、と言ってあっさり引き下がるタカ。あ、そう…じゃ、ねーだろッッ!!アンタ私の初…初…っ…
…っ!…だぁぁああぁッッ!!
しばらく続いた沈黙。いつだってしれっとしていた彼のやけにそわそわとした動きが視界の端に映っていた。そしてまた、声が。
「何か、ほんとごめんな…」
「謝らないでッッ!!」
叫んだ言葉の意味を理解するなり驚いた。これが本当に私の口から出たものなのか、と。そうだ、あれだ。謝るくらいならするなっていうそういう意味だ、と無理矢理に結論付ける。絶対言わない。言ってなんかやらない。ちらっと思ってしまったことなんて、絶対!!
なぁ、浅葱。
息を切らす私の元へ、やがて届いた静かな声色。顔を上げるとしれっとしたタカの顔が目に飛び込む。コイツ、私よりも早く落ち着きやがって、と睨んでしまうが当の彼はお構いなしだ。
「お前が描いたの?あれ」
そういって指で指し示す。壁掛けのコルクボード。満月の明かりのせいで割とはっきり見える、私の絵。
「海の絵ばかりだな」
「なかなか行けないからね」
「それ海なし県の人間に言う?」
「こっちも内陸だし」
どちらからともなくほんの少し笑った。それからまた話す。
「海、行くか?」
「まぁ、来年の夏にでも…」
「水着着てさ」
「それは嫌」
何だよそれって言う彼に、察しろなんて返してクスクスとまた笑う。今になって気になった。彼が私を起こした理由。
「ねぇ、タカ。私そんなにうなされてた?」
だけどまだ怖くって遠回しに尋ねる。はた、と止まった彼が一呼吸置いてから言った。思いもよらなかったことを。
「お前に話したいことがあって来たんだ」
え、と返す私に薄く微笑むとまた視線を投げる。青白く光るコルクボード上の7枚を見つめながら彼は言う。
「お前が行きたいなら連れてってやれるよ。俺、運転するし。眠ってようが起きていようが、傍に居れるんだ、ずっと」
浅葱…
一緒に暮らさないか?
ポカンとしていた。何?これは、何かの冗談?と思ってみるも真っ直ぐぶれずに見つめる彼の眼差しがそんな私の予測を全否定してくる。
「同棲…ってこと?」
「うん」
「付き合ってもいないのに?」
「じゃあ付き合うか?」
何だろう、何か、イラっとする。じゃあって何だよ、じゃあって。むすっとした顔をそむけて私は言う。
「何かそれ…やだ」
「同棲が?」
「…っ、じゃなくて…!」
言ってからまた熱が込み上げる。実感してしまう。何だ、さっきから訳がわからないのは私の方じゃん。言えば言う程墓穴を掘ってるマヌケは私の方じゃん、って。
「浅葱、お前はどうしたい?」
「………」
「俺は、な…」
彼はついに切り出した。更なるとんでもない思惑を話してくれた。
「前にも言ったけどお前の傍に居たいんだ。お前がこっちに戻って来たら真っ先に出迎えたい。帰りが遅ければ聞こえるまで呼ぶ。苦しんでいたら連れ戻すよ、何度でも」
瞬きも忘れて見入っていた。そんな私に彼はまだ続けるんだ。実に、容赦なく、言ってきやがるんだ。
「大丈夫だ。お前の帰る世界に俺は居る。待ってる。だからいつでも行ってこい。そんでいつでもここへ帰って来い。お前が望むならいつでも受け止める」
…それでいいだろ?浅葱。
もう耐えられない。霞んでいく私の視界と彼の笑顔。
何?何なのコイツ、何言ってんの?馬鹿じゃないの?って内心でどれだけ悪態をついてみても無駄だった。震える私の肩を彼の長い腕がまた包み込む。為す術もなかった。かなわなかった。
いや、本当は知っていたんだ。憧れも望むものも変わらない。そんなの最初からだったって、とっくに。
散々子どもみたいに泣きじゃくってヘトヘトになった私にタカは休めと促してくれた。ベッドに横たわる私の手をまた握ってくれた。
「帰らないの?タカ」
私が問うとうん、と頷く彼。
「泊まっていいって、おばさんが」
また勝手に…とため息がこぼれる。だけど今までとは違う。うんざりと気だるいのではなく、温かいため息だ。
「夕飯が出来たら声かけるって言ってた」
タカの声が言う。そうか、と納得しかけて、ん?と思う。今が何時だかは知らないがもうどっぷり夜。いつもより遅くないか?と。
まさかあの女、余計な気を回して?と考えたところでやめた。今はいい。だって今はこうしていたいから、って目を閉じた。
うっすらと、ゆっくりと、安らいでいく意識の中でタカの声が続いてた。まるで子守唄みたいに穏やかな調子で。
この街が好きなら俺が柏に来てもいいぞ?
それともお前が春日部に来るか?
なかなかいい街だぞ、あっちも…
そんなことを言っている彼の方がまるで夢を見ているみたいに聞こえた。目を閉じていても瞼の裏に浮かぶ、だらしなく緩んだタカの顔に、笑った。それから思った。
言わない。言ってなんかやらないよ。あのときちらっと思ったこと。
タカで良かった…そう思ったことなんて、教えてやらない。悔しいから。




