三つ夢
ーー女心と秋の空。いつか聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。意味だって知ってる。多分あっちで知ったんだ。
秋の空という比喩が相応しい複雑な女心なんて持ち合わせているつもりはないが、今この上空、生い茂る木々の間から見える空は今にもしめじめと涙しそうに曇っている。もう慣れた森の中で目覚めたときにはまだ晴れていたはずだ。それが歩くうち、ものの数分で陰った。経験値の低い私の心なんかよりむしろこの空の方がよほど女心と呼べるのではないだろうか。
やがて見えてきた白い教会。私は例によって観音開きの扉を開く。モモ、シン。例によって祈りを捧げる二人の背中に呼びかける。
ーーアサギ!ーー
ーーこんにちは。機嫌良さそう、だね?ーー
膝を着いたまま振り返った二人の麗しい妖精。本当に変わらず、美しく、わずかに哀しげだ。
シンの口にした言葉に私は頷いた。機嫌がいい…それもそのはず。今日はこの二人を驚かせに来たのだから。
私はごく慣れた祈りで杖を出現させる。それを軽く振ると星屑のような光が散る。驚く二人の身体を螺旋状に包んでいく。
ーーわあっ…!ーー
先に声を上げたのはモモだった。自らを包んでいるミルキーホワイトのワンピースに見入っている。滑らかな頬がほんのりと染まっていく。
シンの方も立ち上がりスカイグレーのチェスターコートをしげしげと眺めている。いくらか大人びた姿になっていることに気付いているだろうか。
ーーこれを…僕らに?ーー
はにかんだような笑みを浮かべてこちらを伺うシン。そう言えば彼のこんな顔を見るのは初めてだと気付いてつい頬が緩んでしまう。
ーーありがとう、アサギ!ーー
ーーすごく素敵よーー
まだ恥ずかしげなモモも何だかんだ気に入ってくれているようだ。私の顔にも抑えられない嬉しさが全面に浮かんだ。
ーーそう、これが最近私が身につけた魔法。色を拾い、生地を集め、思い描いたイメージ通りに形を成す。
私自身も意外だった。まさか服に対してこれ程の興味とやり甲斐を持つ日がくるなんて、と。
いつまでもいつまでも飽きはしないのかというくらいにチュチュの裾を宙に泳がせて小さく舞っているモモ。
シンも…いや、彼の方はと言うと、可憐な舞姫の姿にすっかり釘付けになっている。綺麗だよ、とでも言ってやればいいものを…と歯がゆく感じてしまう。奥手なのは相変わらずのようだ。
ともかくこんなにも喜んでくれるのなら埃っぽい密室にこもって作った甲斐があるというものだ。今度は何を作ってやろうか。もうとっととくっつけたいからいっそウエディングドレスとタキシードでもいいだろうか、いや、それだとあまりに唐突か…などと思考を凝らしていた。
そのとき。
キィィ……
射し込んだ細い光。
細く鳴く音を放つ扉の隙間から、よろり、とふらついて現れた細い、身体。
サ…
サキ……ッ!!
だいぶ久しぶりなはずだった。だけどすぐにその名が上がった。
青白い顔色、哀愁の帯びた弱々しい表情に、か細いシルエット…間違いはない。
それよりも更に目を引くのは今にも倒れそうな虚ろな目と定まらない足取り、身に纏った白いシャツと黒いパンツは所々ダメージ、いや裂けてボロボロになっている。おそらくは仕様などではない。
サキ…!!
空腹のヴァンパイア。血を吸われるかも知れないのに、噛み付かれるかも知れないのに、おのずと走り出していた。彼の元へ真っ直ぐと。
曲がった膝が崩れる前に抱き止めた。枝みたいに細くたってある程度の重量感はあり、私も一緒に崩れて座り込んでしまう。弱々しい息遣いを耳元に感じながら呼んだ。
サキ、サキ…
良かった、生きてて…!
ーーアサ…ギ……ーー
呼んでくれた、私の名を。実感を覚えると目の奥が熱く染みてくる。意識もある、記憶も健在、今はただそればかりが救いで。
熱くみなぎるものに涙腺と胸の奥を突かれたのは私だけではなかった。気が付くと恐る恐る近付いていた、彼女も。
ーーお兄ちゃん…!!ーー
その声が上がるなり、虚ろだったサキの目がはっきりと見開かれる。朝日の迫る夜明けのような色で彼女を見据えて戦慄く唇から声を放つ。
ーーモモ…ーー
ーー逢いたかった…っ!ーー
ごく自然な流れで私とモモの立ち位置が入れ替わった。しっかりと抱き合い顔を伏せて涙する妖精とヴァンパイアの兄妹。何故そうなったのか、当初気になって仕方のなかった経緯などどうでももはや良く思えてしまうくらいの確かな絆がひしひしと伝わってくる。
ーーそっか…ーー
やがて、ぽつりとこぼれた声はシンのものだった。安堵したような薄い笑みの彼が続けて言う。
ーーモモとあの人は、やっぱり兄妹…そして…ーー
ーーアサギはあの人の恋人、なんだね?ーー
うん、まぁ、最後だけは違うけど、今はそれでもいいと思った。生き別れの兄妹が再会できた。シンも安心して前へ進めそうな兆しを見せている。それなら別にいいではないか、と。
サキ。
こちらのことなどすっかり忘れている様子の彼に声をかける。
酷い格好だね。久しぶりに妹と会うっていうのにさ。
これ、着なよ。
それから杖を振って見せる。光の粒に巻かれていくサキの身体をやがて包んだペールアイリスの真新しいシャツ。下の方はまだ用意できていないが、腰から上だけならなかなかイケてる。とりあえずこれで勘弁してくれ。
ーーわぁ…すごく似合っているわ、お兄ちゃんーー
ーーありがとう、モモ。君も素敵だよーー
そのお似合いの服をこしらえた私をガン無視しているサキにはいろいろと物申したいところだがまぁいい。
それより…何だろう?この二人にはやっぱり訳ありな気配を感じずにはいられない。単に兄妹と呼ぶにはあまりに男女の特色が強過ぎるというか…
ーー人に言えない許されない恋とかさぁ…ーー
ここへ来てあっちで聞いた言葉なんかが蘇ってくる。今現在のことではないにしろ、やっぱりこの二人、過去に何か…などと思ってしまう私はすでに赤裸々なあのギャルたちの毒牙にかかっているのか。
探りたい気持ちが山々な私とすっかり安心しきったようなシンの側へやがて落ち着いたサキがやってきた。彼は言った。
ーーもう一人、逢いたい人がいるんだーー
何?まだ何かでてくると言うのか、と眉を潜めたとき、続きを告げられた。
ーー僕には今世、許嫁がいた。うんと幼い頃の約束だ。彼女はこの世界の姫…ーー
だけど…とこぼした彼の口から放たれた驚愕の事実。
ーー長い間逢うことも叶わなかった彼女は…その相手をアイツだと思っているーー
ーーレオだと…!ーー
握り締められた両の拳が悔しそうに震えている。これはまたえらいこった。見入る私は内心で呟いてみるだけ。
ーーえ、どういうこと?ーー
ーーアサギの恋人なんじゃないの…?ーー
訳もわからず問いかけてくるシンの声を横に感じながらどうすることもできなった。無理もない。私だって訳がわからないんだから。
お兄ちゃん…労わるように寄り添うモモと複雑な表情をうつむかせるサキを前に浮かんだことはただ一つ。
みんな苦労してんだ。
それくらい。




