二つ夢
『女の園』と聞いて人はどんな光景を思い浮かべるのだろうか。
「最近どーよ、彼氏と」
「はぁ?とっくに別れたし」
「マジ!?何で?イケメンなのにぃ!」
まぁね、そりゃあいろいろあるだろうしね、顔が良けりゃいいってもんでもないよ。
「だってアイツ身体目当てだもん。毎回、だよ?」
「きっも!」
そんなことを言ってはいけない。身体…きっと一緒にスポーツを楽しみたかったんだろう。趣味の相違が原因ですれ違うのもまたよくあることだ。
「アンタ乳だけはデカイもんね~」
「そうだよあの男、結局乳しか興味ないんだよ、乳しか!サイッテ~でしょぉ!?」
「ギャハハ!!」
チチ…ちち…ああ、父か。なるほど。彼女の父親に好かれることを念頭に置くあまり、彼女に父の話ばかりをしてしまった、といったところか。それともつい先走ってまだ若い彼女に結婚してパパになったらどうこうとかいう夢でも語って引かれてしまったか?将来のことまで考えてくれる関心な若者ではないか。
煙草は吸わないけれどとりあえず着いて来た喫煙所。私より一つ二つ程年下の裏若き乙女の話に耳を傾ける。
「ねぇ、あーちゃんも何かないの?恋バナ!」
「年上なんだからさぁ、いろいろ知ってそうだよねぇ」
煌びやかなスカルプネイルの飾る指に細い煙草を従えたまま、ずいっとこちらに迫る女の子。片方は隣の店舗の樹奈ちゃん(20)。学年で言うと一個下。もう片方は同じ店舗の年下の先輩・星華ちゃん(18)だ。ちなみにデカイ父を持つというのは後者の方である。樹奈ちゃんと同じように何やら白いものを持っているが…まぁアレだ。シガレット何とかとかいう懐かしいお菓子に違いない。煙っているように見えるのも疲れのせいだろう。
「いや、特に何もないですよ?」
「うっそ~!!」
「またまたぁ~!!」
大音量の笑い声を立てる二人はまるで信じていない様子だ。おてんばな子どものように見える子たちだが新参者の私にとっては先輩。年齢に関係なく勤務歴の長い者には敬語を使う。暗黙に広まったここのしきたりだ。
ここは柏市内のショッピングモール。現在のアパレルショップに勤務し初めて約一ヶ月。こんな話を振られるのは初めてではない。茶化す彼女たちに負けじと内心でのみ茶化してみたが、実際ある程度は知っている。少なくとも先程の“ちち”が父でないことくらいは。
「年の差の恋愛とかさぁ~」
どれくらいの年の差を言っているのだろう?一つ二つの違いじゃあきっと面白くないんだろうな。
「人に言えない許さない恋とかさぁ~」
いや、それ言っちゃったら元も子もないでしょ。あれば、の話だけど。
眩しく目を輝かせて詰め寄る二人を前に私はいやぁ…と返答にもならない声を漏らすばかり。期待に答えられず申し訳ないが、この平坦な身体の何処を絞ってみたってそんなものは出てこない。いい加減諦めて他にターゲットを絞った方が懸命だと言いたい。
「もう時間じゃね?入ったの同じくらいだよね?」
「えっ、マジ?」
じゅっ、と灰皿に煙草を押し付ける二人。新規商品大量入荷の為にいつもより人員を揃えている今日、珍しく星華ちゃんと一緒に休憩に出さされた私も椅子から腰を上げる。
まだ慣れない10センチ強のヒールを鳴らしながら従業員用の通路を二人で辿っていく。そしてまた隣から…
「あーちゃん、好きな人くらいはいるでしょぉ?」
この子、まだ諦めていなかった。このくらいの年頃の頭を占めるのは専らこんなピンクの世界なのだろうか。ナルシストヴァンパイアや訳ありの妖精と戯れるばかりだった私は経験したこともない。
まぁともかく、だ。彼女の期待は一刻も早く断ち切ってやらねばならない。ないものはない、と首を横に振って示したときだった。
ーー浅葱。
えっ、と思わず漏らしそうになる。
何で、何で今更…
っていうか、何でアンタ?
不意に浮かんだものに戸惑う私は自身の変化にさえ気付かなかった。代わりに目ざとく察した星華ちゃんの方が声を上げた。
「いるの!?」
やっぱりね!と嬉しそうにはしゃいでいる彼女。喜んで頂けて何よりですよ、先輩。だけど残念ながらその続きは出せそうにないんです。何故ならそう、自分でも意味がわからないから。
「付き合ってるの!?イケメン?」
「いえ、そういうのでは…」
私はかぶりを振る。そんな訳はない、と。
「じゃあ片思い?元カレ?」
私はまたかぶりを振る。そんな想いを抱いたことも、そんな仲になった記憶もない、と。
なんだぁ、と不満げな声を漏らす星華ちゃん。秘密主義だなぁ、あーちゃんは、と続けて言う。違う。
返答に困る問いをただ受け流すばかりの私の姿勢はポジティブな彼女の好奇心を返って煽ってしまったのだとすぐに知った。投げかけられた次の問いかけによって。
「じゃあ話変えるね!初めてって、いつ?」
「初めて?」
「初・体・験!!」
…うん、言わんとしていることは、わかる。そしてそんなものはない。
落ち着け、私。ただそのまんま答えればいいだけではないか。そう思うのに何故か…
「え…嘘」
ぽつり、と星華ちゃんの声が漏らす。私の顔はたまらない熱を帯びたまま。店はすぐ目の前。
突如バネのような巻き髪を振り乱しダダダッと走り出した星華ちゃんが勢いよく裏口のドアを開け放った。慌てて追う私には目もくれず、ちょうどストックに居た一人に声を大にして叫んだ。
「聞いて下さい、店長!大変ですぅ!」
あーちゃんってば、まだ…
「だああぁぁぁああッッ!!!」
私は久しぶりに大声を上げた。特に今の今まで恥じることもないと思っていたはずなのに何故こうなるのか自分でも驚いてしまった。
ーー遅番勤務の一日が終わって、デベロッパーへの書類送達、入金、とみんなで進めていく。
従業員通用口を出るとすぐ側にある喫煙スペースでまた喫煙者たちが煙草をふかす。吸わない者も先には帰らず待っているというのもまたしきたりだ。他店と比べてスタッフ同士の仲がいいうちの店。特に嫌々という訳でもないのだが。
「聞いたよ?純情なんだってね、浅葱ちゃん」
シャープな前下がりのボブがよく似合う店長が煙を吐き出しながら言う。半身のままこちらへ送る流し目。彼女がこれをするとチャラいというよりかはむしろ男前だ。
「っていうかぁ、奥手なんですよぉ。もっと経験した方がいいよ、あーちゃん!」
「星華は要らん経験までし過ぎなんだよ。前の男は身体目当ての浮気野郎、その前なんてヒモじゃん。連絡の取れないそいつの借金を今だに肩代わりしてるとかさぁ、少しは男を見る目を養えよ」
「店長、酷いですぅ!男運がないんですってばぁ!」
夢中で抵抗する星華ちゃんの指には今にも火種が付きそうに迫っている。なるほど、危なっかしい。
付いていけもしないこんな会話の中、思うことは一つ。みんな苦労してんだ、ってことくらい。冷静に諭している店長だってあからさまに只者じゃないオーラが漂っている。探るのも怖いくらいに。
「男運のない星華の為にも…ねっ、店長?」
「行っちゃう?」
あ、ヤバイ、この流れは…
そう察して強張るもどうにかする余裕も手段もない。そんなこちらの状況も知らず星華ちゃんはすでにはみ出しそうに大きな両目をそれこそ華やぐ星の如くキラキラ…いや、むしろギラギラ輝かせている。準備万端と言った様子の彼女が大声を上げる。
「やったぁ!!行きましょ、行きましょ~!イケメンいるかなぁ」
はい、オワタ。クラブ行き確定。
そもそも遊びはっちゃけることがメイン。絡んでなんぼ、ナンパしてなんぼなそんな場所で男なんぞ探すからろくでもないことになるんだろ、と突っ込みたい気持ちは山々だが、すでに動き出している流れの中、さすがに言えるような勇者ではないのだ、私は。
母の迎えに断りの連絡を入れ終えた私の内心は複雑だった。正直、騒がしい場所は苦手だ。せっかく稼いだ金もバブルの如く一晩で弾けてしまう。だけどそれ以上にもっと気がかりなこと…
「あーちゃん、早く!」
「出会いのチャンスなんだから出遅れちゃ駄目だよぉ」
遅れ気味な私へ振り返る仲間たち。アホなくらい騒がしくて時に迷惑で、それでも私を受け入れてくれる明るい明るい人たち。
男との出会いとか興味ない。面白い恋バナも持ち合わせていない。だけど…
「はい、すいません」
私は笑って歩き出す。いろいろ見てみたいと思った。感じてみたいと思った。経験に長けたこの人たちと一緒に。
…失った時間を、取り戻したいから。




