第二章『強さを求めた果てに』《可能性の塊》
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フェリスのパン屋、ブロード・ホームズ・ベーカリーへと帰ってきた俺は、精神的に疲れた自分をお風呂というものを使ってリフレッシュしようとした。
てか、外国は入浴文化があまりないとか何とかって聞いてたけど、この世界に入浴文化があって本当によかった。風呂のない生活とかありえないっしょ。疲れ切った体を癒すのは熱いお風呂って相場が決まってんだよ。
剣を自分の部屋に置いて、勢い良く部屋から飛び出しす。
「風呂だ風呂ーうぇーい」
と、風呂場のドアを開けたとき、俺の目に入ってきた光景、それは肌色だった。日本人とは違うちょっと白い肌色が目に映る。
その正体は一体何なのだろうか。
しっかりと上から下へ、下から上へと視点を動かす。
うん、これはどう考えてもフェリスとフローラだよね。うん。
初めて見たよ。自分と近い年齢の、女の子の裸体をね。
それはとても神秘的で、光り輝いて見えて、真に美しいものだと思った。
それと同時に、俺の額には嫌な汗があふれ出し、とんでもなく気持ち悪いことになっていた。早くその気持ち悪さを取り払うためにすぐにでも風呂に入りたいものだが、どうやらそれは許されないらしい。
目の前にいるフェリスは自分の裸体をバスタオルで急いで隠し、顔を真っ赤にして俺を睨み付ける。その横にいるフローラは、姉のフェリスの後ろに隠れて恥ずかしそうに顔を朱色に染めて照れていた。
対照的な二人を見れたのだが、眼福だなんて思っていない。
思いたいのは山々なのだが、それどころではない。
「アンタって奴はぁぁぁあああ――」
だって、鬼のように怒っている彼女がそこにいるのだから。
「ここから出ていけぇー!!」
「この俺が力負けをしている……!?」
俺の身体はいとも簡単にフェリスによって押し返されただと……。相手は片手でバスタオルを持ち、もう片方の手で俺の体を押している。つまり、両腕ではなく片腕のみの力だというのに、身長一七〇センチメートルを超えている男性を押し返してやがるのだ。
そして、閉じている脱衣所のドアにその身が当たろうとしている。このままでは、ドアに激突し、更なる不幸が降り注ぐかもしれない。ドアを開けなければ――右腕を伸ばしてノブを掴んで回し、力一杯に引っ張った。すると、勢いよくドアが開いてくれた。これで安全にここから脱出することができる。
脱衣所から出た俺はスムーズにフェリスを切り離し、この場から逃げて弁明する気でいたのだが――
「あ……」
足の裏が濡れていたのだろう。完全に拭き取られていなかった水が足の裏と床との摩擦係数を減らし、滑りやすくなっていた。そのフェリスの身は容赦なく宙に浮き、彼女体重が俺の身に思いっきり襲い掛かる。
まさかの攻撃に対応できなかった俺は、その後頭部を床に打ち付けるという結末を迎えることとなった。
「いってええええええええええええええ!!」
頭部の激痛によって頭がくらくらとする中、身の上で動くものがあった。
フェリス!?
全裸の身を彼俺の胸に預けるということは、彼女にとって許し難いことだったらしい。
そりゃそうだ。そんな事して何にも感じないのはビッチ女くらいだろうさ。ある意味じゃ、俺は安心したぜ。フェリスが純情な少女だった事をな。
「あわわ、あわわわわ!! 嫌あああああああああああああああああああ!!」
そして、後頭部の次はこめかみに激痛が走る。
視界がブラックアウトし、次に俺が意識を取り戻したのは約一〇分後の事だった。
「俺は一体何を……!? ウッ……頭が痛てぇ」
なぜ自分が脱衣所の前で寝っ転がっているのか覚えていなかった。頭に激痛が走ったのは何となく覚えているが……何で頭に激痛が?
俺の横にはフェリスがいて、心配そうな、でも怒りも混ざり合った顔をしていた。なぜそのような顔をするのか、直前の記憶が曖昧な俺には分からなかった。
「あれ、フェリス? 俺、どうしちまったんだ? なんで、こんなところで寝てんの?」
「それはねぇ……ア、ン、タ、がぁ! 私たちの裸を見たからでしょうが!!」
「な!? …………あ」
思い出した。あの白く、美しい肌の事を。
「思い出したかなぁ~? ねぇアルト。アンタ、どんなお詫びをしてくれるわけ? それともここから出ていく?」
その声は、妙に優しげだった。その優しい声の主、フェリスの表情はとても怒りに満ちたものであり、俺は思わずその身を素早く起き上がらせ、彼女から逃げるように後ずさる。
こうなっては、もう言い逃れはできない。
なら、ここは誠意を見せるしかないのだ。俺が元々住んでいた世界の、日本という国に伝わる深い謝罪をするときの礼の一つ。そして、その更なる発展形であるアレをやるしかない!
「すみませんでした。マジでスマンかった。ほんと許して。俺から寝床だけは奪わないでくれよ。ほんと、すんませんでしたぁぁぁああああ!!」
と言いながら、歩斗はその場で高くジャンプし、これ以上ないくらいに綺麗な体制――まるでプールへの高飛び込みのようなフォームで床へとその身を飛び込ませる。そして掌をなめらかに床に張り付け、平伏する。
これぞジャパニーズDOGEZAである。
しかも、その発展形であるダイナミックDOGEZAだ。これ以上の詫びを示す行為はあるまい。
この全力全開具合、この際プライドなんてものは捨てて自分を守ることを優先しなくてはならない。もうすでに外は暗く、まだこの地をよく知らない俺が外に出ると迷子確定だ。だから絶対に寝床を失うわけにはいかないんだ!
「あらぁ? アンタ、いつもの威勢はどこにいったのかなぁ? そんな簡単に頭を床に押し付けるだなんて、プライドっていうものがないの?」
なんだぁ? こちとら頭下げて、しかも地面に額擦り付けてんだぞゴルァ!! これ以上どうしろてってんだよ!? それにプライドがないのかだって? そんなの――
「あるに決まってんだろうが! ふざけんな! 好きでこんな事をしてるわけねーだろうがよ!」
「あーうっさい! 分かったから。私はぁ、心が広い女の子だしぃ、今回のことは水に流してあげる。よかったわね!」
「う、ウゼェ……」
「何か言った?」
「いえ、何にも言ってねーっす」
「で、どうだったのよ、ユクラシア様に会ってきて」
急に態度をあらためるフェリス。どうやら、本当に水に流してくれたらしい。
そして、俺はユクラシア・カストゥスと会ってきたときの事を伝えた。
まず、彼が抜いた剣は、やはり自分が使ったときのみに力を発揮するものだという事。その証拠に、王様が剣を持ったときに何も感じることができなかった。
そして、この世界でどのようにして生きていけばいいのか教えてくれた事。この世界に降り立ってしまった以上、尻込みせずに物事にぶつかるという事。様々な理由をつけて行動を起こさない者は一生結果を出すことはできない、という言葉を貰った。
それから、一番重要な事がある。
「俺さ、ラウンドテーブルに入る事になった」
フェリスは困惑していた。何を馬鹿なことを言っているのか、と思っているのだろう。
そりゃそうだ、あの騎士団はすべての騎士の憧れ。騎士をするにあたってのゴール地点とも称される場所だ。そこに剣もまともに振る事のできない俺が入団できるはずがない。
「アンタさ、そんなつまんない冗談はいらないって」
「冗談なんかじゃねーよ。俺は明日からラウンドテーブルに正式に入団する事になってる。だからさ、明日からパン作り手伝う事が難しくなるかもしれねーからさ。ごめんな、三日坊主みたいになっちまって」
「あ、あの……本当に、行くの?」
声が震えるフェリス。だが、そんな彼女のこともお構いなしに歩斗は答える。
「おう。もう決めたことだ。この世界をもっと知りたいんだよ、俺は」
「アルトは、騎士になるってこと? パン職人にはならないの?」
「ごめんな」
「騎士ってとても高貴な存在なのよ? 国を守護する者で、強さの象徴。馬を駆り、剣を降り、名声を得る。それはとてつもない努力が必要で、常人では絶対になれないような、そんな職種なの。それにアルトがなるって? 無理よ、無理に決まってる!!」
「ああ、騎士を志した奴の八割は諦めていくような厳しい世界だって事はクラウディアさんに聞いたよ。だけどさ、俺は目指したいんだ。やるだけ、やらせてくれねぇか?」
「意志は固いのね。やっぱり三日坊主のクソ野郎ね」
フェリスの言い分だって分かる。一緒に仕事をやって、パン作りだって俺は上手くやっていた。この三日間の仕事は楽しかったし、フェリスもすごく楽しそうにしてた。それは俺だって理解してる。
それを、俺は捨てると言っているようなものだ。もうフェリスは要らないと言っているようにも聞こえるだろう。だが、それは違う!
「俺は騎士になる事を決めた。だけど、パンも作る。パン作りは思いの外楽しいからな」
「な、ならさ、アルトはパン職人になればいいんじゃ、ないかな? 私が、もっともっと、教えてあげるから――」
俺はフェリスの言葉を遮るようにして言う。
「尻込みせずに物事にぶつかりなさい。何も考えず、行動もしない者は、これからずっと結果を出すことはないのです――あの王様の言葉だよ。こんな俺でも、人の言葉にシビれちまう事ってあるんだな。俺はその通りだと思った。だから、俺はやろうと思った事を思った通りにやろうと誓ったんだ」
「ねぇ、アルトらしくないよ……。もっと面倒くさがりで、結構いい加減なところがある。それがアンタでしょ!? なんでそんなに、急にしっかり者になってんのよ? 騎士ってあんな風にキラキラしてるように見えるけどね、その裏側では血を吐くような思いをしてんのよ? 物凄く苦労すんのよ? 本当に騎士になるの!?」
いつにもなく感情的に話すフェリスに俺は戸惑いを感じながらも、自分の想いを正直に話す事にした。嘘を吐いても、その嘘は何の幸福ももたらされないから。
「目的を達するには、やりたくもないことをいくつもやらなくちゃならない。それを苦労だって思ったのなら、そいつには、その目的を目指す資格なんかないんだ」
フェリスは言い返せなかった。
「俺の親父の言葉だよ。ガキの頃に言われた言葉だ。さっき思い出した。今思うと、凄く良い言葉だと実感するよまったく」
「アンタのお父さんは、しっかりしてるのね。物事をちゃんと子供に教えてる」
「ああ。でもガキの頃はその言葉の意味を分かってなかった。それから俺は親に見放され、そうして今、あらためて父親のことを尊敬しそうになった。俺って都合のいい奴だよな」
「そんなことはない。アンタは元々、そういう人間なのかもしんない。そうやって他人の言葉に影響を受けて、自分をあらためようって思える人。それは、人としっかり関わろうとしないとできないんじゃないかな?」
俺にとって不良というものは孤独にならないための仮面に過ぎなかった。惰性に生きた結果、周りに合わせるには悪い人を演じていなければならなかった。本当の自分を封じ込めて。
そしてここ最近、その仮面が壊れつつある。ここではそんなものは必要ない。もう不良なんてものを演じなくてもいいのだ。ありのままの自分でいればいい。そうすれば、おのずと本当の自分というものが見えてくるはずだ。
俺は、フェリスの言葉を受けて自分というものが少しは分かった気がした。
「そうかもしんねーな。自分で自分に嘘をついていたのかもしれない。でも、その嘘もここで終わりにする。本当の自分を始めるためにも、俺は騎士にならなくちゃなんねーんだよ」
フェリスはきゅっと、口元を引き締め、それと同時に両手を握りしめていた。
きっと、何か決意したんだろう。俺と同じく、何らかの選択をしたんだ。
「ごめんね。引き止めないって言っておきながら、思いっきり引き止めてるね、私」
「ま、まぁ、突然のことだったからな。そりゃ、混乱してもしょうがないさ」
「うん、ありがと。まぁ、頑張りなさい。あのラインスっていうラウンドテーブルのトップの座を奪う気で挑みなさいよね!」
「おう、任せとけって!」
「それから、フローラにもちゃんとこの事を伝えなさいよ」
「ちゃんと分かってるよ。これから言うつもりだ」
「あらそう。なら、そうしてあげて。じゃ、おやすみ」
「あ、ああ。おやすみ」
フェリスは勢いよく階段を上って行った。その階段には、ほんのちょっとだけ濡れているところがあるのに俺は気付かなかった。
◆
その正体は涙。フェリスは泣いていたのだが、彼女は歩斗に見せまいと必死に我慢していた。だけど、最後まで我慢できなかったのだろう。階段を上っている途中で、涙があふれ出てしまった。
自分の傍から、歩斗がいなくなってしまった。本当はこれから一緒にパン屋を営んでいきたかったのに、彼は騎士になると言いだした。これでは一緒にパン作りをするなんて難しくなってしまう。
その事実に、彼女は悲しみを覚えた。
彼女は急いで自分の部屋に駆け込み、思いっきり泣いた。涙が出てこなくなるまで、自分の気持ちがスッキリするまで、泣き続けた。
なんで、なんで、こんなに悲しいのよ……。
◆
俺はフローラの部屋を訪ねる。
「フローラ、話があるんだ」
いつもと違って、フローラは本を読んでいなかった。その代りに、紙にペンを走らせていた。どうやら、例の小説を書いているらしい。集中しすぎているせいか、俺の存在に気付いていない。
近づくと、紙には英語によく似た言語で何かが書かれていた。
英語っぽいけど、俺には読めねーなぁ。こんな事なら、英語を勉強しておけばよかった。……ん? そういえば、今さらだけど、なんで日本語で話せてんだよ?
まぁ、とりあえず、この事はまた今度、王様か誰かに相談しようと思った。
「あれ? アルトさん!? 何か御用ですか!?」
焦りながら紙とペンを隠すフローラ。やっぱり恥ずかしいのか。
「ごめんな、邪魔しちゃったみたいで。でも、大事な話があるんだよ」
「大事な話ですか?」
「ああ。……俺はな、騎士になる。明日、俺はラウンドテーブルに入団するんだ」
「え……本当に……?」
「あぁ、本当だ。俺は間違いなく、ラウンドテーブルに入団するんだよ」
「す、すごい……。すごいよアルトさん! 私、応援してますから。カッコいい騎士さんになってくださいね。約束ですよ?」
「あぁ、約束だ」
フェリスと違って、フローラは俺が騎士になることに対して否定的ではなく、肯定的だった。意外とすんなり話が通って拍子抜けしちまう。
とりあえず彼女は応援してくれると言った。まるで、自分の事であるかのように喜んでいるのだから、俺は、それに応えようと思った。