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第一章『君と会うために』《パン屋の朝》

  3


 夢の中では、俺は元の世界に戻っていた。

 そこはとても冷たくて、何一つ心が温まらないつまらない世界。周りが悪意に満ちていて、良心なんてものは見られない。ただ、当たり前のように過ぎていく毎日で、刺激なんてものは感じられなかった。


 世の中には刺激に満ちた毎日に追われる人は少なからずいるだろうが、俺という男はそういう類の人間ではなかった。悪い奴らにと一緒につるむ毎日。それは流れに身を任せた結果であり、惰性に生きてきた結果に他ならない。

 つまり、目標も、生きがいもなく、だらだらと過ごす日々だった。


 金に困ればその辺の学生を捕まえて、暴力で脅して金を奪い取る。

 その金は何に使うかといえば、ゲームセンターで遊ぶかカラオケに行くか、タバコを買うか酒を買うか。そうなれば、二時間と持たずに奪った金は消えていく。


 そんな、人として最低な事を続けてきたのだ。

 今更その自分を否定しようだなんて思わない。

 だが、変な世界に飛ばされ、これからが何だかとても充実した日々となっていく予感がするのは、気のせいではないだろう。俺は、今この現状に、何らかの期待をしていた。


 あぁ、今は現実なのだろうか。夢なのだろうか。

 そんな疑問が頭をよぎる。

 その瞬間――


「起きろやあああああああああああああああああああああああ!!」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!?」


 激痛に声を上げながら何が起こったのか確認する。すると、腹の上にはフェリスが座っていた。いや、片膝が俺の腹に刺さっていた。


「痛てえなオイ! 何しやがる!?」

「アンタが起きないからじゃない。さ、仕事よ、し、ご、と! アルトはこれからこの時間に起きること、いいわね? さぁ、さっさと工房に来る。いい?」

「分かったけどよ、一つ教えてくれ。今何時だ?」

「四時二〇分よ。パン屋の朝は早いの。さ、早く起きなさい!」


 と言ってフェリスは部屋から出ていった。

 パン屋って、こんなに朝早いのかよ……ナメてたわ。パン屋ナメてたわ。はぁ、早速やる気がなくなってきてるんだけど。まぁ、仕事しなかったら今日の夜、俺はどこで寝ているかも分からないから行くけどさ。


 まだ寝ていたい身を無理やり起こし、階段を下りて工房に行くと、フェリスが何やらパンの生地を見つめていた。どうやら、どういう段取りで焼いていくのか考えているようだ。


「あら? 意外とお早い登場だこと。アルトのことだからベッドの上でまだうだうだしていると思ったわ」

「俺としても仕事をやらずに捨てられて明日から野宿、だなんてゴメンだからな。やることはやるよ。で、俺は何をすればいいんだ?」

「まずは顔を洗って髪を整えなさい。話しはそれからよ」


 寝起きで、頭は寝ぐせで酷いし、悪人面は寝ぼけている顔でもっと酷いことになっている。確かにこんな格好で人前に出るのは恥ずかしい。

 身なりと言うものはとても大事なのは理解してるさ。特に、接客が基本になる仕事ではなおさら。俺だってバイトぐらいした事ある。

 洗面所で顔を洗う。冷たい水が顔を刺激し、眠気もそれで多少なりと吹き飛んだ。


「はい、タオル」


 そっけない感じでタオルを渡してくるフェリス。だが、俺にとってそういった好意を受けること自体馴れていないから、戸惑いを隠せなかった。つか、めっちゃ恥ずかしく思ってしまった。


「お、おう、さ、さんきゅー……」


 ぎこちない言葉で感謝の言葉を返す。


「あ、寝ぐせもひどいね。えっとじゃあ、私の部屋に来なさい。直してあげるから」

「は?」

「だ、か、ら! 寝ぐせを直してあげるから私の部屋に来なさい。アルト、櫛も何もないでしょ?」

「まぁ、そうだけどよ、その、いいのか?」

「いいに決まってるでしょ。むしろ、そんな頭で店に立ってもらっちゃ困るの」

「わ、分かったよ。じゃあ、その、お、お願いします……」


 フェリスの言われるがままに一度二階に戻って、フェリスの部屋にお邪魔した。

 とてもキレイにされていて見栄えは良いのだが、女の子の部屋にしては何だか寂しい印象を持つ。必要最低限のものしかない。ベッドに机、衣服を入れておく棚などしかなかった。


「はい、ここに座る」


 俺は言われるがままに机の椅子に腰かけた。

 フェリスは霧吹きと櫛を取り出して、丁寧に寝ぐせを直し始めた。


 この状況に、俺はただただ緊張した。女の子に寝ぐせを直してもらうなんて、生まれて初めての経験だ。頭を撫でてくれたのも、幼少期に母親がやってくれたくらいしかない。

 正直、俺は緊張しすぎて何も言えなかった。

 このままでは会話も何もないまま気まずい時間が流れていく。

 すると、フェリスの方から話しかけてきてくれた。助かった……。


「そういえば、アルト、アンタ何歳なの?」

「は? 歳? えっと、あー、じゅ、一七歳」

「あれ? 私と同じじゃん。なんだ、同い年だったのか、ふふふ」


 そっか、同い年だったのか。

 いや、ちょっと待て。


「まてまてまて、お前、その年で店を一人で経営してんの!?」

「ええ、そうよ。お父さんとお母さんが死んでから、この店は私が支えてきたわ」

「ちなみに、お前がこの店を支えるようになってから何年目だ?」

「今年で、えーと、三年目かな」


 俺は驚愕した。三年前と言ったら、つまり一四歳ではないのか。その年と言えば、まだまだ脳みそがお花畑なガキそのもの。俺なんか、アホな事ばかりやっていた記憶しかない。

 そんな時にフェリスは、一人でパン屋を経営していたという事なのか。


 正直、歩斗はただただ関心してしまった。話しを詳しく聞いてみると、自分ではできないようなことを彼女はやっていた。そして、その努力が認められ、今もなお、この街を代表する人気のパン屋となっている。


 この新しい環境で、新しい人生を歩み始めたら……どうなるのかな?

 フェリスの下で、このパン屋を営んでいく。

 それは、あんなクズな不良生活から脱し、やり直すチャンスなんじゃないか?


 具体的に何をすればいいのか、どうやり直せばいいのか俺には分からない。でも、そんな一筋の光を見た俺の心が揺らいでいたのは確かだった。


「はい、終わり!」

「お、おう、さんきゅー」

「じゃあ、これから仕事をしてもらうんだけど、最初だし、店の周りの掃除をお願いするわ。砂埃とかを箒で掃いて、ショーウインドーを綺麗に磨いてもらいます。終わったら私に言ってね」

「りょーかい。まかしとけよ」


 こういった掃除の仕事はアルバイトで経験済みだ。だから、別に嫌ではなかった。むしろ、掃除ほど楽な仕事はないと思ってる。だって、接客しなく良いんだから。

 俺は恥ずかしながら敬語を使うどころか丁寧語ですら上手く使えない奴だ。そんな奴が接客したらどうなるのか。おのずと想像はつくだろう。そう、仕事にならない。俺には精々裏で力仕事をしてもらうか掃除してもらうかの二択になっていた。


 さて、箒や塵取りなど、掃除用具を持って外へ出る。

 現在時刻はまだ五時ということもあってか、人通りはまったくない。しかし、開店時間の一一時になれば、パンを買い求めるお客様が現れるはず。そして、昼時が一番のピークとなり、忙しくなるはずだ。


 箒で店前の塵を掃き、一か所にまとめて塵取りで取る。ただそれだけの作業。あぁ、なんて簡単なのだろう。


 一方、店の中にいるフェリスはパンの生地を弄り始めていた。どうやら、パンの成形を行っているようだ。

 しかし、歩斗はそういった知識がないので、今フェリスが何をやっているのかよく分からない。だけど、ちょっと気になってしまう。なんだかんだ言って、俺もちゃんとした人間なのだ。人間は知ることを楽しむ性質がある、というのは聞いた事がある。つまりそういうことだろう。俺は知らない世界に興味が出てきている。

 ま、俺にパンなんて作れるわけないか。さて、次の仕事だ。


 ショーウインドーの掃除に取り掛かろうとしたとき、ガラス越しにフェリスと目が合う。彼女はニカッと笑顔になると、せっせとパン生地をかまどの近くへと運んだ。

 どうやら、俺は完全にパン作りというものに興味もってしまったらしい。やってみたくてしょうがない。


 とりあえず、早くこの作業を終えようと、俺は新聞紙に手を伸ばす。

 ガラスの清掃に新聞紙を利用するのは有名な話だ。その原理は、新聞紙のインク油の成分がガラスに付着した油を分解するからだ。親父(オヤジ)のせいで、こんなどうでもいい雑学は詳しいけど、たまにしか役立ったことはない。


 まずは、新聞紙をクシャクシャにしてぬるま湯で湿らせる。これでガラスを上から下に向かってギザギザを描くようにしてこすればいい。そうすれば、ガラスに付着した油が取れ、ツヤが出てくる。


 ショーウインドーという事もあって、中々広い範囲をすることになり、俺ひとりでは少々時間がかかってしまうが、それはしょうがないことだ。今はとにかくガラスの清掃を終わらせることだけを考えて行動に移せばいい。

 全体的に拭き終わったら、今度は濡らしていない新聞紙で、下から上に向かって円を描くように拭けば終わりだ。


 なんということでしょう。あれだけ曇っていたショーウインドーのガラスが、まるでそこにガラスがないかのように透き通っています。匠の新聞を使ったガラスの清掃は、ガラスにツヤを出し、とてもキレイに仕上がりました!

 なんて、ちょっと古いか。


 さて、与えられた仕事を済ませた俺は掃除用具を持って店内へと戻る。


「おーいフェリス、終わったぞー」

「あら? 意外と早かったわね。しかもガラスがあんなに透き通っているだなんて。アルトは意外と仕事ができるのね。びっくりだわ」

「意外と、は余計だっての。次は何をすればいい?」

「そうねぇ……。まだ六時前だし、じゃあ、私とパンを焼く準備をしましょうか」

「お? 俺がやってもいいのか?」

「ええ。いずれはアルトにもパンを一緒に作って貰いたいし、覚えるなら早い方がいいでしょ?」

「おう、正直こういうことをやってみたかったんだよ」

「あら、そうなの。じゃあ、やってみましょうか。ちゃんと手は洗ってよね」

「へいへい」


 俺は手をしっかりと洗い、フェリスの横に立った。


「これから始めるのは成形という工程よ。パン作りは小麦粉、イースト菌、バター、塩、砂糖、水、牛乳などを混ぜてこねるところから始まるの」

「よく分からないが、とりあえずパンを作るための材料を混ぜりゃいいんだな」

「最初はそんな理解でいいわ。それから一次発酵、ガス抜き、分割し生地を丸め、次に生地を休ませるベンチタイムを経てからの成形になるわ」

「なるほど分からん」

「まぁ最初はそんなもんよね……。とりあえず、パンの形を作っていくんだけども、私の真似をして」

「お、おう」


 緊張気味になっている俺は、なんとか見様見真似でパンを成形していく。

 まずは生地に溜まったガスを抜き、丸く伸ばす。そして、くるくると巻き、丸める。この時の巻き終わりはしっかりと閉じなくてはならないらしい。


「次に、閉じ目を上にして、しずくのような形にするの。おっけー?」

「おう、大丈夫だ!」

「じゃあ次は、生地の中心から上を麺棒で左右にちょっと伸ばす」

「こ、こうか? 分からん」

「うんうん、おっけおっけ。アルト、アンタ中々センスあるじゃない」


 俺の不器用な手つきを見ながらフェリスは微笑んだ。ちょっと気恥ずかしいけど、この空間が楽しく思えてきてるのは、良い事なのかもしれない。


「お父さんとお母さんが死んでから私一人でやってきたけど、アンタがいると何かと違うわね。何と言うか……うん、楽しいわ。とっても」

「そ、そうか」


 あまりにも可愛い笑顔でそんな事を言われたら動揺するしかないじゃないか。

 待て、俺、コイツを可愛いって思ったのか? いやいやいや、そんなわけない。だってほら、もう真剣な表情でパンの生地を向ってるじゃないか。


 それよりもフェリスの両親が死んでいたとは……。俺と同い年だってのに親からこのパン屋引き継いだって言ってたからもしやとは思ったけど、彼女があまりにもサラリと言いやがるからあまり突っ込まない方がいいのかもしれない。


「そしたら、下を持って生地を伸ばすの。これくらい伸びたら、巻いていきます」

「分かったよ」


 目測、だいたい二五センチメートルくらいだろうか。それくらいまで生地を伸ばし、彼女が言った通りに生地をくるくると巻いていく。このとき、巻き始めは芯を作るように、指で押して固めるのが大事らしい。それから、きつく締めすぎないように軽く丸めていく。


「お? やっぱりこれはバターロールだったのか!」

「そうそう。てか、アルトって意外と器用なのね……。初めて作るにしては上手いわ。正直、パン作り始めたばかりの私よりきれいにできている気がする。意外な特技が見つかったわね」

「そうかな? まぁ、俺も我ながら上手くいったと思ってるよ」


 それにしても、この世界のパンは日本のモノと似ているな。

 ふわふわの食感と、もちっとした食感はまさに日本のパンそのものだ。

 この世界の外観は西洋のものに近いが、食文化についてはその限りではないみたいだ。


 つくづく、この世界は俺が知っている世界とは違うものだと自覚させられる。もしかすると、この食感が生み出せるからこそ、フェリスのこの店は一七歳という若さで人気店と言う栄光を掴み取ることができたのかもしれない。


「そうね、悔しいけどアンタはパン作りのセンスあるかも」


 正直、俺自身もビックリだった。まぁ、作り馴れているフェリスの作ったものと比べれば、それは足元にも及ばない出来だ。だけど、初心者が作るにしてはとてもキレイにできているなって自負してる。


「よっしゃ、この調子でどんどんやってこうぜ!」


 それから、俺はパン作りに夢中になってしまった。

 きっと不良がパンを作っている光景は、知っている人から見ればシュールなのかもしれない。


 だけど、ここでは不良である俺を知っている人はいない。つまり、また新しい自分を始めることができるのかもしれない。そんな希望を持ってしまう。

 ケンカもやってたし、弱い者を見つけては恐喝して金を奪っていた俺でも、新たなスタートラインに立つことができるかもしれない。

 そう信じて、俺はパンを作っていく。


 それからもう一時間以上経っただろうか。

 現在時刻は七時半を過ぎようとしている。

 あらかたパン生地の成形を終えた俺たち二人は朝食の準備に取り掛かる。だが、俺は料理ができない。できることと言えば、先ほど習って作ったパン生地の成形くらいしかない。


 だから、朝食の調理は完全にフェリスに任せよう。俺が手を出したって足手まといになる未来しか見えない。

 フェリスが作る朝食は、トーストと目玉焼きとハム、そして千切ったレタスとミニトマトと言った簡素なものだった。だけど朝食はこの程度が丁度良いと思う。


「はい、じゃあ、アルトはこれをフローラのところに持って行って。で、あの子の話し相手になって欲しいの」

「は? フェリスは?」

「私は残ってるパン生地の成形を終わらせなくちゃいけないしね。だから、アルトがあの子の話し相手になってあげて。フローラはいつも本ばかり読んでるから、アンタと話すだけでもいい刺激になると思う」

「分かったよ。まぁあのフローラって子とは昨日軽く話したっきりだからな」

「うん。親睦を深めてきなさい」


 俺は自分とフローラの分の朝食を持って二階へと上がる。

 フローラの部屋の前に立ち、ノックして起きているかどうか確認すると、中から弱々しい声で「どうぞ」と聞こえてきた。

 部屋の中に入ると、彼女は昨日会った時と同じようにベッドに入りっぱなしで、本を読んでいた。


「あ、アルトさん! おはようございます。あ、朝食ですか? わざわざ持ってきてくれてありがとうございます」

「ああ。えっと、それ、何読んでんの?」


 朝食が乗っかっているお盆を手渡しながら聞いた。


「え、これですか? さて、なんでしょうね? えへへ」


 そのフローラはとても嬉しそうだった。なぜそんなに嬉しそうなのかは分からない。

 正直俺自身も困惑していたし、こんな風に無条件で自分のことを()いてくれるなんておかしい。しかも、昨日チラッと挨拶しただけなのに。


「あのさ、何でお前はそんなに嬉しそうなんだ?」

「それを聞いちゃいますか? 内緒ですぅ」


 フローラは誤魔化すようにハミカミながらパンをちぎって食べた。

 しかし、彼女が考えている事が分からないし、そもそも俺はフローラの事をまったくもって知らない。フェリスは親睦を深めて来いって言ったし、ここは俺から色々と話を振ってやらないと。


「やっぱ本が好きなのか?」

「そうですね。私は見ての通り身体が弱くて、家の中を歩くのですら一苦労しますから。そんな私でも色んな世界に実際に行ったような気にさせてくれる。だから、私は本が好きなんですよ」


 そういえば、フローラがなんで体が弱いのか分からない。

 だが、本人を目の前にそのことを聞くのも失礼だろう。とりあえずその疑問を胸の中へとしまう事にした。


「そんなに本が好きなら、フローラは自分で書いたりしないのか? もしかしたら、その本が売れまくってフェリスよりも稼げるかもしれないぞ?」

「え、えっとぉ……それは、そのぉ……か、書いてます」

「え? なんだって? 最後の方が聞えなかった」

「だ、だから、もう書いているんです!」

「マジかよ!? なぁなぁ、俺に読ませてくれよ」

「ダメです。まだ完成してませんし、なにより恥ずかしいですし」

「そっか。じゃぁ、気が向いたら読ませてくれよ」


 俺もパンにかじりつく。外はサクサク、中はふんわりとしていて、少しだけもちっとしていてとても美味しかった。


「これ美味いな。お前の姉は一流のパン職人だな、マジで」

「当たり前ですよ。自慢のお姉ちゃんですから」


 お互いに笑い合う。

 そして、俺は思った。

 こんな風に笑いながら人と食事を取る事ってとても楽しいな。

 さっきフローラになぜ嬉しそうなのか尋ねたけど、彼女の気持ちが分かる気がする。やっぱり、こうやって他人とお喋りして、仲良くなるってのはとても楽しい事なんだ。


 俺は思い出した。小さい頃、家族そろって食事を取っていた事を。そして、それがとても楽しかったという事を。


「なんで、こうなっちまったんだろうな」


 俺はつぶやく。


「あ、あの! その! 気を落とさないでください。きっと、アルトさんは元の世界に戻れます!」


 フローラは何を勘違いしたのか見当違いな事を言ってきた。いや、彼女が言ったことも実際問題重要な事ではあるけど、俺が今問題視しているのは食事の事だ。


「いや、そうじゃなくて。なんていうか、こうやって他人と楽しい食事をするのはいつ振りだったかな、って思ってさ。俺って、根っからのダメ人間だし、不良だし、基本的に孤立しちまっててさ。いつも一人ぼっちで飯食ってた。だから、今この時が楽しく感じてんだよ。笑えるよな、お前みたいなクズが何をぬかしてるんだ、って思うよな」


 実際そうだった。普段の素行が悪いと、何をやっても悪者になってしまう。別に何もやってなくても、何かトラブルがあった時は真っ先に疑いの目が向けられる。だから自分は何もやってないと言っても完全に疑いが晴れることはなった。

 そんなイメージがこべりついているせいか、何を言っても、どんな良いことをしても、お前が何を言ってるんだ、と一蹴りだ。俺の発言には見向きもされない。


「そんなことはないです。アルトさんは、どこかに熱い正義の心があるはずです。たとえ普段の素行がよくなかったとしても、根本的なところは腐ってないです。だって、今も食事を私と一緒に楽しんでる。それは心が綺麗な人じゃないとできませんよ。だから、安心してください」

「そうか?」

「はい。……そ、そうだ。歩斗さんのいた世界について教えてくださいよ」

「俺がいた世界?」

「はい。私は気になるんです。また違う世界が存在するのだとしたら、これほど気になることはありません」


 俺は、そもそもあまり良い印象を持っていない自分の住んでいた場所を思い出した。


 世間は冷たかった。

 一度輪から外れたものは、その輪の中に戻ることが困難になってしまう。それはきっと、その輪から外れた奴は異端な奴だと判断されるからだ。


 味方になってくれる奴なんていない。もし、味方になったとしたら、そいつまで異端な奴だという扱いを受けてしまうからだ。そういう空気が、そこにはある。だからこそ、そこから抜け出せない。場合によっては一生泥の中だろう。

 周りに合わせないと、そこでは生きていけない。


 人はひとりでは何もできない生き物だ。孤独というものを恐れる生物だ。

 だから人は、そうならないように必死に生きている。それが、人として正しい姿だとしても、間違った姿だとしても。

 そんな世界なのだろう。少なくとも、俺はそう思っている。


 いや、そんな話はしない方が良いよな……。もっと楽しい話題を出さねぇと。

 俺は先ほどまでのネガティブな想いを捨てて、もっと楽しい話題を探した。

 特にこの世界にはなくて、自分の世界にしかないもの。

 考えればたくさん出てくる。


 建物の話しとか、乗り物の話とか、そういう話をフローラしてやった。特に、飛行機の話にフローラは興味津々だった。鉄の塊が大空を飛ぶなど、この世界の人物には想像し難いものだろう。つまり、俺がいた世界の科学技術の方が遥かに発達していた。


 その影響は、奇跡や魔法の存在が大きいのだろう。

 だからこそ、科学と言うモノの進化が大幅に遅れているこの世界には家電製品というものが存在しない。そもそも、家庭用の電気が存在していないのだ。

 たとえば、暗闇を灯すものは火か、もしくは魔法の力に頼るしかない。


「アルトさんの世界は凄いんですね。奇跡や魔法がない代わりに、科学技術が発展してる。人間は、常にないモノの実現を追い続けてるんですね。科学者さんは、凄い人たちです」

「まあね。俺みたいなバカには無理だけど、凄い奴はとことんやるからな。だって、名誉な賞が渡されるくらいだし。それによって沢山のお金も稼げるし、色んな人から賞賛される。まったく、俺には想像できない世界だよ」

「そうですねー、私も想像できないです。私にできることなんて限られてますから」


 そんな話をしながら食事を進めていく。

 フローラとはとても話が弾む。

 俺にとって、それはとても奇妙な体験だった。

 彼女が俺に興味を抱いているのは、別の世界から来たからだろうか。

 おそらくはそうだろう。それ以外には考えられない。


 じゃねーと、俺がこんな扱いを受けるわけがない。

 いや……でも、ここの奴らはみんな俺に優しく接してくれるじゃねぇか。フェリスも、フローラも、神父のおっさんも、あのガキどもも。なんでこんなにも俺に都合が良いような関係を築けんだよ……。まるで夢のようじゃ――。


 その時、俺は思い止まった。


 これ以上は考えたくなかったのだ。どうしてそう思ってしまったのかは、俺には分からなかった。

 だが、そんな俺でもそれがとてつもなく嫌な事だというのは分かった。


「どうかしましたか、アルトさん?」


 フローラは純粋な目で俺のことを見つめる。


「いや、なんでもねぇよ」


 すると、フローラは怪訝な表情を向けて来た。今彼女が何を思っているのかは分からない。何を言われるかと思うと怖くなる。俺と言う存在が否定されてしまうのが、とてつもなく怖いんだ。


「もし、今このときが夢かなんかだと思っているのなら、 それは大きな間違いですよ。アルトさんは確かにここにいます」


 何を思っているのか、まるで筒抜けで俺はドキッと心臓が跳ねた。

 俺には今このときが夢か現実かだなんて判断はつかない。なにせ、俺が今経験している事は、違う世界に飛ばされてしまうという現実味がない事だから、判断できないのは仕方がないだろうさ。


 では、なぜ、俺はここに連れて来られたのだろう。

 誰が望んでこんな事をしたのだろう。

 すべては、あの神父が言った通り、あの岩に刺さった剣の力によるものなのだろうか。


 じゃあ、なぜあの剣は突如として現れたのだろうか。

 なぜその剣は俺を――岸波歩斗(キシナミアルト)を連れてきたのだろうか。


「アルトさん?」


 何の返事もない俺のことが心配になったのか、フローラは不安な表情になりながら俺の顔を見つめてくる。


「あ? あぁ、そうだな。これは現実だ。受けとめねーとな」

「はい、そうです! アルトさんは、ここでお姉ちゃんのお手伝いをしてます。それは、私が証明します!」


 笑顔になりながら胸を張るフローラ。

 それは、フェリスとは違ってとても女性らしかった。

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