終 章『その後、彼はこの世界にて』
悪魔、ナイトメアとの死闘から数日が経った。
その戦いで負傷したラウンドテーブルの騎士は一五人以上に達する。そして死亡に至ったのは三人だった。
客観的に見れば、悪魔相手にたったそれだけの被害で済んだと言えるだろうけど。当人たちからすれば、死者が三人もいると言ってもいい。本当なら死傷者なしで終わりたかったのは当然の想いなはずだ。
その三人の死体が棺桶に入れられ、俺を含め、ラウンドテーブルの騎士たちは棺桶に一輪の花を入れていく。
正直、俺にとってあまり関わり合いのなかった人ではあるけど、それでも仲間の一人には変わりない。
周りには涙を流す騎士たちがいるが、俺は涙を流さない。いや、流せなかった。別に悲しくないわけじゃない。それでも涙を流してしまうまで気持ちが昂ぶらないのも事実。
この状況で、涙を流さない俺は、場違い野郎なのかな? クソが……。
「涙が出ないのか?」
隣に立つラインスは静かな声で尋ねてくる。
「あぁ。他のみんなは涙を流しているのに、俺は泣けないんだよ。そういうお前も泣けないみたいだな」
「確かに、この俺は涙を流していない。それは人々がそれを望んでいるからだよ。この俺は、この国最強の騎士としてここに立っている。それゆえ、弱さを見せる事は許されないんだ」
何だよそれ。俺よりクソッタレな状況だな。
「辛いな、それは」
「あぁ。だがな、俺はそれを受け入れているんだよ。しかし貴様は違う。貴様は俺たちラウンドテーブルとの関わり合いが少ないだけだ。なら、これから作っていけばいい。お前はもう立派な騎士であり、ラウンドテーブルの一員なのだからな」
それだけを言い、ラインスは去って行った。
俺はもう一度棺桶に入っている遺体を見た。
それはかつて仲間だった人たち。
もし、この三人が生き残り、仲間としてこれから自分と仲良くなっていく事ができたとしたら、どれだけ楽しかったんだろう?
俺はそれを想像して急に悲しくなった。その想像した光景はただの妄想でしかない。
悲しいが、これが現実だ。
仲間というものは良いものだ。それに囲まれているだけで幸せな気持ちになる。心が温かくなる。自分の原動力になってくれる。自分を変えてくれたのは仲間だ。
この世界に来て、新しい仲間ができたからこそ、今の俺が生まれたんだ。
「これからやるべきなのはその恩返し、か。死んだ仲間の為にも、俺はもっとこの国に貢献しなくちゃならねぇんだよな」
俺は自分の世界のやり方で死んだ三人の騎士を見送った。両手を合わせ、合掌する。
そして、彼らに小さな声でメッセージを送った。それはその三人に聞こえるわけがない。それでも、俺は言った。自分に言い聞かせるためにも。
「あなたたちの分まで、俺はこの国の人たちを守ってみせます」
そして、俺はナイトメアを仕留めた騎士として一躍有名人となってしまった。
国王ユクラシア・カストゥスから直々に表彰され、結果その地位を少しではあるものの上げる事となった。魔法も奇跡も使えないような騎士が悪魔を討伐したというその雄姿は、ラインスやクラウディアさんによって語られ、国民の耳に入る事となった。
それによって出た影響と言えば……。
「アルト! 早く動きなさいよ!!」
俺が暮らしていて、時々仕事しているパン屋、現在フェリス・ランという女の子が営業しているブロード・ホームズ・ベーカリーがいつにも増して大盛況になっている。
元々人気パン屋であった彼女のお店だが、俺の影響でいつもよりも何倍もの仕事量になってしまった。
今日は先日のナイトメアとの戦闘の療養という事もあり、休みをもらっている俺だが、せっかくの休みを結局仕事で潰していた。まぁ、楽しいし、久しぶりにフェリスと同じ仕事ができたからいいけどさ。
久しぶりに俺がパン屋の手伝いをしている事もあってか、フェリスはいつにも増して張り切っていた。その表情は忙しさのあまり辛そうにしている……わけではなく。何だかとても嬉しそうだった。
彼女からしたら、待ちに待った俺とのお仕事なんだ。
だから俺も、それに答えてやらないと。
「ねぇ、アルト」
「ん? なんだよ。俺はパンを焼くので忙しいから手短にな」
「私、今とっても楽しいよ!」
そのときの彼女の表情はとてもキラキラしていて、本当に充実感溢れているのが伝わってくる。そこまで喜んでくれるなら、俺も張り切らないわけにはいかない。
「俺もだよ、フェリス」
そう言って、テキパキとパンを焼いていく。何だかんだで、この姿はまるでパン職人みたいなんだろうな。俺の本職は騎士だっていうのに。
そうそう、俺に女性ファンができていた。いやー、こんな不良で、悪人面だって言うのに黄色い声援を受けれるってのは優越感があるよね。アイドルにでもなった気分だ。
それもパン屋がいつも以上に賑わっている理由にもなってる。悪いなぁフェリスゥ。
まぁ、俺は常に工房でパンを焼いているから滅多に表に出ないけどな。というか、フェリスが絶対に表に出てこないようにと耳が痛くなるほど言ってきたから、という理由もあるんだけど。
自惚れてるわけじゃないけどぉ、俺が表に出てきたら、ァンが押しかけてきて店内がパニックになってしまうのは目に見えているからな。あと、別の理由もあるみたいなんだけど、フェリスはそれを一向に話そうとしない。なんだってんだ?
「あの、こんにちは」
聞き馴れた小さな声が聞こえてきた。
フェリスはその声の方へと向くと、そこに居たのは金髪をポニーテールにした青い瞳の可愛らしい女の子だった。
「あれ、今日はどうしたんだ?」
「あのね、お手伝いに来たの。フェリスのおねーちゃんに言ったらアルトのおにーちゃんを手伝ってくれる? って」
「そっか。じゃあ、一緒にパン作るか!」
「うん!」
俺は前にフェリスに教えられたようにエリナにレクチャーしてあげた。
エリナはとりあえず手を洗い、エプロンを着てバンダナを頭にかぶった。その姿はまるで天使にでもなったかのような……いや、いかんいかん。教える事に集中しないと。
パン作りをレクチャーすると言っても、すでに前の日から焼くパンの準備ができている。
朝には成形を済ませ、あとはパンを焼くだけになっているんだ。でも、パンを乗っけてる鉄板は重くてエリナにはその仕事をするのは無理だろうし、第一つまんない。だから、かまどに入れたパンが焼きあがるまで俺はパンの作り方を教えてあげる事にした。
俺がこの世界で初めて作り方を学んだパン、バターロールをエリナと一緒に作る。
「じゃ、一緒にやろっか?」
「うん!」
俺は後ろからエリナの手を掴み、どんな風に作るのか教えてあげた。
最初はよく分からないからな。こうやって動きを直接教えた方が分かりやすいだろ。
そのときだった。
「キ・シ・ナ・ミィー? 一体貴様は何をしているのだ?」
その声はクラウディアさんだった。
「そうだよキシナミ君! そんな小さな女の子を白昼堂々と襲うだなんて、クズにもほどがあるよ、最低だよ!」
そして続けてキャロルの奴がそんな事を言いやがった。
「失望したよ、アルト」
そしてラインスに失望された。
いいぜぇ、俺を煽ってそんなにケンカしたいってんなら、受けて立ってやるよ!!
って、そんな事をしてる場合じゃない。アイツらからしたら、この状況――いかがわしい事をしている様にも見えない……よな?
「待て待て待てえええええええええええええええ!! お前らは何か誤解をしている。エリナにいやらしい事なんてしてないからな! 俺がエリナに教えていただけだから」
「一体何を教えていたんですかねぇ?」
キャロルがまるでゴミを見るかのような目でこちらを見てくる。
もうやめてほしい。正直勘弁願いたい。
「だからパン作りだって!」
「そんな事は知っている! お前をからかっただけだとなぜ気付かない!」
ラインスがキリッとした顔で言った。
「たち悪すぎだろお前ら……。本当にからかいに来ただけなら帰ってくれ、仕事の邪魔だからな!」
「そんな冷たい事言うなよアルト。せっかく訪ねてきたんだからさ」
ラインスは歩斗と肩を組んだ。この二人はナイトメアとの戦いからというもの、それなりに親しい関係を築いている。俺とラインスは助けた助けられたの関係で、プライベートでは良い親友となっていた。
「分かったよラインス。じゃあ、手伝ってくれよ」
「よし。では、俺らは何をすればいい?」
「とにかく、みんなでパンを作ってみるか。それが一番楽しめるだろうからな。作り方は俺が教えるから」
ラインス、クラウディアさん、キャロル、エリナの四人は俺の指導の下パン作りをやってみた。ラインスはやはり完璧を求められる人間だけあって、パン作りも完璧にやってのけていた。
一方、クラウディアさんは意外とこういう料理は苦手の様で、少し残念なものが出来上がった。だが、このクラウディアが作ったパンより酷いものを作った人がいる。
キャロル・クーパーである。
俺たちはみんなでバターロールを作ったはずだ。なのに、キャロルの手元にはただの丸いものができていた。
「お前……不器用にもほどがあるだろ。なんだよコレ、何パン?」
「うるさいな! 私はあんまり料理しないんだよ、悪かったわね!!」
「はぁ……どうしてこうも女騎士たちは料理できないんだ。それに比べてエリナは上手だなー。ほんと偉いぞ!」
「えへへ」
俺に褒められてにこやかに笑うエリナ。天使や、天使がここにいるぞー!!
キャロルは俺とエリナのやり取り見て頬を膨らませていた。
なんだぁ? こんな天使の頭を撫でられる事に嫉妬しているのかぁ? それともパンの事を褒めて欲しいのかぁ? でも残念だったなキャロル、お前のパンは採点不可能だ。
「そういえばさ、キシナミ君の事さ、アルト君って呼んでもいいよね? ほら、約束したじゃん? ナイトメアと戦う前に、名前で呼ぶからって。ねぇ、いい?」
あれ、違うのか?
「あ? あぁ、そういえばそんな事約束したっけな。まぁ、俺は別にいいけど」
「やた! じゃあ、アルト君、私にパン作り教えて欲しいな!」
「それは私が教えてあげる。だから、安心してくださいね、キャロルさん?」
いきなりズイッと現れたフェリスによってキャロルは連れて行かれた。
キャロルは硬い笑顔を作っていた。
「あー嬉しいなぁ。フェリスさんに直々に教えてもらえるだなんて」
言葉に感情がこもっていないのが酷く恐ろしい。正直、その光景を見た俺とラインスはその身を一歩下がらせた。
そして、エリナは何が起こっているのか分からずに首をかしげるばかりであるが、それでいいのだ。無垢な子供が女性の汚い部分を見るにはちょっと早すぎる。
「アルト、あんた表やって!」
「え!? 俺は表に出ないはずじゃなかったか? どうして――」
「うっさい、緊急事態なのよ!」
「は、はい! 分かりましたフェリス様ッ!!」
会計の方へ向かおうとすると、その後ろからもう一人ついてきた。
「アルト、俺もそっち行っていいか? あの空間に男俺一人というのはいささかキツイものがあるからな」
ラインスが泣きそうな顔をしながら言ってきた。あれ、ラウンドテーブルの頂点は弱さを見せちゃダメなんじゃなかったけ!? ま、まぁ、誰にでも弱点はあるよね!
「う、うん、そうだな。よし、じゃあ、エリナもこっち来るか。いや、来なさい!」
「え、でもアルトのおにーちゃん……」
「いいから。そこにいたら見なくていいものを見てしまう。お願いだ!」
「う、うん、分かった」
戸惑いながら俺の方へ駆け寄るエリナ。その後ろには女性陣の静かな戦いが繰り広げられていた。無言で三人がひたすらにらみ合う図は恐ろしいものがある。あれが女性というものだとしたら……ひぃぃ!! ヤバい! あれはヤバい!!
エリナ……あんな女に育ってはいけないよ。ホントマジで。
結局、俺とラインスが表に出てきた事でパニックになり、営業どころじゃなくなったのはご愛嬌。
それでも過去一番の売り上げを叩き出した日だという事は間違いなく事実だった。
そうして一日が過ぎていった。
本日の営業時間が終わり、ラウンドテーブルの三人とエリナの四人と別れる。
エリナはラウンドテーブルが責任を持って送り届けてくれるらしい。今日で初めて彼らの騎士らしい所を見た気がする。
そして、ようやく落ち着く時間を手に入れた俺とフェリスはあらためて向かい合って話を始めた。
「なんというか、色々とお疲れ様。あの戦いからすぐだってのに、悪かったわね」
「いいって。こういう暇な時間を使わないとパン屋の仕事、手伝えないからな。ま、なんだかんだで楽しかったから全然問題なしだ」
「そっか、そう言ってくれると助かるわ。ねぇ、体の方は本当に大丈夫なの? 無理してない?」
「全然。完全復活だよ。もう休みはいらないくらい。だから今日、こうやってパン屋手伝ったんじゃねーかよ」
「そっか、それもそうね。今頃かもしれないけど、本当にアンタが生きて帰ってきてよかったって思ってる。悪魔と戦うって聞いたとき、もう会えなくなるんじゃないかって不安だったんだよ?」
「それもそうだろうな。てか、何回か死にかけてるし、こうやって生きて帰ってこれたのもフェリスたちのおかげかもな」
「どういう事?」
「この前戦った悪魔、ナイトメアは精神的な攻撃を仕掛けてきたんだ。でも、それを乗り越える事ができたのはフェリスたちがいたから。だから、俺は絶対に生きて帰ろうって思ったんだ。そのおかげで俺は生き延びる事ができたんだって思うよ」
今回戦ったナイトメアの攻撃に耐えきったのはその事が一番の要因だと思って
る。夢を見せられて、精神をゴリゴリと削られても、立ち上がる事ができたのはラインスだけのおかげじゃない。フェリスもフローラも、キャロルも、クラウディアもいたから耐える事ができたのだと俺は思っている。
「ふ、ふーん。それはこっちとしても嬉しいわね。アンタの中で私は結構大きな存在だったんだ?」
「そうだな。死んじまってフェリスに会えなくなるのは辛いよ。これはマジでな」
フェリスは押し黙ってしまった。
ひたすら顔を真っ赤にするばかりで、次の言葉が中々口から出てこない。
俺も、結構恥ずかしい言葉を吐いちまったなーって後悔してる。
「あ、あ、あ、そんな、えっと、アルト、その、ありがとう」
「ん? どういたしまして?」
「…………お、おやすみなさい!!」
逃げるようにしてフェリスは階段を駆け上がって行った。途中で踏み外して膝を強打しててとても痛そうだったが、それでも忙しなく自分の部屋へと駆けこんで行った。
おやすみ、というには少しばかり気が早い時間なのだが、俺はあまり深く追求しない事にした。
そして、フローラは部屋で一人ベッドで横になっていた。
昨日、フローラは岸波歩斗に助けられた。彼は目を覚ますなり、まだ回復しきっていない身体にムチを打ってすぐにフローラの下へに駆け付けた。そこにはいつも通り本を読むフローラがいて、歩斗は安心した。
それから結構な日が経ったが、未だに彼女は一人で歩くのにもひどく苦労している。
彼女の身体が弱い理由はナイトメアではなかったようだ。では、一体何が彼女の身体を蝕んでいるのだろう。
まだまだその謎は解き明かされないようだ。
「フローラ、まだ起きてるか?」
「はい、大丈夫ですよアルトさん」
歩斗はフローラの部屋に入って、いつも通り二人でおしゃべりをする。
「あらためてお疲れ様でしたアルトさん。とってもカッコいい騎士さんになりましたね」
「そうか? 俺カッコいいかな?」
「はい! とっても、とーってもカッコいいです! もう、私専属の騎士にしてもらいたいくらいに!」
「ははは、それは無理かな。でも、俺の中で守るべき人にフローラも入ってるから。それは安心しな。もし何かあったらいつでも俺を頼っていいから」
「早速騎士らしい事を言いましたね。私、すごく感動です」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないですよ! 私はアルトさんを尊敬してます!」
魔法も使えない騎士というものは非常に物珍しい。いや、この世界において魔法も使えない騎士など存在しない言ってもいい。だが、その珍しさも上手く使えばそれこそがステータスとなる。魔法が使えなくても騎士になる事ができるという事は、それこそ新たな可能性を提示してくれたに他ならないからだ。
それで一躍有名人になった歩斗は尊敬の目で見られるようになっていた。
今までそんな風に見られる事がなかったせいで、彼はとてもむず痒い体験をした。
そしてフローラにも尊敬していると言われてしまった。だが、フローラに言われても歩斗は不思議とむず痒さを感じず、むしろ嬉しさを抱いた。
「その、ありがとうな。じゃ、じゃあ、俺は風呂に入って寝るかな。おやすみ!」
先ほどフェリスが慌てて逃げていった理由が少し分かった気がした。たしかに、褒められたり心配されたりすると恥ずかしい。とても良い事であるのだが、逃げ出したくなるくらい恥ずかしかったのだ。
そして、一人残った部屋で、フローラは呟いた。
「もっと、もっとやらないと、どんどん私から離れていっちゃう……」
それは少し悲しげな顔だった。
そして、休養期間を終えた俺はまた、騎士として歩き出す。
「行ってらっしゃいアルト」
「おう。じゃあ、行ってきます」
二人は見つめあい、まるで夫婦のようなシチュエーションになった。
ちょっと恥ずかしいな。
少し顔を赤くしながら、馬にまたがろうとした。
その時だ。
店の奥から誰かがこちらに向かってくるのが見える。今この家にいる人物は一人しかいない。病弱で、一人で立ち上がって歩くのもままならない女の子。本を読んだり、物語を書いたりするのが大好きな人。
フローラがよろよろと、壁を支えにしながらこちらに歩いてくる。
俺はそれに気づき、急いで家の中に戻りフローラの身体を支えてあげた。
「おいおい、無茶すんなよ。そこまでして俺を見送りに来なくたっていいのに」
「えっと、やっぱりこうやって見送りたいって思って。迷惑でした?」
「迷惑じゃない。むしろ嬉しいよ。でもさ、無茶してフローラの身体に何かがあったら悲しいからさ、そこらへん考えてくれ」
「ごめんなさい。でも、私は大丈夫です。自分の身体は自分が一番分かってますから。えっとね、私からやってもいいですか?」
「ん? なんだ?」
「行ってらっしゃいアルトさん」
そのとき、頬に何か温かいものが触れたのが分かった。ちょっと濡れていて、とても心が揺らいで。それでもって、嬉しさがあふれ出してきて。
その光景を見たフェリスはフローラに駆け寄った。
「な、な、な、何やってんのフローラ!?」
「何って、行ってらっしゃいのちゅー? 私、こういうのやってみたかったんだぁ」
「だからって、コイツでやらなくても……ほら、アルトからも何か言ってやって!」
ひたすら頬に残るわずかな温もりに意識が行ってしまって、まず今起こった事を理解するのに必死だった。今、何か声が聞こえたけど、ちゃんと聞き取れなかった。
「ねぇ、アルトさん」
「…………ハッ!? な、な、なんだよフローラ」
「いつまでも、私の事を守ってくださいね。約束ですよ?」
「お、おう! 任せとけ!」
「二人で話を進めないでよ!!」
フェリスは密着している俺とフローラの身体を引き離した。フローラの事を抱える彼女は心臓がバクバク言って破裂しそうになっていた。なぜそんな事になっているのか分からないが、とにかくフェリスもこの状況に混乱しているようだ。
「ねぇお姉ちゃん」
「な、何よフローラ」
「負けないから。いくらお姉ちゃんと言ってもね」
「なっ……!? それって、あ、あ、あ、あああああああああああ!! もう、とにかく出発しなさいよねアルト!!」
「なんで俺が怒られんの!? まぁ、いいや。行ってくるよ」
いきなり矛先が俺に向かった事で戸惑ったけど、先ほどのフローラの行動によってとりあえず何かしないとリラックスできそうにない。
俺は黙って馬にまたがり出発した。それを二人は手を振って見送る。
「ねぇ、フローラ。私からも一言言うね。それは私も同じだよ」
フローラがアルトの頬にキスした瞬間、心臓を鷲掴みされ、針が刺されたような感覚に陥った。それで、自分の中に渦巻く感情をようやく理解できた。
それは、とても温かくて、とても素敵な事で、とても満たされるような事で。
嫌でもこれからアルトと一緒に暮らしていく。そして、いつの日か、自分の想いをぶつける事があるかもしれない。それで良い関係になる事ができるのかどうかは、まだまだ分からない。未来の事など、正確な事は誰にも分からないのだから。
岸波歩斗は今日も剣を降る。
そして、この世に存在する悪意を彼は今日も断ち切るだろう。
しかし、いくら断ち切ろうと人間が当然のように抱く悪意は絶える事はない。
正義の道を行く事を決めた彼は、ひたすら真っ直ぐに突き進む。
いかなる苦難が待ち受けようと、くじけぬ心と勇気を持って挑む。
彼の名前は岸波歩斗。
不良で、悪意に満ちた男“だった”者である。
彼は熱い正義の心を持ち、この世界で生きて行く。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
幾度の内容の改変を行ってしまい申し訳ありません。誤字脱字の修正を除けば、この『悪夢掃滅』の章はこれで完成系のはずです。
今回の三人称から一人称に変更した理由としては、小説家になろうでは親しみやすい形式だという事。そして、そもそも私の作風が一人称に近い三人称だったからという事があります。なら、最初から一人称で書いた方が良いな、って思ったのがきっかけです。
三人称ならではの書き方をしていた部分の書き直しには骨が折れました。がっつり文章を消したり、書き足したり。一人称を書くにあたっての制限が邪魔をする部分もありました。どうしようもない部分はそのまま残しました。受け入れられるか不安です。
内容に触れていきましょう。
小説家になろうでは一番盛り上がっているジャンルであるファンタジー。
その世界観の構築をするにあたって参考にしたのが『アーサー王伝説』です。岩に刺さっている剣なんてそのままですし。ランスロットをもじってラインス・ロックっていう名前を作ったり。ラウンドテーブルなんてそのまま円卓の騎士から取ってます。
そこから自分なりに世界観を作り上げた結果がこの小説です。
土台となる設定を『アーサー王伝説』から拝借して、そこからオリジナルストーリーを作りました。
だけど、この手の小説は溢れてるし、他にない要素を取り入れようとした結果が不良なクズ野郎の主人公でした。その更生物語を書きたいなーって思って書き始めたのを未だ覚えています。
で、その主人公が俺TUEEEE系にするかどうか悩みました。まぁ、なろうだし、主人公最強系の方がいいよね、って思って書こうとしたら、思ったように書けません。
物語の進行上、岸波歩斗に早々と強い力を与えるわけにはいきません。これは更生のお話ですから。だから『悪夢掃滅』の章では主人公の根底にある考えを直す事に集中せざるを得ませんでした。
で、次の話である『奇跡継承』では地が固まっている歩斗にようやく俺TUEEEEさせることができます。お楽しみに!
最後に、ブックマーク登録をしてくださった20名の方々、そして感想を書いてくださった十白様、にゃんこ先生様には感謝を。
次の話もよろしくお願いします。




