第四章『悪意を切り裂く刃』《悪夢の権化》
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フェリスたちが住むこのドゥームニアのティジュエルという街は今、国王が拠点とする街だというのに栄えている様子がまるでない。確かに日はすでに沈み、月が出ているが、まだ時刻としては一〇時になるくらいで、その時間帯はまだ街の灯りが灯っていてもおかしくないはずだ。
それなのに、この街はいつにもなく暗く、そして静かだ。
その理由は。
これから、この場所で騎士とナイトメアという悪魔がかち合うからだ。
今から二時間ほど前にこの街全域に避難勧告が出された。
この街の人々は指定の避難所へと避難しているから、こんなにもこの街は静寂に包まれている。
ここにいるのはラウンドテーブルという、この国を守護する騎士団のみ。
俺たちは身を潜ませ、呼吸一回すらできないような緊張感に包まれている。
これから戦う事になるナイトメアという悪魔は精神的な攻撃をしてくる。人に悪夢を見せ、精神エネルギーを喰らい、人によっては死に至っちまう危険な存在だ。正直、勝算はほとんどない。
だけど、この国の民が苦しんでいるというのなら、進んで身を捧げよう。それが騎士というものであり、それが俺たちに求められる姿なのだ。
俺も騎士であり、それはつまりこの国の民を守るためにその身を捧げた一人なんだ。
俺は平凡でもないが、戦いというものをまったく知らない別の世界の人間だ。そんな俺が今こうやってよく分からない存在と戦おうとしている。
この世界に来たばかりの頃は、まさか剣を握り、馬を操る騎士になるだなんて思ってもいなかった。
迷い込んだこの世界でどうやって生きていくかで精一杯で、その場の流れでどうにかするしかなかった。そのときは、目の前にフェリス・ランという女の子がいてくれて助かったと思う。アイツの実家がパン屋だったおかげで住む所も確保する事ができて、仕事も同時に手に入れて。
それだけで十分だった。
そこで過ごすには不自由ない生活が送れるのだ。
本来ならそこで甘んじるはずだ。
だって、そのときは自覚していなかったけど、自分を縛り付ける不良の仲間から解放されたんだ。心晴れ晴れとしていて、しかも可愛い女の子と一緒に仕事をしながら一つ屋根の下で暮らして行くんだ。
普通の男なら、きっとそこで一生を過ごそうと思うだろうさ。
元の世界にあったゲームとか映画とかテレビとか、そんな娯楽はないけれど、フェリスのみならずこの世界の人々はとても優しくて、そんな人たちとふれあう事がとても心地よくて、のびのびゆったりとした生活できて幸せな日々を送れるのだから。
それでも俺は修羅の道を選んだ。
それはなぜか。
きっと心の底のどこかに罪悪感があったんだろうな。
今までずっと考えてきた自分の今までの生き方。行ってきた行為。それらすべてをあらためて思い出し、考え直した。
そして思い至ったんだ。
今まで罪深い事をしておきながら、ここでこんな幸せな生活を送って良いものなのだろうか、って。
自我を縛り付ける存在がなくなったから、自分の考えというものを取り戻して、その考えに至った。
何も考えないで、その場の流れに身を任せて惰性に生きる事なんてもうしない。
それで何人もの人を不幸にしてきた。
これまでの自分が犯してきた罪は消える事はない。それはどんなに今までやってきた事を後悔して、反省して、自分を変えて善良な人になって人の役に立とうとも、人の罪は消えずに、まるで呪いのように永遠に俺にまとわりつくだろう。
それでもやってやるんだ。やらなければ一生その呪いに苦しめられる事になる。それを少しでも軽くするには、少しでも人の役に立つ事。
別にフェリスのパン屋で人々に美味しいパンを提供する事が人に役に立たない事だと思ったわけじゃない。あくまで俺は騎士になって人々を守る事が、自分の犯してきた罪を償う事になると考えただけ。
大事なのは気持ちであり、姿勢なんだと、俺は思う。
人が犯した罪は消えない事を自覚し、罪悪感を持ち、ここから新たな行動を起こしていくしかないんだ。謝罪の言葉も今となっては遅過ぎて、人によるかもしれないけど、逆に相手が不快に思ってしまうかもしれない。
なら、過去の事を背負いながら前を向いて進んで行くしかない。自分のできる事をできる限りするしかないんだ。
それこそ俺が今やろうとしている事。
行動で示す。
それは、人々に認めてもらうために何よりも重要な事なんだ。
これからやる事は俺の自己満足なのかもしれない。
だけど、何もしないよりは遥かにマシなはずだ。
きっと、今まで俺に殴られた奴らはこんな事をしても許してもらえねぇだろうな。
だからせめて示してやるよ。これが今の俺なんだってな!!
気合いを入れたそのときだ。
ついに、戦いの狼煙が上がった。
遠くから天へと舞い上がるいくつもの白い光。それがある程度の高さまで行くと爆発したかのように強い光が輝き始め、その明るさは今が昼間なのではないかと錯覚させるほどのものだった。
「これがキャストライトの魔法か……」
俺がその光景を眺めながらつぶやくと、隣に立っているキャロルが言った。
「そう、これがキャストライト。しかもこれは出力を大きくしたものだから明るいでしょう? 本来なら灯りのない洞窟のような場所で松明のように使うのだけど、まぁ、今回は例外ね。さて、気を引き締めましょうか。この魔法が発動したという事は、ナイトメアが出現したって事だから」
俺は静かに頷いた。
この魔法が一番初めに発動した地点、ここから南東に約五キロメートルほどの所がナイトメアの出現場所。そこではすでに激しい戦いは繰り広げられてんだろうけど、ここからじゃその様子はまったくもって分からない。
ただ、正直この出現位置は良くない。ラインスが待機している場所とは真逆の方向だからだ。
おそらくアイツもキャストライトの光を確認してこちらへと移動しているはずだ。
一刻も早く、ラインスがこちらに合流する事を祈るのみ。
俺たちが配置された場所はフェリスのパン屋、ブロード・ホームズ・ベーカリーの付近だ。これも、クラウディアの配慮なんだろうか? 俺が、命をかけてでも、絶対に守ってやらないといけない場所。俺が帰るべき場所。そこを守らずして俺は騎士として存在意義を見出せなくなるのを見透かして。
だけど、そんな事は正直気にしていられなかった。
手が震えだして止まらない。
ここまで来て、戦闘が始まった事を確認してまた恐怖を感じてしまっているのか?
すると、キャロルが俺の手を握ってくれた。
「大丈夫、落ち着いて。しばらくは戦火はここまで広がらないと思う。だから、今の内に落ち着いておこうか」
口から言葉が出なかった。相槌を打つ事すらできなくなるほど、俺は恐怖で心臓が破裂しそうなほどバクバク高鳴っていた。呼吸も上手くできない。
「ねぇ、キシナミ君。約束、忘れてないよね?」
正直、今はそんな約束事なんてどうでもいい。それに今は作戦決行中なんだ。関係ない話題を話し出すとはどういう事なんだよチクショウ。
俺はキャロルの事を鬱陶しく思って、露骨に嫌な顔をしてしまった。
「ねぇ、そんなあからさまに嫌な顔しないでよ。確かに今は作戦中よ? でもさ、そんな緊張しっぱなしじゃキシナミ君、死んじゃうよ?」
何だって? 俺が――
「死、ぬ……? はぁ!? 死ぬわけねーし。死ぬ気なんてねーし。つーかとっくに覚悟は決めてんだよ。死ぬ事が怖くてここに立ってねーって」
「それがダメなんだよ!」
キャロルは叫び、俺は身体をビクッと震わせた。
どういう意味なんだ? 俺は、こんなにも覚悟を決めてるってのに。
「なんだよ? 俺の覚悟はいけないっての? 俺は行動で示さなくちゃねらねーんだよ。それが俺がやらなくちゃならねー事なんだ!」
「だったら、死ぬ事は怖い事だって思わなくちゃダメだよ。自分の気持ちを偽って、死ぬ事が怖くないだなんて強情張ってたらそれこそ死んじゃうよ」
自分は気持ちを偽っている?
……正直に言う。俺は死ぬ覚悟なんてできていない。
死ぬのは怖いに決まってる。
この作戦だって、本当は逃げ出したいに決まっている。本当は、フェリスと一緒にパン屋を営んで平和に暮らしたいと思ってる。それなら少なくとも戦場に立つよりは死ぬ確率はずっと低いずだ。
「死ぬ事に恐怖を感じる事って当たり前の感情なんだよ? でも、その気持ちがあるから人は生きようとして頑張れるの。だから、キシナミ君もその気持ちを忘れないで戦わないとね」
キャロルはそう語った。
どうやら俺は背負わなくていい荷物を余計に背負っていたようだ。
償いだとか、人の罪は消えないとか、行動で示すとか、そんな事は今考えるべきではない。それは後からついてくるものだ。
キャロルが言った通り、確かに死ぬのが怖いから生き残ろうと思えるんだ。
じゃあ、俺が今考えるべき事は何だ?
それは、ナイトメアを倒して生き残る事だ。余計な事は考えなくていい。
まずはそれだけを考えて生き残る事を優先しなくてはならない。死んで詫びるだなんて考えちゃいない。それは逃げだと思っているから。
償いも、それだけではなく何もかも、それは生きた先にあるものなのだから。
「よし。ありがとうキャロル。色々と考えを整理する事ができた。俺は色々と考えすぎてたみたいだ。目的を見失うってのはこういう事を言うのかもな。今回の目的は生き残る事。それだけだ。だって、キャロルにこの国の文字を教えてもらうんだから、死んだら教えてもらえねーもん」
「そうそう。これが終わったら覚悟しておく事ね! じゃ、いっちょやりますか! ナイトメアを倒して国民を救って――」
「それからやりたい事をやる、と。何としてでもこの戦いを生き抜く」
「うん、そう! 覚悟はいい? 光はこちらに段々と近づいてきてる。もう少しで私たちの仕事が始まるよ!」
気が付けば、魔法によるキャストライトの光は段々とこちらに近づいてきている。
もう少しで戦いが始まる。
その確かな悪意のような心地の悪さをどんどんと感じ取れるようになってきた。
俺はこの感じを覚えている。あのフローラと一緒に添い寝した夜の、背中に感じた寒気。あれとまったく同じだ。
恐怖を感じた俺はふと、ツールベルトの小さなポケットに手を突っ込んだ。そこにあるのはエリナたちがくれた青い綺麗な石。これを見て、教会の子供たちの事を思い出す。
「エリナ、ウィル、みんな……。俺に、ちょっと勇気を分けてくれ」
青い石を握りしめ、目を瞑りながら、俺は小さくつぶやく。
そして、その石を再びポケットにしまい、前を見て宣言する。
「さぁ来やがれ。この俺がラインスの下へと送り届けるさ。ラインスの位置は?」
「気にする必要はなさそうよ。ほら、ようやく今回の主役登場ってとこね」
キャロルは後ろを向いていた。その目線をたどると、そこにいたのは白い生地に青色のラインが入った軍服のような甲冑を着た騎士が馬に乗ってこちらへと走って来ていた。
あの防具を着た騎士は一人しかいない。
「遅すぎるぞラインス・ロック!!」
俺はこっちに向かって来るラインスに向かって叫んだ。
ラインスは俺の目の前に馬を止め、その場で話す。
「すまないな。これでも急いだ方なんだ。ナイトメアはもうこの付近まで近づいてきているな? なら、キャロルらの班は俺と組め。奴を倒すぞ!」
俺とキャロルが頷く。
キャストライトによる光はもうすでに目と鼻の先にまで来ている。接敵までもう少し。
俺は呼吸が荒くなりながらも、気持ちは落ち着いている。良いコンディションだ。適度な緊張感を持ちながら、身体はリラックスできている。
俺たちは剣を鞘から引き抜いて構える。
この剣の出会いはとても不思議なものだった。
どんな騎士でも岩に刺さったこの剣を抜く事ができなかったのに、別の世界から来た俺は抜く事ができた。別にその剣にとてつもない力が宿っている感じじゃない。
まぁ、前に一度だけ魔法を打ち消したが、それきりだ。
それから魔法等を打ち消した事はない。
本当に、不思議な剣。
まだ思い出深い出来事はない。これが初出撃で、この剣との第一歩になるこの戦いは、俺にとって大事な一戦だ。
どんどん悪意の塊が近づいて来るのが分かる。寒気もより一層感じてきた。
恐ろしさで失禁しそうな感情をどうにか押し殺して、その場に立つ。
「来るぞ……。心しろ。いいな、死ぬなよ」
ラインスはここにいる騎士たちをたぎらせるために、そんな言葉を吐きやがった。
コイツの言葉はどんな人の言葉より心強い。それはラウンドテーブルのトップに立っているからだけじゃなくて、ラインスのその何事にも折れぬその精神が伝わって来るからだ。
そして、ついに現れた悪意の塊。
ラインスとキャロルの二人は、一斉にキャストライトの魔法で光を天へと打ち上げた。
その光が破裂し、眩い光を発し、この場は夜とは思えないくらいに光り輝いた。
そして、悪魔の姿が目に入ってきた。こちらに迫ってくるそれを目撃する。
「あれが……ナイトメア……ぐっ!?」
その姿は馬だった。
どこまでも吸い込まれそうなほど暗い黒。その黒が俺たちの方へと迫り、背中からは黒い霧のようなものを噴射しているかのようにかすれている。その姿からは重量感というものを感じさせず、常にふわふわと浮いているような、そんな存在だと感じた。
そして、その悪魔の周りには騎士がクラウディアさん一人しかいなかった。
もっと多くの騎士たちが戦っていたはずなのに、みんなやられちまったって事かよ。
「くそっ! もうクラウディアしか残っていないというのか……。加勢するぞ、俺に続けぇ!!」
ラインスはこの作戦の要だ。ラインスの奇跡による攻撃がなければおそらくあの悪魔を倒す事など不可能だ。ここに彼が到着した地点で当初の作戦は成功。
あとは、ナイトメアをラインスの攻撃範囲まで上手く誘導するだけ。
それが簡単なようで、とても難しい。
俺たちは馬を走らせ、ナイトメアへと接近する。
「はああああああああああああああああああああああああ!!」
キャロルは華麗に馬を走らせ、ナイトメアに接近。手に握っている剣を軽やかに振り、ナイトメアの頭を真っ二つにした。キャロルは魔法を使う事を得意とするが、ラウンドテーブルの一員だという事を忘れちゃいけない。それはつまり、並の騎士よりも馬の扱いも、剣の扱いも上手いという事なんだから。
しかし、俺は凄いと思う暇もなく、彼女によって切られたはずの首と胴が元に戻ってしまった事に驚く。俺の目には首と確かに胴が分断されたように目に映った。それなのに、まるでそれは蜃気楼のように元に戻っていく。
これが悪魔ってやつなのか……!?
「やっぱり普通の剣じゃ攻撃が通らない! 団長、あなたが何とかして!」
「そんな事は分かっている! とにかく少しでいいから時間を稼げ!」
そんな事を言われても困る。俺たちの攻撃はまったく通らないってのに!!
「私に続け。ラインスの奇跡発動まで陽動する」
クラウディアさんの指示に従い、俺とキャロルは順番に攻撃をしていく。戦闘にクラウディア、次に俺、そして最後にクラウディアという形だ。
まずはクラウディアの攻撃。
首を両断した。
そして後ろに続く俺の攻撃。
「おらあああああああああああああああああああああああああ!!」
剣を握りしめ、剣を両手で外側に突き出す。狙うは胴。馬の勢いを使って真横に両断するつもりでいた。
だが、その攻撃は失敗に終わる。
両断された首を元に戻しながら、ナイトメアは背中から黒い霧のようなものを勢いよく噴射させ、俺の身体を包み込みやがった。
「――――」
その瞬間、言葉を発する暇もなく目の前がブラックアウトしていく。身体全体が非常に重く感じ、自分で自分を支えていられなくなる。
何だよ、こ、れ……。
◆
そして、落馬。
アルトの身体は容赦なく地面に叩きつけられた。走っていた事もあってか、落ちていくときのその勢いはとてつもないものだった。
「キシナミィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
クラウディアは叫んだ。
キャロルも、後ろで構えていただけあって、その光景を目の前で見せられて言葉を失っていた。アルトの身体を自分の馬で踏みそうになったがなんとかそれを回避。
大事な仲間を失って、それでいて冷静でいられる人なんかいるものか。
許してたまるものか。アルトを、みんなを傷付けたお前を――消し去ってやる!!
俺は銀色の丸い小さなペンダントを握りしめる。
これはタリスマン。要するにお守り、護符。
奇跡を起こすにはこのアイテムが必要不可欠であり、また、選ばれた人間でなければこのタリスマンを使おうが奇跡を起こす事は叶わない。
俺が使う事ができるのは光の奇跡。すべてを照らす正義の神の力を借り、この世に存在する闇を打ち砕く。
「光の神よ、俺に力を貸せ!! 目の前の悪魔を打ち砕くために!!」
俺は剣を掲げ、天高く突き出した。
次の瞬間、目も開けていられぬほどの光が瞬き、次に視界が開けた瞬間、俺の持っている剣が見ているだけで目が焼けそうなほどの光を放っていた。
そして、ナイトメアは軽くその体が傷ついており、この光による攻撃が通っていた。
黒く暗いその体は所々ボロボロになっており、そこから黒い霧のようなものが吹き出すように漏れていた。どうやら、先ほどの閃光によってダメージを負ったらしい。
俺は目線だけでクラウディアと会話する。その意図を読み取ったクラウディアは頷き、地面に突っ伏しているアルトとラムレイを、俺とナイトメアの直線上から退避させた。
目の前には何もない。
俺とナイトメアだけの戦場がそこにできあがっていた。
「俺は悪という存在を許したりはしない。たとえ厳しい戦いになろうとも、俺は決して倒れる事はないぞ。覚悟しろ……お前という存在を消し去ってやる!!」
ナイトメアと対峙する。
「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は叫びながら馬を走らせ、ナイトメアへと一直線に突っ込んでいく。
ただ、ナイトメアもただ無防備にしているだけではない。
アルトを襲ったときと同じようにその身から黒い霧のようなものを発し、ラインスが乗っているその馬ごとを包み込んだ。
これではアルトと同じように意識を失ってしまう。いくら最強と言われている俺であろうと、悪魔の攻撃を生身で受けてしまってはひとたまりもない。
ただ、その攻撃が当たれば、の話だが。
「おいおい、一体どこを狙っているんだよお馬さん。俺はここにいるぞ?」
黒い霧が俺の馬ごと包み込んだように見えただろう。それは確かで、肉眼でそれをクラウディアもキャロルも確認しているはずだ。
では、なぜ俺は何事もなかったかのように振舞っているのか。
俺が信仰している神は『光の神』である。
俺はナイトメアの黒い霧に完全に包まれる寸前でその身を光の速度並に動かし、ナイトメアの後ろを取ったのだ。
そこで一つの疑問が出てくるだろう。
そんな速度で動いて身体はなぜ無事なのか。
奇跡とはとても都合の良いもので、神の力によってその身体も光の速さに耐えられるようにする事だって可能なのだ。自身だけでなく、俺が操る馬にまでその力を宿らせる事も可能だ。
まさに反則級の力だろう。こんな化け物のような力を持つ騎士に勝つには、同じく神によって化け物のような強さを持つ騎士でしか対抗できない、というのは分かりやすい構図だ。誰だって容易に想像できる。
そして、その化け物のような力を振舞っている俺は馬を駆り、ナイトメアを翻弄する。
ナイトメアによる黒い霧による攻撃も、今の俺には当たらない。自身を加速させ、容易に後ろを取って斬った。何度も何度も、ナイトメアの、その身を切り刻んだ。傷を付けていく度に、その傷口から黒い霧が吹き出す。
「どうした? 散々人々を苦しめた悪魔さんは、こんな人間風情に簡単に負けてしまうのかよ? 情けないねぇ。それでもお前は魔法の根源である悪魔なのかよ」
挑発を含めた今の気持ちを隠さずに吐き散らす。
ナイトメアは言葉をしゃべらずに唸るだけだが、その雰囲気からして俺の挑発に乗ったのはよく分かる。
霧による攻撃一つ一つが先ほどよりもメチャクチャだ。本来、変幻自在に霧の形を変えて攻撃できるはずなのに、それをしようとしない。あくまでも霧でその体を包み、精神的に殺す気しかナイトメアにないのだろう。しかも、その正確さはどんどん悪くなっていく。
これは勝てる。
そう思ってしまったのは俺の慢心だったのだろうか。
傷だらけのナイトメアは耳が痛くなるほどの声で咆哮した。
「っ!?」
思わず耳を手でふさぐ。
その瞬間、隙を見せてしまった俺の目の前にはナイトメアの顔があり、その身で俺の事を直接包み込みやがった。
そして――。




