beauty vs beast ②
激しさを増すシヅルvsマドカの対決。 連撃必倒vs一撃必殺。 軍配が上がるのはどちらだ!
堅い音が響く。マンティコアの顎が美しき女神を捕らえたと見えた瞬間,女神は弓で牙を受け止めるとともに後ろへ跳躍して難を逃れたのだった。そのままマンティコアが突っ込む勢いに乗り,その鼻先を蹴って更なる跳躍を見せ距離を取った。
着地と同時に矢を放つ。だがその軌道が低い。誰もがミスかと思ったが,次の瞬間認識を改めた。前脚の先端,地面と接する骨――趾骨を射抜いていたのだ。
マドカが顔をしかめたのも一瞬の事。マンティコアの突進と尾の毒針攻撃が再開された。
シヅルはアルテミスを操り雨霰と降り続く攻撃をかわしながら,柳眉をしかめる。本来なら先程の一射でマンティコアの前脚を闘技場の床に縫い付け,動きを封じた筈なのだ。FAITHに大きな差が無いのにそれが出来ないという事は――体格の差なのか。それとも他に原因があるのか? シヅルの頭の中は目まぐるしく思考が渦を巻いていた。
そんな暇は与えじとマンティコアが襲いかかる。痛みを感じていないわけではない。それはマドカの様子を見れば明らかだ。だが今のマドカは激烈な怒りに支配されている。それ故に痛みが気にならないのだ。
生徒会選挙で当選したのちシヅルは書記に,マドカは会計に就任した。本来ならば協力して生徒会を運営すべきところだが,この二人の場合そうはいかなかった。
シヅルは業務を的確にこなしていくだけにとどまらず,様々な企画の立案から運営,各委員会や部との折衝までこなし,副会長の日蔭と共に前原にとってなくてはならない人材となっていた。
対してマドカは会計としては雑な仕事ぶりで,いつも周囲を困らせていた。常に前原の隣に陣取り,他の委員長との交渉中であろうと会議の最中であろうと前原に他愛も無いお喋りをもちかけ,アメやクッキーを勧める有様だった。
当然他の生徒会メンバーから非難や抗議を受けるのだが本人は全く気にする風もない。前原からもやんわりと注意されるのだが,一向に態度は変わらなかった。正式に選挙で選ばれたのだから一方的に免職させるわけにもいかない。よほどの不祥事でも起こさない限り,このまま会計の座に収まり続けるのか――皆のフラストレーションが頂点に達する頃,マドカのフラストレーションも溜まりに溜まっていた。
シヅルの存在である。マドカにとって男は女を守るものであり,女は男に守ってもらうものだった。仕事は男がやるものであり,女はそれをサポートするか結果を待てばいい。そういうものだった。だがそれに反するのがシヅルである。有能ぶって男の役目に首を突っ込む出しゃばりだった。
当然前原もそんな出しゃばりを鬱陶しく思っている筈だ――マドカは何の疑問も抱かず,そう信じていた。彼が穏やかにシヅルに接しているのも表面上の事だと。だが前原はシヅルにドンドンと仕事を任せ,着実に成果をあげていくシヅルに優しく微笑むのだった。
精一杯に好意を表現している自分には見せた事のない笑顔。それがシヅルに向けられ,温かいものが流れてているのを感じた時,シヅルは「マドカの価値観に反する存在」から「マドカの価値観を否定する存在」に変わった。価値観は人間の根底にある判断基準だ。それを否定されるという事は,存在そのものを否定されるのと同じ事である。シヅルが直接否定したわけではない。だがその行いと結果が否定しているのだ。マドカのシヅルへの感情は「嫌悪」から「憎悪」へと変化したのも当然だった。
そしてこの時,マドカの中の獣性が静かに目を覚ましたのだった。それは暴力への衝動。この時はなんとか踏み止まり事なきを得たが,一度目覚めた獣性はもう消えなかった。いつ暴発するか分からないのではない。暴発するきっかけを求めていた。無意識のうちにではあるが,シヅルへ攻撃するチャンスを探すようになっていた。平行して男子――特に前原に――への態度も露骨さを増して行った。あからさま過ぎて女子からの顰蹙は止む事が無かったが,男子からの人気は増していった。前原の態度が変わる事はなかったが。
そして見つけたきっかけ。生徒会室ですれ違った時,シヅルの長い髪が顔に当たったというだけで口論となり,瞬く間に掴みあいのケンカに発展したのだった。同室していた執行部の全員で止めに入り,かろうじて制止に成功したが,魔神を出さなかったのは僥倖といえる。この事件は緘口令が敷かれ,外部に漏れる事はなかった。
この日以来,表だって争う事は無くなっていたが,押さえつけてきた怒りは爆発力を増す。マドカの怒りは沸点をすら超えてスーパーノヴァと化し,シヅルとアルテミスを粉砕せんと荒れ狂っていた。
――やっと。やっとコイツを叩きのめしてやれる! みんなの前で! ススム君の前で! 無様に! 惨めに! 這いつくばらせてやる!――
マドカの中で暴風の如く吹き荒れる怒りを体現するかのように,マンティコアの攻撃も苛烈さを増していく。
毒針の尾,巨大な牙,重量感に満ちた前脚と爪。縦横無尽に荒れ狂う攻撃を,アルテミスは華麗な体捌きでかわしていく。
ギャラリーは盛り上がり,やんやの大喝采が巻き起こる。同時にアストライアが掲げた黄金の天秤の両皿にFAITHの輝きが流れ込んでいく。
アルテミスへのFAITHは黄金色に輝き左の皿に,マンティコアへのFAITHは緑色に輝いて右の皿に吸い込まれていく。二条の光の川はどちらが大きいのか判別しがたい。ただアストライアの主であるアサミだけが,僅差でアルテミスへのFAITHが多いと理解していた。だがこのぐらいなら何時でも逆転可能であろう。それほどの極僅かな差でしかなかった。
観戦しているイサム達はマドカの様子にも注目していた。
「なぁ……いつまで保つと思う? そろそろへたばってもいい頃だろうが」
「ああ,巨大化してあれだけのラッシュだ,消耗して当然だな」
現にマドカの顔には汗が滝のように流れている。一方のシヅルも汗こそ流しているが,それほどの量ではない。
イサム達はいつものトレーニングバトルを思い出していた。バトルが長時間になるほど,内容がハードになるほど消耗するのだ。当然と言えば当然の話だが,特にスポーツで鍛えているワケでもないマドカは長期戦に不向きな筈なのだ。
一方のシヅルはテニス部でも活躍している。戦いが長引けば長引くほど有利になろう。それを狙っているのではないか? イサム達はそう読んだ。
だが実際のところはそうでもなく,攻めあぐねているのだった。急所となりそうな個所への攻撃も足止めにすらならない。攻撃が止む気配もない。どこをどう攻めるか? 冷静さこそ失ってはいないが,ピンチに変わりはなかった。
「……考えていても仕方ないわね。なら,こちらも手数で勝負!」
気合を入れるやアルテミスの四肢に筋肉が盛り上がる。プロポーションが変わる程ではないが,一気に逞しさを増した。優雅さと野性味の絶妙なる調和がそこにあった。
二本の矢をつがえて引き絞り,弓がこれまで以上の撓みをみせた。弦が低い音を立てて矢を放つ。剛速で飛んだ矢が衝撃音と共にマンティコアの額に突き刺さった。カウンター気味の一撃だ。
「くぅ!」
一瞬だけよろめいたマドカが体勢を立て直す前に新たな衝撃が襲った。
「がぁ!」
野獣のような苦鳴をあげたマドカの目に映ったのは,次の矢をつがえたアルテミスの勇ましい姿だった。
続けざまに放たれる矢が二筋の銀光となって,マンティコアの顔面に打ち込まれる。身体を揺さぶられるような重低音が響き,マンティコアの巨体がたたらを踏む。やはり効いていないわけではなかったのだ。そして――さすがに顔面は耐え難いようだ。心理的なものもあるのだろう。誰でも,特に女性ならば顔だけは死守したいはずだ。
ここぞとばかりにアルテミスが連射で畳みかけていった。
「はあぁぁぁ!」
シヅルが気合を入れて足を踏ん張り両腕を前に伸ばす。広げた両掌でアルテミスを操るイメージなのか。
立て続けに空気が鳴り,幾条もの銀光が飛ぶ。狙いは全て顔面。
たまらずマンティコアが体を入れ替えるが,すかさずアルテミスが回り込む。苦し紛れに毒針の尾で薙ぎ払いにくるが,それをかわしざまに新たな矢を射る。間断ない攻撃にギャラリーがやんやの大喝采を送り,比例してアストライアの天秤に流れ込むFAITHも増えていく。
そんな中で,イサムとリュウキは冷静だった。
「なぁイサム,アルテミスがえらく身軽だけど……」
「ああ,ありゃサンドブラストの風に乗ってんだろうが」
アルテミスの黄金色に輝く髪や,たくし上げたペプロスのたなびく方向が通常と逆なのに気付いたのは,イサム達をはじめ極僅かな者だけだった。
数限りなく打ちこまれるアルテミスの矢。だがマンティコアも耐えてみせている。勝負は根競べの様相を見せてきた。いくら怒りに任せて耐えるといっても限界はあるし,アルテミスの猛攻も無限に続くわけではない。
――先に気力が途絶えた方が負ける――
誰もがそう思い始めた頃,アルテミスの跳躍が大きくなり間合いを広げて着地した。そして猛烈な突風。サンドブラストだ。
「ここへきて急に?」
「あの巨体と剛毛には効きそうもねぇだろうが……なんでだ?」
リュウキとイサムが怪訝な顔をして考え込む。が,続く展開に思考は止まった。
烈風に当てられ,反射的にマンティコアが顔を背けた一瞬。それをシヅルは狙っていたのだ。風に乗って一気に踏み込むアルテミス。まさにマンティコアの間合いの中だったが,顔を背けていた為に視界の外だ。そして流れるように放たれた二本の矢。二条の輝きがマンティコアの顎を下からとらえ,鈍い音が響く。
「うわ,あれは脳が揺れたぞ」
「マジかよ……えげつねぇな」
通常ならアルテミスの矢で巨大なマンティコアの脳を揺らすなど,到底不可能だったろう。だが「顔を背けている方向へ射た」ならば,マンティコア自身の力を利用できる。正確には「脳を揺らす」という知識がシヅルには無かった。ただ「首へのダメージが大きそう」というだけだったのだが,想定外の効果を得た形だ。
初めて味わう感覚に声にならない苦鳴を漏らすマドカ。ダメージをカットするリミッターがあるとはいえ,足下が覚束なくなってきている。しかしシヅルにだけは負けたくないという意地がマドカを支えていた。
アルテミスが非情の矢を放つ。まさに追い撃ちだ。マンティコアの巨体がぐらつく。グラウンドに大歓声が響く。
「ぅぁああああああ!!」
マドカの絶叫が周囲を圧した。マンティコアの雄叫びがマドカに同調する。アルテミスが間合いをとる。
「やるわね……正直,雄叫びだけで内臓が震えたわ。でも,ここまで来て負けるわけにはいかない!」
またも烈風が吹きつける。サンドブラストだ。
「何度も同じ手を!」
突然マンティコアの巨躯がしぼんだ。この大きな身体が的を広げているだけだと判断したのだ。実際その通りだったのだが,事ここに至って有効なのか?
縮まった身体から矢が抜け落ち,堅い音をたてて転がった。その間をぬって小さな獣が駆け抜ける。マンティコアだ。体長は五十cmほどか。小さくなった分だけ俊敏に左右に動きフェイントをかける。
「マンティコアの自在身を甘く見ないで! 小さくもなれるんだから!」
マドカの口調がいつもと違う事に,果たして何人が気付いた事か。
マンティコアの牙がアルテミスに迫る。銀光が飛ぶ。外れた。
迫るマンティコア。矢筒に手を伸ばすアルテミス。
どちらが早い?
少しづつ書いていたのですが,気がつくと一か月ほどもかかっていました……。
次はもっと早く書きたいなぁ……。




