阿久保亮
俺、阿久保亮の旧姓は田島という。俺には姉、華子がいた。昔から姉は出来がよくて親からちやほやされていた。姉の意見は尊重され、自分のことは自分で決めてさせて貰っていた。今もだ。だが、俺はというと、からっきしというほどではないが姉に比べては出来が悪かったんだ。
「亮、お姉ちゃんを見習いなさい」
そんな言葉が両親の口癖だった。……自慢じゃないが、俺の家は裕福な家庭なんだ。だから、三十八になった今も親はうるさい。
姉は出来がよかった。だが、良い奴じゃなかった。だから小さいころから俺は姉のことを好きになれなかったんだ。本当に良い奴だったら慕うことができた。姉は親の前だけではいい子になる。いわゆる“いい子ぶりっ子”ってやつだ。
そして、姉は容姿がよかった。俺とは似ても似つかない様な顔だった。姉弟だと思われることはほとんどない。……まあ、そこはありがたかったのだが。
そんな感じで俺は姉のことを嫌っていたのだが、俺はそんな姉と距離感を取りつつ、うまく生活していたよ。…………最近までは。
最近俺は結婚した。というか婿入りした。……最近といってももう二年は経つが。三十六歳の秋だった。親が話を持ってきた。どこかの会社の社長の娘だとかなんとか。正直、俺は親に逆らえなかった。どんな相手だろうと、どうせ結婚させられる。そう思い、俺は相手の顔写真やプロフィールなどをほとんど見ずにOKしてしまったんだよ。それが間違いだった。その後、実際にその人に会った時には驚いたよ。
まさか自分の妻になる人が…………姉と瓜二つとはね。
だが、時すでに遅し、その人に婿入りせざるを得なくなった。
親はそのことに気付いたが、あら、なんて言って笑っているだけだった。
普通でも、兄弟とそっくりな人とは結婚したくないだろう。しかも俺の場合、姉は忌み、嫌悪している存在だったのだ。親は全くそのことを分かっていなかった。
そして、忌まわしき姉はというと、なんて言ったと思う?
「気持ち悪い」
その一言だ。俺は姉を殺してやろうかとさえ思った。だが、やはりそんな勇気はなかった。
そして、結婚するということは……その……“子作り”の活動もしなければならなかった。……俺は吐き気がしたよ。……でも、心の内を外に出してはいけなかった。俺にはそんな勇気はなかった。
で、ついにその結果が出た。去年のことだ。妻は妊娠した。そして、約半年前、赤ちゃんは生まれたんだ。
「生まれました。可愛い女の子ですよ。お母さんに目がそっくりです」
そんな医者の言葉はとてつもなく残酷な言葉だった。つまり、姉にそっくりだということだ。
俺は妻に会う前に、トイレに駆け込んだよ。そして、吐いた。声にならない声を上げた。泣いていたのかもしれない。
それからというものの、ストレスがたまりっぱなしだった。あまり家に帰らないようになった。独りで酒を飲んだ。夫婦の喧嘩もあったよ。
学校の仕事にも影響が出た。当時、俺は如月高校というところにいたんだが、問題を起こしてこの学校に来た。
俺はおとなしくしようと思っていた。授業も淡々とこなした。
そうした態度が認められたのか、俺はすぐに生徒会の顧問という役を任された。執行部のな。
最初の顔合わせの時、生徒会の面々を見た。そして、一つだけ、ビビッとくる顔があった。……それが田島裕だったんだよ。奴は姉に似ていた。もしかして、と思い調べてみた。そうするとやはり姉の息子だったんだ。
健はゴクリ、と唾を飲んだ。
これほどまでに凄まじい過去があったなんて聞いてない。
「……で、その田島をいじめさせたんですね?」
健は複雑な気持ちのままそう言った。その瞬間、阿久保先生は勢いよく頭を下げた。
「すまなかった!!」
「え?」
一同が呆然とする。
「すぐに愚かなことだと分かった。……最初から話せばよかったんだな……」
そして阿久保先生はバッ、と健達の方を向いて、言った。
「情けない話だが、俺にはもうあいつらを止められねえ。……奴らを止めてくれ。頼む」
「失望しました」
一瞬の沈黙。声を出したのは加藤だ。
「すまない」
阿久保は即座に謝った。加藤ははあ、とため息をつく。
「……オレ達が生徒会だってことも知らなかったでしょう。教師としてどうかと思いますよ」
「加藤!」
健が止める。加藤はまた小さくため息をついた。
「まあ、これからはよろしくお願いします。オレ達の顧問として、この学校の教師として」
健は目を見張った。……こいつにも、人を気遣うことができたのだ。ただ罵っているだけかと思ったが、違ったようだ。
「……え? じゃあなんで悪い先生のマネしてたの? さっき?」
話の理解が遅い羽生は唐突に聞いた。阿久保は戸惑った後、羽生が手に持っている携帯電話を指さしながら言った。
「……は? ああ、君らは優秀だからな……録音してたんだろ? 自白になるかなと思ってさ」
え? 羽生、録音してたの!? 健と加藤が驚いて羽生を振り返ると、羽生は頭を掻いた。
「知ってたんだ……。ってか、なんか調子狂う。阿久保先生がこんなんだと」
「……すまない」
沈黙。
そんな時、校舎からドタドタと走り寄ってくる影が見えた。
血相を変えて、走っている。
教頭だ。
阿久保先生はすぐに教頭に気付く。
「……あ、教……」
「馬鹿者ォォ!!」
バチーン、と大きな音が響く。それを見て、加藤が慌てて口を開いた。
「きょ、教頭先生。……違うんです。阿久保先生は……」
「……違くなどない!!」
教頭は加藤の言葉を遮った。ものすごい剣幕だ。加藤はびくっ、として一歩退いた。
教頭はそのまま続ける。
「何で、何で! 何で私に相談してくれなかった!! 私は上司だぞ!! 一人で飲むんじゃなく、私と愚痴りあいながら飲むほうがよかっただろう!!」
「……きょ、教と……」
阿久保先生は唇をかみ、うつむいた。必死に涙を堪えている。……ように見えた。
「……君たちは、行け!」
教頭が健達に言う。健は行き際に阿久保に先生に向かって話しかけた。
「……娘さん、大事にしてあげてください。……誰に似てようが、自分の子供なんですから」
阿久保はまた唇をかみ、うつむいた。そして言った。
「……ありがとう」




