夕陽
どれどれ……
『19:00にカルバドで』
…………は? 意味不明。だが、北が19:00にどこかでこの掲示板の住人に会うことだけは分かる。健は壁に掛けられている時計を見た。18:16。もう19:00まで一時間もない。
健は頭を悩ませた。“カルバド”? どこだ……どこなんだ……? 喫茶店の名前か何かか?
健は頭をかきむしった。そして、無理だ、と思い、腕を大きく上にあげた。
そうしたらケータイが目に入った。そして健は思いついた。そうだ、加藤と羽生を呼べばいいんだ。“三人寄れば文殊の知恵”って言うし。
っていうか、北に連絡してみよう。まずは。北に電話をかけた。一回目のコールが鳴り終わらないうちに無機質な女の人の声が電話からは聞こえてきた。
「auお留守番センターです。おかけになった電話は現在電波の届かないところにあるか、電源が切られていま……」
途中で健は終了ボタンを押した。ちくしょう、電源切ってるよ……アイツ。……まあ、そうだろうとは思っていたが。
じゃあしょうがない。二人に連絡だ。まずは加藤。健は加藤に電話をかけた。三回目のコールで加藤は電話に出た。
「何だ?」
加藤の第一声。健はそれに答える。
「緊急事態だ。今暇?」
「ちょうど明日の予習が終わったところだ。まあ、暇と言えば暇だな。だが……」
「暇ならすぐオレん家に来て。いますぐ」
“緊急事態”とはなんなのかを聞こうとする加藤を遮り、健は急いで言った。そしてせっかちにケータイの通話終了ボタンを押した。
次は羽生だ。健は羽生に電話をかけた。
五回コール×3でようやく羽生は電話に出た。
「もしもしぃ。伊勢っち、何か用?」
羽生の第一声。長いこと出なかったことを詫びる様子は全くない。健はため息をつきそうになったが、電話だということを思い出し、堪えた。
「緊急事態だ。今暇?」
健は加藤の時と同じように淡々とした口調で話しかける。
「暇じゃないよー。今、ラノベ読んでる。……うわっ。この挿絵やべー。過激ー」
羽生が自分、いやラノベの世界に浸かりながら答えた。健はまたそんな小説読んでるのか、と羽生に言いたくなったが、そんな暇はないので出かけた言葉を堪えた。こいつと話していると、堪えることが多い、と健は半ば呆れながら思った。
「……すぐオレん家に来い」
そう言って健はまた一方的に通話終了ボタンを押した。
健はため息のような息をついた。
こう言えば奴らは家に来るだろう。長年の付き合いで大体のことは分かっている。
ピーンポーン、軽快に家のベルが鳴る。
健はリビングから玄関の方へ移動し、ドアを開けた。そこには私服の加藤と羽生が立っていた。途中、どこかで会ったのだろう。羽生は無地の白いティーシャツに淡い水色のパーカー、そして下は濃い緑色のやたらとポケットが多い、だぶだぶのズボン。加藤は無地の黒いティーシャツに、地は紺色、それに白と青色の線がチェック状に交差しているシャツを羽織っていて、下は足の長さが引き立つ茶色いズボンをはいている。
健は二人の服装を見比べた後、腕時計を見た。18:30。この二人は電話をしてから十分ほどで健の家に来たということだ。
「何なの? 急に呼び出して……」
何も言い出さない健を見て、羽生がふてくされた様子で言った。
「そうだ。……しかも何なのだ?“緊急事態”とは」
加藤も顔をしかめている。
「それが、“メガネくん”が北だったんだよ」
健が唐突に言う。健は言ってから“メガネくん”とはなんだか分からないのではないか、と心配し二人の様子を窺った。しかし、そんな健の心配は無駄なものだった。それを聞いた加藤と羽生の表情は真剣なものへと変わっていたのだ。やはり親友のことともなるとちゃんと見ているんだな……健は少しうれしくなった。
「やはりそうか……オレも多少思っていたが……」
思ってたのか……なんだか得意げに言っちゃったことが恥ずかしいじゃないか……。
加藤は俯いた。加藤は俯きながら続ける。
「だからあいつ、何か変だったのだな……親友の悩みに気付いてやれないとは…………くそっ!」
加藤が足を踏み鳴らした。健は加藤のくそっ、という言葉で我に返った。
「静……」
羽生が呟いた。
健と羽生は加藤を複雑な思いで見ていた。
長い間沈黙が続き、健はこんなことをしている場合ではないということを思い出した。18:36。ヤバイヤバイ。
「それよりも、今、北が大変なんだよ。……とりあえず家ん中入れ」
健は黙りこくる二人に言った。
「……お、おう」
羽生がそう答え、一番先に家の中に入る。その次に加藤、最後に健が戸を閉じながら家の中に入った。鉄製の大きなドアはバタン、と大きな音を立てた。
いつも陽気な声で“おじゃましまーす”と言う北は今日はいない。なんだか三人だけなのは珍しく、変な感じがした。
羽生、加藤は迷いなくリビングまで進む。そしてリビングにつくと二人共躊躇いなくソファーに座った。
「で、何なんだ?」
ソファーに座った加藤が言った。
「ああ、これを見てくれ」
健はパソコンを指差した。
加藤、羽生は立ち上がり、パソコンの前に集まった。
健は一番下にある“メガネくん”の書き込みを見るように促した。
羽生、加藤は目を見開いた。そして二人とも自分の腕時計に目を移した。
「あと二十分ちょいじゃん。どーすんだよ」
羽生が焦ったように言った。すると加藤が羽生を落ち着かせるように言った。
「まあ、待て。まず北は何をしでかそうとしているのか。オレが思うに……」
「殴り込み」
健が加藤に続けた。加藤は小さくため息をついた。羽生は黙って掲示板を眺めている。
「あいつがこんなこと書き込むってことは……そうだろうな……」
加藤は“メガネくん”の書き込みを見ながら言った。まあ、誰がどう見ても“殴り込み”だろうな。
「それにしても、この“カルバド”とは場所を表しているようだが、一体どこのことなのだ?」
そう言って加藤はふうむ、と黙り込んだ。
すると、それまで考え込むように掲示板を眺めていた羽生が突然口を開いた。
「この“カルバド”ってオレ知ってるよ」
健と加藤が驚いて羽生の方を向く。
「何っ!?」
加藤がそう声を上げて、羽生の胸倉を掴み、揺さぶった。
「“カルバド”とはどこのことなんだ!」
すると羽生は怯えたような表情になって言った。
「お、落ち着いてよ……ちょっと。……離して」
羽生にそう言われ、加藤ははっとしたようだ。すまない、と言いながら羽生から手を離した。取り乱すなんて加藤らしくない、と健は思った。
羽生は自分が着ているパーカーのフードの部分を手で触った。そしてふう、と息を吐き、言った。
「……で、“カルバド”って言うのは、ドラクエ9で出てくる草原だよ。……確か。カルバド大草原。そんなのがあった気がする」
羽生がまたパーカーのフードの部分を触る。どうやら羽生の癖のようだ。
「……じゃあ、草原……というか野原ってことか?この辺にはそんなところはないはず」
健が言った。そして健は続ける。
「ってことは遠くってことだよな……それじゃ、今から行っても間に合わねえよ」
健はまた腕時計を見た。18:43。もう19:00まで約15分しかない。
だが、加藤は心配するな、とでも言うような感じで言う。
「いや、そんなことはない。“カルバド”とは近くにあるはずだ。北は18:16に“カルバド”に来い、と書き込んだ。残り45分というギリギリな時間にだ。それに、この掲示板を他の四人が見るかどうかなんて分からない。何で北はこんなことをしたと思う?」
健と羽生が分からないというように首を横に振った。そういえばいつの間にか加藤はいつもポーカーフェイスに戻っていた。そしてそのままの表情で続ける。
「なぜかというと、今日の18:30に北以外の四人が掲示板を見ると分かっているからだ」
加藤はそこで息をついた。
健と羽生は黙ったままだったが、二人とも頭の上に?マークを浮かべていた。二人が何も言ってこないのを見て、加藤はパソコンのマウスに手を伸ばし、続けた。
「……ほら、見てみろ。今までこいつらが“たじっち”に命令を出すとき、必ず火曜と木曜の18:30に書き込んでいるだろう」
あ、ホントだ。全然気付かなかった。健は加藤の観察力に感心し、また気付かなかった自分の迂闊さに嫌気がさした。
「あ、ホントだー。静すごっ」
羽生が率直な感想を述べた。加藤は得意げな表情を全く出さずにまた続けた。
「それで、もし18:30にこの掲示板を見て、すぐに用意して、すぐに出たとしても18:35くらいにはなるだろう。それで、19:00集合ということは誰の家からも25分以内で着くところだ。さすがの北も四人全員の家の位置を把握しているとは思えん。ということは確実に25分以内で着くと分かるところは……」
「……学校か!!」
健は叫んだ。早鷹高校の進学率は良いが、やはり私立の高校には劣る。そのため、大抵の生徒は徒歩または電車、バスで三十分以内のところには住んでいる。加藤はああ、と頷き、付け足した。
「学校か、その周辺だ」
「でも、学校周辺に野原なんてあったかなあ?」
羽生が疑問を口にした。
「そうだな……」
加藤も黙りこむ。健も頭を抱えた。三人はふうむ、と黙りこくり、考え込んだ。
一分弱沈黙が続いた。
だが、突然羽生が声を上げた。
「あっ!!」
「何だ?」
健と加藤は即時に羽生に問いかけた。
羽生は、
「ああ、いや草原ってさ……学校の中庭じゃね?」
加藤は羽生の答えに対して冷静さを無くし、
「そうだ!!それだ!!」
と叫んだ。学校の中庭は普通の学校でいう校庭のようなものだ。だが生徒はそれのことを“校庭”とは呼ばず、“中庭”と呼ぶ。健の通う早鷹中は一学年300人もいるために学校が広く、コの字校舎である。そのため、その真ん中のスペースである校庭は“中庭”と呼ばれるのである。
健は加藤が今日、ポーカーフェイスを崩すのは何回目だろう……と思った。
そして健は腕時計を見た。18:47。うん。
「学校までなら走れば十分ちょっとで着く。急ごう!」
健はそう言い、立ち上がった。
「おう」
加藤達も立ち上がった。
そして三人は玄関まで行き、靴を履いた。そしてドアを開ける。
辺りは暗くなり始めた頃だった。夕焼けがきれいだった。それを見てか、羽生はおおー、と感嘆の声を上げ、
「夕陽に向かって走るぞー」
と右拳を上げた。
「夕陽と反対の方向だぞ。学校は」
健が突っ込み、三人は笑った。だが、笑い声が一人分足りないことについての違和感があり、三人はすぐに笑うのをやめた。
「……行こうぜ。迎えに」
健は二人に話しかけた。
「ああ」
二人は重々しく頷いた。
そして三人は駆けていった。
夕陽とは反対の方向、北のいる場所へと。
北を迎えに行くために。




