馬鹿依頼
「つまり、二次方程式というのは、一次方程式と根本は同じなんだ。因数分解がわかっていれば分かるようになる。因数分解を見直してみることだ。中学の範囲だからって見くびっちゃいけない」
「……は、はい! ありがとうございました!! 先輩」
「いや、礼を言われる程のことじゃない」
「は、はい! じゃあ、失礼しましたあ」
ガラッと扉が閉められ、一年生の女の子は出て行った。
「ケッ。ずいぶんとお優しい口調で。加藤様」
「モテモテだねー。うらやましーよ」
「だったらお前らが教えれば良いだろうが!!」
「お前が希望って顔に書いてあんだよ。依頼人の顔に!!」
北、羽生と加藤の口論が始まりそうなので、健は漫画に目を戻した。今の依頼は“二次関数がよく分からないから教えてくれ”といったものだった。梅雨が明けたこともあってか、依頼が最近増えた。勉強を教えてくれ、という依頼はほとんど加藤に任せている。能力的にも適任だし、なによりも加藤目当てで来る者が多いからだ。
「おーい。いい加減にやめろー」
適当に注意するがやめる気配はない。仕方ない。健は再び漫画に目を戻した。
だが、漫画の内容は全くと言っていい程頭に入ってこなかった。昼休みの夢のことを考えていた。この部は、オレがいなくてもやっていける。オレは、リーダーに向いていない。それは悩みというやつかもしれない。正直、さっきの夢を見る前も少しは考えていた。
そんな時、ガラッと扉が開いた。同じクラスの佐部がそこにいた。
「……たのみてーことが」
佐部が言うと、健以外の三人から一斉に敵意のこもった眼差しで睨まれる。佐部は少し怯んだ。
「……ああ? 後にしやがれ」
「今、取り込み中なんだよ。後で聞くよ」
「……オレは今、不機嫌なんだ」
ほとんど同じタイミングで言い、その三人は元のにらみ合いの体制に戻った。佐部は、ええ? 戸惑ったように声を上げ、唯一まともな健を見つけた。
「おおい。伊勢ェ。どーなってんの? コレ?」
伊勢は二秒程して自分が呼ばれたことに気付き、漫画から目を上げた。
「ああ。……えーと、依頼は?」
「この状況で始めちゃうわけ!?」
佐部のツッコミ。健は難なく返す。
「そうだよ。話してくれりゃあ、こいつらも興味示すだろうから。……依頼によっては」
だが、佐部が依頼を言うより前にその場は静かになった。
佐部が勢いよく頭を下げたからだ。
「……おまえ……。佐部。……どうした」
「オレだってお前らみたいな奴らに頭は下げたくねーよ。だが、今回はお前らの力がいるんだ。頼むよ」
頭を下げながら言った。加藤が眼鏡を押し上げる。
「……すまなかった。佐部。お前がそんなに真剣になっているのに喧嘩など……」
俯きそうになる加藤に佐部が慌てて起き上がる。
「気にすることじゃねえよ。オレってちゃらんぽらんなイメージだし、喧嘩だってなにか訳があったんだろ?」
「佐部……」
皆は佐部に感動の眼差しを向けた。こいつ、実は良い奴? なんて思ってみたりもした。夢の中では健のことを悪く言ったうちの一人だったが。
「……で、依頼は?」
健は複雑な気持ちのまま聞いた。佐部はおっほん、と咳払いをした。
「あの……。G組に、獅子真紅っているだろ?」
「……はあ? 誰それ」
一瞬で北と加藤は怪訝そうな顔をした。健も知らなかった。やけに“し”が多いな……。
「はあ!? お前らなあ……。転校生だよ。ほら、一ヶ月前ぐらいにさ……」
佐部はしかめっ面で言うが、二人はピンと来ないようだ。健は思い出した。朝会の挨拶の時に何も言わなくて校長を困らせていた子だ。数秒遅れてあ、と唐突に羽生が声を上げた。羽生も思い出したようだ。
「ああ。朝会で紹介されてた人ねー。パツキンの」
そうそう、あの超絶美女の子。と佐部は頷いた。へー、超絶美女だったんだ。遠くからだったからわかんなかったけど。と羽生は興味が無さそうに返した。
「……ああ。そん時多分オレと加藤は停学中だわ。……超絶美女だったらオレが見逃すはずねえからな」
「お前、彼女いんだから、そんなこと軽々しく言わない方が良いぞ」
健の間に髪をいれない注意に北の表情が凍り付いた。え? え? え? と野次馬精神丸出しで佐部が身を乗り出す。
「北、彼女いんの?」
「……いるよ」
恥に耐えて答えた北に佐部は盛大に吹き出した。
「お前、お前なんかに、彼女が……。どんなブスなやつだあ?」
「あ。……それは聞かない方が」
「なんだあ。そんなにヒドいやつなのかあ?」
「お前ら、何を言っているんだ? ……川崎絵美だ」
何も分かってない加藤は躊躇いなくその名前を言った。それまで威勢の良かった佐部が一気に固まる。
「……な、なんだと……? 野球部のエースのオレでも彼女がいないというのにッ! なぜ、よくわからない部活の変態が……ッ! なぜ可愛いすぎる女子がああああ!!!」
まあまあと羽生がなだめる。健は大きくため息をついた。
「話、逸れまくりだぞ。……で、その獅子って奴がどうしたんだ?」
話逸らした本人が何言ってんだ、という北の声と北の恨めしげな視線を感じるが、無視する。佐部はそうだったな、と真面目な表情に戻った。つられて健の気持ちも引き締まる。
「ああ、実はだな……。その子、超絶美女なんだけど、恥ずかしがったりとか、笑ったりとかしないんだよ。ずっとクールで、逆に冷徹って感じなんだよ。だから、その子の頬を赤くしている写真を撮って欲しい。ギャップ萌え的な?」
「…………はあ?」
沈黙。二、三秒後、北がパキパキと指を鳴らして言った。
「お前、意味わかんねえこと言ってっと、ぶっ殺すぞ? ……羽生、モップ!!」
「ま、ま、待て!!! モップで何をする気かはわからねーけど、待て!!」
加藤がため息をつく。
「オレも軽く殺意を覚えたのだが」
「ま、待て。マジで」
佐部は慌てて両手を前に出す。
「引き受けます!」
突然、羽生が敬礼のポーズをとった。
「え?」
「は?」
「は?」
「何だと?」
奇跡的に一つもかぶることが無く、それぞれ声を上げた。
沈黙。
沈黙の中で佐部はじゃあな、よろしく、と言って出て行った。……逃げた。
「どーすんだあああああ。てめえええ。叩きのめすぞ」
佐部が出て行ってから一分くらいが経ち、北が羽生に向かって怒鳴った。
「まあまあ。考えてもみてよ。超絶美女だよ? 超絶美女。そいつに頬を赤くさせる……いや、真紅にさせるなんて、楽しそうじゃん」
「……まあ、そうだけどよ……」
北はまだ不機嫌な顔をしたままだ。
「まあ、とにかく受けた依頼は絶対だ。今日は作戦を練ろう。明日からに備えて」
健は不本意ながらにそう言った。
「おお? 意外とやる気満々? 伊勢っちぃ〜」
「……うるさい!! こんなことやりたくないに決まってんだろ」
そう吐き捨て、健はポケットから携帯電話を取り出した。




