仲違い
次の日、健は羽生と口を聞かなかった。教卓で授業をしている先生の声が耳に入らない。
昨日あんなことがあって、三人の心がバラバラになった。なのに、その三人が同じ教室の中にいる。残酷だ、健はそう思った。学校というものが。いや、この世界が。
こういうことを考えるのは厨二病ってやつなのかな……健はふと思った。そしてそう思ったことに気づき、授業中であることを忘れてつい苦笑しそうになった。心の奥底では、正直あまり大事とは思っていなかった。長崎とのことには自分も非があるが、あれだけのことであんなに怒るというのもどうかと思う。羽生とのことだって、見放されたような目をされたが、そんなことは今までもたくさんではないがあった。その時は知らない間に仲が修復していた。そして、今回もそうだろうと思っていた。
だが、やはりあんなことを言ってしまったことには後悔していた。羽生との仲が回復したとしても長崎には一生避けられるだろう。
……あれ? 健はなぜそのようなことを考えたのだろう、と不思議に思った。長崎に避けられたって、別に良いじゃないか、というか長崎のことは嫌いなんだから逆にありがたいことだ。
……そんなことを自分に言い聞かせた。
「はーい、じゃあ終わるわよー。ごうれーい」
ミサキ先生の言葉で学級委員の号令がかかる。起立、礼。バラバラと“さようなら”という声が上がり、学校が終わった。
「ぷひゃあー、終わった終わった。……帰ろうぜ、伊勢」
そう健に呼びかけたのは家がそこそこ近くてそこそこ仲が良い小谷だ。
健はああ、と頷きかけた。だがすぐにそれを引っ込めた。羽生とのことが少し気になっていた。果たしてこのまま帰っても良いものだろうか、と健は思っていたのだ。
「……いや、先に帰ってくれ。ちょっと図書館で調べたいことがある」
健は咄嗟に嘘をついた。小谷はふうん、と納得のいかないような顔をする。そしてその表情のまま、
「わかった。がんばれよ」
と言い、じゃあな、と手を振って教室を出て行った。
“がんばれ”か……小谷っていい奴だな……そう思った。
少しの間ぼー、としていたら荷物をまとめていた隣の席の女子、相内に怪訝そうな顔で見られた。そのことに気付き、健ははっ、と我に返った。
「……伊勢君、大丈夫ですか? 今日一日中どうしちゃったんですか。授業も全く聞いてなかったみたいだし」
その言葉に健は苦笑した。周りにも分かるほどだったのか……。
相内は眼鏡をかけている、いわゆるお堅い系の女子というやつだ。とても頭がよく、加藤と学年一位を争うほどの実力だ。健は顔の前で手を振った。
「いや。何でもないよ。ちょっと考え事してて、さ」
相内はちらりとこちらを一瞥してから眼鏡を押し上げた。仕草が少し加藤に似ていると健は思っている。
「……そうですか。でも、授業を聞かずに考え事に耽っているなんてあまり感心ではありませんね」
相内に指摘され、健はまた苦笑した。
「まあそうだね……。それよりも相内、部活あんじゃないのか? 急いだ方がいいよ」
「……そうですね。じゃあ失礼します。…………ところで、余計なお世話かもしれませんが、伊勢君は部活には入らないのですか? 楽しいですよ。きっと」
生徒会が忙しいから部活の暇がないと言おうとしたが、すぐに別のことを思い出した。
「……あっ!」
そうだった。すっかり忘れていた。羽生に謝ろうと思っていたのだ。周りを見ると、羽生はもういない。長崎もだ。
「……くそっ!」
健は地団駄を踏んだ。また相内が怪訝そうに健のことを見る。
「……どうしたんですか?」
そう言ったが、相内はすぐにはっとしたように表情を変えた。
「……もしかして、羽生君と何かトラブルでもあったんですか? ……それで、謝りたいとか?」
「なぜ分かった」
相当勘のいい奴だなこいつ、健はそう思い、相内の顔を凝視してしまった。そんな健の視線に気付いてか、相内は顔を赤らめて一歩退いた。
五秒ほどの沈黙。その後、相内は少しため息をついた。そして警戒するような目つきを解いた。
「……図星だったみたいですね。……まったく、親友なんでしょ。伊勢君達は。仲直りしないといけませんよ。早いうちに」
「そうだよなあ」
健はがっくりと肩を落とした。相内はその様子を見て、ただ、とまた口を開いた。
「……あなた達にはすごく強い“絆”みたいなものがあるから。ちょっとやそっとじゃ壊れないと思うんです……私、羨ましいと思う時があるってぐらいだから……だから、…………とにかく、頑張ってください」
そう言った後、すこし赤い顔の早口でじゃあ、部活だから、と言って走り去っていった。慌てていたためか眼鏡が少しずれていた。
健は彼女が出て行った教室のドアを見つめていた。
「ありがとう」
気付いた時には健はそう口走っていた。
***
「待てええええ」
夕焼けの赤い光の差し込む人気のない学校にその声は響く。その声を上げた張本人、羽生は黒ずくめでマスクをかけた、怪しい人物の典型のような人を追っていた。
くそっ、速っ!!羽生は追いながら思った。羽生はスタミナはあまりないものの、五十メートル走が六秒五という高二にしては速いタイムだった。それなのに、今追っている奴は羽生が走れば走るほど離れていく。
「……いてっ!」
こけた。顔から落ちそうになったが、昨日、柔道の授業で受け身を教わったので、大した怪我はせずに済んだ。反射神経は悪い方ではない。羽生は顔を上げる。
「あれ?」
羽生は素っ頓狂な声を上げた。謎の男の姿はもうなかった。……どんだけはやいの? 全く……
「はあーー」
急に疲れが溢れ出し、その場に寝転がった。その途端、声を掛けられた。
「おい。そんなとこで寝転がるなよ」
うわっ! ビックリした。だが、その声は聞きなれた声だった。
羽生の横には健が立っていた。




