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嫌悪


 健が振り向いたそこには少しもじもじした長崎がいた。羽生もそれに気づき、持ち上げたバッグを机に置いた。健は不快さを露骨に顔に出しそうになったが、それを堪えて、できるだけ感情を抑えて言った。


「何だ?」


 とそれだけ。長崎はもじもじしながら、


「相談があるの」


 と言った。健達が生徒会第一支部と知ってのことだろう。

 長崎は話し始めた。いつもの活発で生意気な様子はほとんどない。自分たちに悩みを打ち明けるのがよほど屈辱なのだろう。そう健は感じ、また長崎に対しての嫌悪感が溢れ出して彼女の話が耳に入らなかった。


「伊勢っち?」


 羽生が怪訝そうに健の顔を覗き込む。長崎の話が終わったのに黙り込んでいたからだろう。

 健は羽生にすまん、と微笑みかけた。健が長崎の話に対して何か言うかと思っていたのか羽生は黙っていた。しかし健は話を聞いていなかったので何も言えるはずがない。沈黙が続き、羽生が戸惑った様子で口を開く。


「長崎ちゃん、そういうことはオレらじゃなくて先生とか親または警察に相談した方がいいんじゃないの?」


 健は眉をひそめた。警察? どんなことを相談しに来たんだ、長崎(こいつ)は。


「親とかには相談しづらくて……そんな時伊勢達のことを思い出したの」


 全く会話の内容が分からない。健はその場にいながら会話に参加できないというもどかしさを感じていた。


「わかったよ。長崎ちゃん。つまり、そいつを捕まえればいいんだね? ……まあ、任せてよ」

「……うん。ありがとう」


 健の思いは関係なく、会話は続いていく。

 長崎が上目遣いでチラ、とこちらを見上げて、また俯いた。


「とにかく相談したかったの。捕まえなくてもいいの」

「相談なら教育相談室へ。オレ達は捕まえることぐらいしかできないよ」


 そう言って羽生は歯を見せてニッコリと笑った。長崎も微笑んで、


「別にかっこよくないよ、羽生」


 と言った。羽生はえぇー、と声を上げてからまた笑った。


「いつもの長崎ちゃんだ」


 羽生は言い、また続ける。


「今の長崎ちゃん、なんかすっごく違和感あったもん。変な感じがしたよー」

「何それ。ありえない。女子にそんなこと言う? だからモテないんだよ、羽生は」


 そう言いながらも長崎の表情は柔らかかった。

 なんだ、楽しそうじゃないか。どっちも。なのにオレはこんなに暗い気持ちになっている。二人で楽しそうに健にはわからない話をしている。健はとてつもない疎外感を覚えた。と同時にとてつもなく不快な気持ちになった。そしてその時、憎しみの気持ちを覚えた。根拠は分からない。長崎に対して嫌悪感だけでなく、憎しみの気持ちも持ってしまった。


***


「勇気あるね。……長崎ちゃんってさ」


 羽生が唐突に言った。


「……はあ?」


 健はすこし苛立って言った。長崎と別れた後、疲れたので帰ることにしたのだ。

 羽生は肩に掛けていた鞄を右手で持ってぶらぶらと前後に揺らし始めた。


「……だってさ、あんなことは他人に相談できねーよ。ふつーさ。恥ずかしがってんの見たでしょ」

「違う」


 健が仏頂面で言う。え? と羽生は間抜けな顔をした。


「……あれはそういう理由じゃない。オレ達に、オレ達ごときに悩みを相談するのが屈辱的だったんだろ」


 羽生は怪訝そうに眉をひそめた。


「どうしたの? ……伊勢っち、長崎ちゃんのこと嫌いなの? さっきからへんだけど」


 わざとじゃないとは知っているが、羽生のゆっくりした口調が妙に腹立たしくなった。


「ああ嫌いだよ。だからなんだよ。なんか悪いことでもあんのか」


 声を荒げてしまった。これじゃ八つ当たりだ。そんなことは分かっているのに口が勝手に動く。


「だいたいお前もなんなんだよ。あんな奴にデレデレしてさ。フザケんなよ!!」


 大声を出してしまう。周りの通行人の視線が少し当たる。ヤバイ、本格的に八つ当たりになった。羽生が戸惑ったように口を開く。


「お、おい……大丈夫? い、伊勢っちっぽくないよ。それに……」


 羽生が言葉を遮らせた。あ、と目を見張った。羽生の目の焦点は健より後ろ側に合っていた。健はイライラした気持ちのまま後ろを振り返った。

 振り向いた目の前には、長崎がいた。長崎は目に涙をためて上目遣いにこちらを睨んでいる。

 それを見た時、健の感情は爆発した。健にはもう自制心などなかった。

 気付いた時にはこう叫んでいた。


「お前なんか、大っ嫌いだ!!!」


 一瞬、目の前が真っ白になった。パチーン、と高い音が響く。頬に痛みが走る。その手、長崎の手はさっき教室で健の肩を叩いた手と同じはずだった。それなのに、健の頬を打ったその手には人の体温が感じられなかった。その手の冷たさは健の心に刺さったように感じた。

 心が冷えると同時に頭も冷え始めた。と同時に大変なことをしてしまった、と思った。もともと面とむかって嫌いだと言うほど嫌いではなかったはずだ。ただ、好きにはなれないというだけで。

 長崎は目にためていた涙をこぼし始めた。そしてすぐに後ろを向き、走り出した。

あ、待て。そんな言葉が頭に浮かんだ。だが、口には出さなかった。出せなかった。

 羽生が健の方を睨んで来る。そして健に言う。険しい口調だ。


「……伊勢っちがそんなにデリカシーがない奴だとは思わなかったよ。長崎ちゃん悩んでんのに……今回はオレだけでやる。伊勢っちは出てくんな」


 そう言い残して羽生は長崎を追った。

 オレは長崎の悩みなんて知らなかったからあんなこと言っちゃったんだ。言い訳が頭に浮かんだが、言葉には出さなかった。長崎の悩みを知らなかった理由はなんだ? 話を聞いていなかったからだ。……笑える。健は自虐的な気持ちになった。だが、どこかで長崎の味方に付いた羽生を憎らしく思っていた。それに気付いたとき、健は電柱にでも頭を打ち付けたい気持ちになった。

 健は一人取り残されていた。周りの通行人の視線が痛い。

 本当に一人だった。傍らには誰もいなかった。羽生の“出てくんな”という言葉がよみがえる。

 健はとてつもない喪失感にただ立ち尽くすしかなかった。


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