溶けた魔法
残暑の厳しい九月を迎え、聞こえてくる蝉の声もわずかに季節は秋をむかえようとしていた。
そんなとある高校の中庭。
***
――面倒なことになったな。
と、頭を掻きながら思うのは吉岡真理高校2年生を迎え、仰々しい名前と違い兎に角女の影の後を立たない所謂なんとやら。
一八〇センチに届きそうな長身に、長めの前髪の掛かる切れ長の瞳。日々の水泳部で鍛えれれた身体のついでとばかりに色素の抜けた髪はほどよく彼の軽さを表していた。
「んーとにかくね。俺今彼女いるの。一応俺二股はしないようにしてるっていうか……」
苦笑いをしながら言う彼の前には、女子生徒の姿。
先程から続くこのやり取りを、彼女が目に入れたと考えただけで……
――めんどくさ……。
まだぐずぐずいうこの女をどうするべきか。
「おけー? 俺の愛は略奪からははじまらないよー」
考えた末ここはさっさと立ち去ることにした。
後ろからなんだか声が聞こえた気がするが、気にしないことにして教室に戻る。
クラスメイトからの冷かしも受け流し、さっさと弁当を食べて彼女のもとへ向かう。
正直、今の彼女とうまくいっているわけではなかった。
夏のはじめに付き合いだした彼女とは、告白されて付き合い始めた。けれど、自分から惚れたようなものだったと、真理は思っている。
彼女の名前は藤原都と言った。告白されたとき彼女のことは知リもしなかったけれど、今どきこのへんでは珍しい長く伸ばした黒髪に、化粧っけのない顔。華奢な身体は今にも夏のまぶしさにさらわれそうだった。
長期休暇中はなんども遊びに行った。
しばらくするうちに、彼女が見た目どおり飾り気のないまっすぐな人間だということが分かった。
夏休みが終わった頃だった。
彼女が前みたいに笑わなくなったように、真理には見えた。
ほかの女なんかと比べれば、化粧なんてしなくても比べ物にならないくらい綺麗だったし、お互いの気持ちも変わっていない。と真理は思う。
彼女のクラスに行くと、友だちと話す姿に声をかける。
「やほ、俺さっき告白されちゃってさー撒くのに参ったよ」
笑いながら言うと彼女は普段通り笑った。少年が歌うようなアルトで、鈴みたいに笑う彼女の声は、真理の好きなものだ。
「やっぱり真理はもてるな。でもね、あたしも昨日告白されたのよ」
……笑いながら言う彼女に感じた、今の気持ちはなんだろうか。
真理は顔に出さないように気を付けながら「そっか」とだけ言ったと思う。後に続いた彼女の言葉が衝撃的すぎてよく覚えていない。
「真理はさ、正直恋愛ってなんだと思う?」
「え?」
真理は多分、今までの女がこんなことを言い出したら一発で別れていたんだろうな。と頭の隅で思ったけれど、今はそれどころじゃない。
今まで何があっても笑顔だった。
数少ない喧嘩の時でさえ、彼女は薄く笑んで真理を諭してくれたのだ。
そんな彼女が今、笑っていなかった。
――夏が終わるんだよな。
二人きりの教室に響くのは蝉の声ではなく、タイムリミットを示すような時計の音。
――終わるのは、いやだなあ。
女と切れることを嫌だと思ったのなんて、初めてかもしれない。
今まで語りあったのはなんだったのか、今まであんなに。
そんな思いばかりが巡って、真理は彼女の質問に答えられなかった。
「俺は……好きだよ。都の事が」
「そう、あたしも好きよ」
お互いそんな告白をして笑った。
――恋って、なんだっけ。
真理にすれば、今まで自分がまともな恋愛をしてきたとは思っていないけれど、恋愛が出来ないとは思わなかった。
――もうちょっと、ピンク色じゃなかったっけ?
学校帰りに雑貨屋やらファストフード店やらによって、他愛ない話をして帰る。
休日には遊びに行ったり、お互いの家でなんでもないことを話したりする。その時間が、ピンク色だった。
彼女とも、そんな感じで過ごしてきたはずだ。
――どうして最近は、ギスギスしているんだろう。
それでも自分の気持ちがここまで相手に向くなんて珍しい事だと真理は自覚しているから、大切にしたいと思うし、都の質問にも答えたいと思った。
まるで、かかった魔法に溶けるみたいに自分たちのまわりの色がワントーン落ちてしまった。
――とりあえず、なんか誘ってみるか。
週末に出かける約束を取り付けて、その場は立ち去った。
真理の頭からは、何か言いたそうな彼女の顔が離れなかった。
週末、真理は都を連れて映画館に行った。
流行りの恋愛映画を選んだのは
――いや、馬鹿だとは思う、思うけどっ……。
何か参考にならないかなと思ったからだった。
しかし、甘い恋愛映画にそんなものを期待するのも無駄だった。
二人で主演の女優や相手役の男の演技にとやかく言いながら近くのカフェでくつろぐ。
彼女のグラスから香るココアの香りが、真理の固まった気持ちをほぐす。
真夏ほど強くはない日差しが、テーブルの横にある大きな窓から差し込んで彼女の横顔を照らす。
――綺麗だな。
改めて見ると、本当に綺麗なんだと思う。
不意に、その白い肌に触れてみたいと思った。
そこに激しい感情は無く、真理は手を伸ばさなかった。広がる気持ちに少なからず驚いたけれど。
手を取りたい、触れたい、キスをしたい。
静かに溢れる真理の気持ち何かそっちのけで、彼女は窓から行き交う人々を眺めていた。
カラン、と薄くなったココアが氷を溶かした。
手を付けた彼女の手が結露に濡れる。
――あ、俺恋してんだな。
大事にしたい。心底そう思った。
深く、深く思った。
「……都」
「んー?」
「思ってたほど汚くないし、思ってたほど綺麗でもないと思うよ。恋って」
彼女は真理を正面から見つめなおした。
真理は彼女を見ない。
外にはサラリーマンやなんかにまぎれて数組みのカップルも見える。
「俺さ、お前と恋人同士したいってそればっかりだったんだよな。守りたいって。すげー傲慢なの」
少しだけ日が強まって、まぶしさに目を細める。
「恋って切ないようなそうでもないような、俺にもよくわかんないけど俺の中にはないと思う。恋も、愛も、俺の中にはないと思うわけよ」
ここ。真理はテーブルを指した。
とんとん、と指の先で叩く、テーブルのちょうど真ん中。
「ここにあるんよ。二人のちょうど真ん中。そりゃ、俺ん中どんだけ探してもないわ」
そう言いながら、真理はやっと都の顔を見直した。
彼女は、泣いていた。
「えええええええっ! なに?俺何かした?」
焦って聞く真理に対し、都は今までにないくらい嬉しそうに笑った。
「なんか、急に真面目なこと言い出すから何かと思ったよ」
「それで、なんで泣いてんの」
「……嬉しかったから」
真理と都は、少しだけ弱くなった日差しの真ん中で笑いあった。
薄くなった魔法が二人をつなぐ。
***
***
Another
――めんどくさいなあ。
心底そう思いながらも私の頭の中をめぐるのは彼の事。
こんなシーン、出会ったらなんて言うんだろ。
きっと、「俺もさっき告白されたんだ」とかなんとか言うに決まってる。
すこしおかしくなって、目の前の男に微笑んでしまう。
男は、もう一度恋の言葉を繰り返した。
「ごめんなさい。私、もう好きな人居るから」
わざと、彼氏とは言わなかった。
彼氏と彼女、そんな関係で片付けたくなかったのかもしれない。
恋とか愛とか、多分彼はそんなこと考えていなけれど、私は彼のことが好きだった。そんな二人が今まで恋していたのは、夏の魔法がったのかもしれない。
最近、二人の間を流れる空気は、以前とは違う。
なんでかなあ。
そんなことを思いながら休み時間、友達と話していると、彼が来た。
友達は気を利かして出ていってくれて、私と彼は二人っきりだ。
彼は聞いてもないことを言った。
私も聞かれていないけど彼に伝えた。
少し間が空いたけれど、お互い告白されること自体そんなに珍しいことでもないし、事実は空気に消えた。
私はふと、思っていたことを口に出した。
「真理は、正直恋愛ってなんだと思う?」
これ以上ないくらい驚いた顔で、彼は固まった。
蝉、みんな居なくなっちゃったんだな。
続く沈黙にそんな事を考えていると、彼はやっと口を開いた。
「俺は……好きだよ。都のことが」
彼が、今まで見たことないくらい悲しそうに笑いながら言うから、私も言ってやった。
「そう、あたしも好きよ」
そうして二人で笑ったけれど、なんだか真面目な顔をして週末の予定を告げる彼に、正直嫌な予感しかしなかった。
もともと今までの彼女と長く続く方ではない彼に、あんな面倒なことを聞いてしまった。
本当に、終わっちゃうのかな。
窓の外では、風に葉が揺れている。
日差しは、前ほど強くない。
恋愛映画とか、見る人だっけ。
正直、そう思った。
今まで見た映画は大体流行りのSFだとか、アニメなんてこともあった。
ますます、嫌な予感がして、流行りのアイドルのひどい演技だけが目についた。
昼を少し回って、二人でカフェに入った。
この辺にはよく来る割に、こんな店があったことも知らなかった。
大きな窓のある二人席と、カウンター席のある綺麗な店だ。
クリーム色の漆喰とダークブラウンの壁に囲まれて、どこの国の言葉かもわからない曲に身を任せるのは、ひどく心地よかった。
行き交う人ごみを見つめていると、自然と気持ちが落ち着いた。
急に発された彼の言葉に、思わず向き直った。
てっきり、「終わりにしよう」そう言われるのだとばかり思っていた。
彼の言葉は、驚くほどなめらかに心に馴染んだ。
絡まった気持ちがほぐれていくのと同じように、涙腺も緩んだ。
彼は焦っていたけれど、私はすごく、嬉しかった。
涙を拭いながら、薄くなったココアに手を伸ばす。
***
恋だとか愛だとかに、綺麗な幻想を抱くほど僕らは純粋ではないかもしれない。
でもそれでも、恋って切なかったらいいな。
なんて幻想を抱くのは、大人の言う青さで、僕らの言うところの青春なんだろう。
君がいればそれだけで、僕の笑顔も涙も君のものだとか。言ってみたいよ本当。
ぶっちゃけそのくらい好きだけどね、
言葉は最期にとっておこう。
この気持ちを明日に繋ぐ為だとか言ってさ。
自分のものにしたり、押し付けたり、恋愛ってそういうんじゃないと思うわけですよ。
見つけるのはやめた。
二人で捜しに行こう。なんて。
最期にこんな気持ちを背負わせるのは、少し酷かもしれない。
「ありがとう、愛してる」
きっと笑顔で。
活動の一環として文芸誌に載せたものですが、秋らしくなってきた今、改めて載せようと思いまして。
〆切に間に合わなくて、1時間半くらいで書いたのを覚えています。
中身は、RADWIMPSさんの遠恋とか、セプテンバーさんとか。ちょっと切ない感じをイメージして書いたので思い当たる方いらっしゃるかもです。
評価、感想の方よろしくお願いします。