第六話 日常からの逸脱
四葉に連れられ、数歩後ろを歩く刻は始めて見る学園本部を物珍しげ、と言っても特に珍しいものは無く、入り口から右に自販機と資料室と書かれた扉があり、左側には待合所の様なところと受付程度、そしてまっすぐ行くとエレベーターが2機と非常用階段しかなかった。
四葉と刻はエレベーター前で立ち止まり、四葉は上向きの矢印の描かれたボタンに触れ、しばらくするとデパートなどで聞くような音が鳴り、目の前のドアが開いた。
「お乗り下さい」
四葉に促された刻がエレベータへ乗った後に四葉も乗ると、5階を押すと押した瞬間にドアが閉まった。
しばらくの間エレベーターに乗り、目的の階につくとエレベーター独特の感覚が刻を襲い、少しふら付いた。
学園長室のある五階は静まり返っており、音を立てること自体がタブーの様な感じがした。周りは薄暗く、明り取り用の窓は無い。学園長室はエレベーターを降りて直ぐ向かいにあった。
四葉が歩き始めたので刻もそれについて行く。
大きな黒く塗られた扉の前で止まった。
「此方の部屋に学園長がいらっしゃいます」
ゴクリ、思わず唾を飲み込んだ刻は自分が緊張をしていることに気がついた。
そして、四葉が扉に手をかけ、ゆっくりと音を立てない様にやってるかのごとく静かに扉を開けた。
扉が開かれていくと、部屋から光が溢れた。刻は眩しさで顔をしかめたが、光にも直ぐになれた。四葉が先に中へ入って行き、刻も後に続く。部屋の中を見ると床にはカーペットが敷かれ、両側の壁には本棚があり、本がびっしりと入っており、天井には豪奢なシャンデリアの様なものもあった。そして部屋の奥の真ん中には学園長の机があった。しかし学園長は回転式の椅子に座りこちらに背を向けており、わずかに頭と手が見えるだけだった。
「学園長、凪裂 刻様をお連れしました」
それを聞いた学園長は椅子から立ち上がったが背を向けたままだった。
「ご苦労様、栞紙君。下がっていて良いよ」
学園長――――辻風 紫勇は電話の時と同じような声で言った。
「はい。失礼します」
四葉が部屋に入って来た時と同じように扉の音を立てずに出て行くと、刻は一人取り残されてしまった。
「よく来たね、刻君」
辻風はそう言うとこちらにゆっくりと顔を向けた。
「あなたが、学園長先生・・・・・・」
辻風 紫勇は背の高い男性で、180はゆうに超える身長だった。髪の毛は短く、顔も整っており、髭があごのあたりに少し生えていた。若干威圧的な視線を送ってくるが、刻は電話での会話から考える限り、とても怖い人の様には思えなかった。
「学園長先生だなんて、堅苦しい名称は許してくれよ。辻風とでも呼んでくれないかな?」
「は、はい。学・・・・・、辻風、さん。凪裂 刻です。・・・はじめまして」
刻の想像通りその手の人の様な人ではなかった。むしろとても優しそうな人である。
「うん、それでよし」
辻風は満足そうに頷くと、何処かで見たように右手で指を鳴らすと、刻の足元のカーペットに幾何学模様が浮かび上がった。
「・・・これは、魔法!?」
今日の放課後、宗教学研究棟で見たものと同様に青色に発光し始め、カーペット上に少し装飾の施された椅子が具現されていき、完全に椅子が具現されると発光も収まった。
「驚いたかな?」
「は、はい・・・。辻風さんも魔法使いなんですか?」
魔法―――実宵はその場で詠唱を行い発動させるか、魔方陣と呼ばれる模様を何かに描いて携帯し、詠唱無しで発動させることが出来る。辻風の使用したのは後者である。
「いや、私は魔法使いや、魔術師の類じゃない。でも、虚神君に頼んでいろんな種類の魔方陣がこの部屋の至る所に施してあってね、ついでに言うと君の通った道にもたくさんあったんだよ。」
辻風の言葉を聴いて帰りに魔方陣だらけの道を戻ることになるのかと思うと、とても不快な気分に刻はなった。
「基本的には詠唱しないと魔法は使えないけど、魔方陣さえあれば一応誰でも使えるんだよ。無論、君にもね。おっと、無骨な椅子だけど、せっかく出したんだから座って、座って」
辻風の説明が終わると思い出したかのように魔方陣によって作られた椅子に座るように促し、刻が座ると辻風も自分の椅子に座った。
「では刻君、ここに来たという事は真実を知りたいんだね?」
「・・・・・・はい」
刻が肯定の意を唱えると、辻風は脚の上に肘を乗せて手を組み顔を近づけた。
「分かった。では、私の知る限りの事を君に話そう」
そして、辻風は刻に話し始めた。
「私は、君のお父さんとは長い付き合いでね。彼と私は大学で知り合ったんだが、昔の彼との出会いは面白くてね。フフッ、彼は私の大学の後輩だったんだけど、私がある研究室を訪ねると、その部屋の中に床が見えないくらいの書類あったんだ。それに埋もれて寝ている人がいてね、それが君のお父さん勇君だったんだ」
自分の父、『凪裂 勇』と辻風の出会いのことなど本来ならばどうでもいいことで、早く事故の真相を知りたかったのだが、刻の中で真面目でしっかりとしていて、失敗やだらしない行動など見たことが無かった刻にとって予想外の父の若き頃の話に意識はそちらにしか向いていなかった。
「勇君は研究に夢中になりすぎて三日三晩ずっと研究室にこもっていて、疲れ果てて寝てしまっているところを偶然私が見つけたんだ」
(父さん、昔から研究熱心だったんだ・・・)
刻の父、勇は生物学の研究をしていた。生物学の業界ではとても有名だということを物心ついたころから知っていた。
刻の家で勇は、今は使われていない2階の書斎で毎日のようにこもっており、刻の母が呼びに行かなければ食事にも降りてこなかった。
「私が勇君を起こそうとしたところに、君のお母さん、狭霧 深刈さんがやってきてね、勇君を叩き起こして私に迷惑をかけたと思ったのか、彼の頭を鷲掴みにして二人そろって頭を下げてきてね、私も面食らったよ」
刻の母、狭霧 深刈は勇と幼馴染で、幼・小・中と同じ学校に通っていたらしいが、高校で分かれてしまったが大学で再開し、刻はなんやかんやあって付き合うことになったと聞いており、そのなんやかんやの部分を何回も聞こうとしたが、教えてもらえなかったという。
「その後、特に私が何もしていないことを言うと深刈さんは慌て始めてしまってね、今でも思い出すだけで笑ってしまうよ。まあ、その後勇君と私が同じ学部であることが分かってね、そこから彼と知り合いになってね、君のお父さんに何度も深刈さんとの惚気話を聞かされたものだよ・・・」
「なんかすいません・・・、うちの親が・・・」
事実、勇は毎日のように書斎にこもっていたとしても深刈のことは大切に扱っており、深刈の作る創作料理が失敗していようと絶対に笑顔を崩さず美味しいと言って食べていた。
「いや、私も聞いていて面白かったよ。まあ、何回か同じ話があったけどね」
刻は自分の親がここまで恥ずかしいことをしていたのかと思うと顔から火が出るほどだった。
「さて、前置きはこれ位にして、話を進めるとしよう。あの事故には不可思議なところがあった、ということは知っていると思う」
刻は頷いた。
「突然起きた崖崩れに勇君と深刈さんの乗った車が巻き込まれた事故、警察のほうではこういう風に済まされてしまっているが、崖崩れの起きた場所には何かで抉り取られたような跡があった、これは知っていたかな?」
「はい」
「わかった。私は勇君たちが亡くなったと聞いて直ぐに、事故現場に訪れたんだ。私はその頃から呪受者や天使の存在を知っていてね、それらを追うために私は呪受者達の出す魔力やマナと呼ばれているものの名残を感知する方法を得とくしていてね、私はもしやと考えて調べてみると予想通り名残があった」
「つまり・・・・・・、呪受者か何かが父さん達を殺したって事ですか・・・」
今までどうやったら、事故ではなく勇達を殺したのかを考えていたが、自分を狙う者達だと分かった瞬間、内に秘めた感情が漏れ出していき、両親を殺した憎しみと自ら此方に来てくれるという好都合なことから来る喜びが出てきていた。
「おそらくそのはずだ。そして君を殺そうとやってくる呪受者だけれど、君は記憶を手に入れただけであって、力を手に入れたわけではないから彼らにとって格好の獲物だろうね」
力を手に入れたわけではない、格好の獲物と辻風に言われ、先ほどの感情は直ぐに霞んでいった。
「確実とは言えないけど、いずれは力のほうも手に入れると思うけど、まだ君は無力だ。友人の息子をみすみす殺させるわけにはいかないからね、刻君には護衛をつけるとしよう」
再び辻風に言われた現実に自分の無力感を刻は覚えた。
「君の護衛は誰が良いかな・・・。うーん、そうだ!虚神君にしよう、うん、それがいい」
無力感から、何も聞こえていなかった刻だったが、護衛の話は聞こうとなんとなく聞いていたが、虚神の名が聞こえた瞬間、耳を疑った。
「え!?護衛の話は分かりますけど、なんであいつなんですか!?」
「ん?いや、虚神君はその手の道のエキスパートと言って間違いないからね、しかも博識だし、私の知識なんかよりもずっと上だよ」
「いえ、だとしても、」
「ぐだぐだ五月蝿い奴は嫌いだぞ私は」
ビクッ、っと音が鳴りそうなほどびっくりした刻の目の前に話題の張本人である虚神 実宵が「辻風 紫勇」としてではなくいきなり現れた。実宵は刻に息がかかるほど顔を近づけてきた。
「うおっ!!な、なんでいきなり!?」
「おや、相変わらず行動が早いねぇ」
「ずっと、見ていましたから」
「どうやって見ていたんだよ・・・」
「無論、魔方陣を使ってだ、ここに移動するのにも使った」
「万能なんだな、魔法ってのは・・・」
刻がボソッと呟いたが、それを聞き逃さなかった実宵は、
「いや、魔法は万能ではないぞ」
「そうなのか?」
「まあ、まあ、その話は後にするとしようか。虚神君、話は聞いていたと思うけど、刻君の護衛と彼を鍛え上げてくれないかな?」
刻は内心でちょっと待てと異議を唱えようとしたが、実宵が答えるのが早く、
「分かりました」
「ちょ、まっ・・・・・・!!!」
再び異議を唱えようとしたが、思い空しく実宵に首に打撃を入れられ、パタリと倒れてしまったが辻風と実宵は気にせず話を続けた。
「うん、ありがとう」
「紫勇さん、刻を鍛えるために私も彼と同じ場所にいる時間が長いほうが良いと思うので、彼の家に住み込みをしたいのですが、よろしいかしら?」
(ん?今なんか、とんでもない話が進んでないか?)
薄れゆく意識の中で刻は話を聞いていた。
「う~ん、教育者として余すすめられないけど、まあ、良いと思うよ」
「あざーす」
「軽いなぁ、おい!!」
刻が絶叫すると、おや、と言った具合に実宵は目を見開いた。
「また計算が狂ったな。刻相手だと計算が狂ってしまうな、これは鍛えるついでに研究もしなければならないな」
不気味な笑みを浮かべ、クククッ、と笑い声を上げた後、辻風のほうを向き
「それでは、私は準備をしますのでこれで失礼します」
「うん、じゃあね~」
軽い感じで手を振っていると実宵は床を履いていた靴で叩くと魔方陣が発行し始めた。
「じゃあね刻、また後でね」
茶化したように言った後、実宵は消えた。
「さて、虚神君も行ってしまった事だし、最後に一つ。分かっているとは思うけど、このことは誰にも言っちゃだめだよ?もし誰かに知られてしまったら、私も隠蔽が大変でね、結構大変なんだよ、掃除って」
その一言によって、自分が考えていた辻風像はまったく違っており、見た目通りだったのではないかと思う羽目になった。