番外編 とある月夜に
夜が来ると、昼間は賑わっていた街はそのほぼ全てが沈黙する。商店は店を閉め、昼間は多くの人が出入りする図書館や学術院もその門を閉ざし、人々は来るべき夜に備えてそれぞれの家へと帰っていく。2か所だけ煌々と明かりが灯るのは、夜通し研究を続けている学術院の白亜の建物と、貧民街の一角に高い塀で囲まれた歓楽街だ。その2か所だけは、まるで時間など関係ないかのように夜空の輝きを圧倒する勢いで光を放ち続ける。
誰もが行く所、もしくは帰る所を持っている。
では自分はどうなのだろう、とユイは考える。
ライルは久しぶりにアルタナに帰ってきた知り合いの情報屋を捕まえると言って留守。ギルマールは3日前にペンダントをライルから借りて以来、寝食を忘れてしまったようにその調査に没頭している。あぁなったら調査が終わるか体が限界を訴えるまで止まらないから放っておけ、とライルに言われて、ユイはなるだけギルマールの部屋には近づかないようにしていた。
ライルとギルマールが、全て自分のために行動してくれていることに、ユイは感謝しつつも戸惑いを感じている。
一人、ライルの部屋の窓際で膝を抱えて夜空を見上げながら、ユイは月光と同じ色の自分の髪の毛を手にすくう。
腰まである銀髪、そして夏の木立のような深い緑色の瞳。この組み合わせこそが、ユイが竜族であることを示す証だった。どちらか片方だけならば人間との変わりはない。しかし、この特別な組み合わせは竜族にしか生まれない。それもまた不思議なことだと、ファーレンハイトはユイの髪を楽しそうに弄びながら言っていた。
ファーレンハイト。自分を助け、父の無二の親友だった、ただ一人竜族の味方をしてくれた人間。ユイは、ファーレンハイト以外の人間は自分たちにとって敵か、そうではなくとも非好意的な存在なのだろうと思っていたし、実際それは事実だった。・・・500年前は。
500年という時を超えて、ライルによってペンダントから解放され、ギルマールと知り合って、二人は人間だけれどユイの敵ではなかった。どころか、自分にとっては何の益にもならないはずなのにユイを助けようとしてくれている。
守ろうとしてくれている。
それがユイには不思議で、少しだけ怖くて、そして泣きたくなるくらい・・・幸せだった。
最初にライルを信じ切れずに、竜族であることを咄嗟には言い出せなかったことが申し訳なくなるくらいに。
知らないのならば、それでいいのではないかと、誤魔化して隠し通そうとすら考えていた自分が恥ずかしくなるくらいに。
ライルの明るい声も、眩しい笑顔も、時折真剣になる蒼い瞳も。
ギルマールの優しい声も、そっと落とされる微笑も、学者のような冷静な黒い瞳も。
どれもがユイには温かい。
そっと自分の体を抱きしめて、ユイは自問する。
ここにいていいのだろか。このまま甘えてしまってもいいのだろうか。
ユイは、自由に生きて、いいのだろうか。
それをライルに聞けば「当たり前だろ!」と返されるような気がして、ユイはクスクスと笑うと、500年前と変わらない月を、500年前とは違う場所で見る。
自分がここにいていいのか、自分は何をしたいのか。失われてしまった記憶が本当にユイの中にあるのか。分からないことはたくさんあるけれど。
それでも、今は二人と穏やかな日々を過ごしたいと・・・ユイは、静かに願ったのだった。
<NEXT>