第7話
ライルがその気配を感じ取ったのは、市街中心部の女性服専門店でユイの服を購入した直後のことだった。流石に若い男性が一人でそのような場所に足を踏み入れていると目立つことこの上なかったが、「彼女へのプレゼントだ」と苦しい言い訳を貫き通して店員に手伝ってもらった結果、結構センスのいい服が揃ったように思う。少なくともあの白いワンピースやライルの服を無理矢理着ている今の状況よりは確実にましだ。やっぱり可愛い女の子は可愛い服を着ていた方がいい。
「なんかすげー軟派野郎になった気分だ・・・」
もしくはいきなり娘ができた父親の気分。
紙袋を両手に提げて今度は市場の方へ向かっていたライルは、雑多な人ごみにまぎれて自分を観察している複数の視線に気づいて、立ち止まることなくその数を数え始めた。
アルタナ市中心部は、石造りの建物が連なる美しい町だ。全ての建造物は、北方連山から切り出されてきた純白の大理石で造られており、それだけなら強度が問題になるところを、土台に強化の魔法陣を組み込むことで芸術的な建築にすることを可能にしている。単純な長方形型の建物だけでなく、渦巻型や円筒形、果ては波の形や木々の形を模した独創的な建物が乱立する市街は、さながら町全体が美術館であるかのような様相を呈していた。全ての建物はアルタナ学術院の付属学校(要するに次期学芸員を養成するための学校)の生徒の作であり、建物に関する様々な魔法を学ぶことが技能の向上に繋がっている・・・らしい。ライルは「御手」の持ち主でこそあるが魔術師ではないので、その辺りの事情には興味はあってもそこまで深入りして調べたことはないのだ。
そして現状、そんなアルタナ市の構造に思いを馳せる余裕も、なさそうだった。
「どうすっかなー・・・」
気配を探った限りでは、数は全部で5人。ライルを囲むように、一定の距離を開けてついてくる。その視線には敵意こそ感じられないが、しかし尾行してくるような人物が友好的であるはずがなかった。
どこかで俺が「蒼鷲」だってことがばれた・・・んだろうな。
どこでばれたのかと考えれば、一番妥当なのは昨日忍びこんだハデル邸の私兵集団に尻尾を掴まれたというのが一番有りそうな線だったが、しかしそれにしては滅多やたらに早い。この都市の警邏は全員魔術師で構成されているため決して無能ではないのだが、その彼らにも尻尾を掴ませてこなかったというのに、どうなってるんだ一体。
「妖刀」リリス。その名を思い出して、ライルはそれまでまだ余裕のあった表情を引き締める。ハデルの抱えている私兵集団の筆頭。北の傭兵大国、アレストール国出身の女傭兵であり、その二つ名の由来となった長刀を操る剣士。
彼女ならあるいは、この短時間でライルまで辿り着くことも可能なのかも・・・
その、瞬間。
「あなたが、『蒼鷲』ですね。」
息がかかるほど近くからそんな呼びかけをされて、ライルは背筋を強張らせて立ち止まった。その声はまだ年若い女性のものだったが、感情というものが全く感じられず、まるでライルがそこら辺に生えている雑草であるかのように無造作な口調だ。
しかしそれ故、ライルは彼女を警戒するべき人物だと直感する。
振り向くことすらできないライルにその姿を見せるためか、女性はライルの前に回り込んで、彼を見上げるように佇んだ。
美しい黒髪。褐色の肌。布でできた柔らかい、体にぴったり添う服は清潔感のある白で、上は短いチュニック風、下はミニスカート。編みあげサンダルに、腰に回したこげ茶のベルトで長刀を吊る。
まさか・・・。息を呑んだライルに、決して揺らがぬ無表情を向けて、女性は唇だけを動かして名を告げた。
「私はリリス。ハデル様に雇われている傭兵です。以後、お見知りおきを。」
「マジかよ・・・俺の腕も落ちたか?こんな早く辿り着かれたのは初めてだぜ。」
「あなたの腕は上々。恥じることはありません。あなたの盗んだ品物には、私が魔法を上掛けしていただけのこと。魔術師でもない、『御手』を持つだけのあなたには気付けなくても不思議はないでしょう。」
魔法か、と、ライルは小さく舌打ちする。どうやら昨日から自分の勘は鈍りっぱなしらしい。これは本格的に修行し直さなければいけないかもしれなかった。
そして、今の名乗りで、ライルはリリスの目的は他でもないユイであることを察する。もしも他の盗品を取り戻しに来たのなら、ライルのところではなくあのブローカーの所に行っているはずだからだ。リリスがライルの元へ来たと言うことは、今もライルが持ち歩いている、あのロケットペンダントを辿ってきたに違いない。
「・・・返せ、て言われて返す程俺は甘くないぞ。」
「取り戻しに来たのではありません。行方を確認しに来ただけのこと。あなたが手放していなくて安心しました。」
「・・・何?」
意外な言葉に目を細めたライルに、リリスは淡々と言葉を繰り返す。
「取り戻しに来たのではありません。ハデル様がそれを望んでおりませんので。この接触は、私の独断です。」
警戒態勢を解かないライルをじっと見ていたリリスは、やがて少し困ったように首を傾げた。
「困りましたね・・・もう少し砕いて言いましょうか。私は今はあれを取り戻すつもりはありません。将来的にハデル様の命令があればそうするでしょうが、今は手を出すつもりはありません。勿論、あなたが私と戦うつもりなら話は別ですが・・・私は剣士であり同時に魔術師でもある魔剣士です。あなたが私に勝てる見込みは極めて低いと忠告だけはしておきます。」
それでもしばらくリリスを見ていたライルは、彼女の言葉に偽りはないと判断して少し緊張の度合いを下げる。それを見てとったリリスも、刀の柄に添えていた手をそっと外した。
「今は・・・か。意味深なことで。」
「私はハデル様の命に従うだけです。」
「そうかよ。」
この場にこれ以上いても仕方ない、と歩きだしたライルを止めるでもなく見送っていたリリスは、彼の姿が見えなくなったところで呟いた。
「そう、今は手は出しません。しかし、あれは素人の元にあるには危険すぎますよ、『蒼鷲』。」
その声は誰にも聞こえることなく、町の喧騒に紛れて消えて行った。
「よ、ただいまー。」
軽い声と一緒にライルが家に戻ったのは、彼の宣言通り家を出た次の日の朝だった。
少しは物の片付いた部屋で朝食のトーストとスクランブルエッグを食べていたユイとギルマールは、明るい笑顔とともに帰還したライルに少し憮然とした表情を向ける。
「あー・・・怒ってます?」
「「・・・・・・・・・」」
「・・・怒ってるよな?」
「「・・・・・・・・・」」
「怒ってるんだよな!?ごめん、悪かった!土産もあるから許してくれよ、な?」
情けない表情になったライルに顔を見合わせたユイとギルマールは、ふ、と笑顔を浮かべてライルに笑いかける。
「お帰りなさい、ライル。頼んだ品は買ってきてくれましたね?」
「お帰りなさい、ライルさん。」
ギルマールだけでなくユイの嬉しそうな笑顔を見たライルは、軽く目を見開くと照れたように笑い返した。
初めて見る彼女の心から嬉しそうな笑顔は、まるで野原に咲く花が開くように可憐で、優しいもの。それだけで、ライルは彼女をハデルに渡したくはないと思ってしまう。
胸くすぐるこそばゆい気持ちをごまかすように、ライルは手に持っていた大量の荷物を掲げてみせる。
「おー、かなり買い込んできたぜ!ユイにもあるからな。」
「え!?あ、ありがとうございます・・・!」
勝手に袋を漁って目当ての品を探しているギルマールは放っておいて何やかんやとユイに物を渡しながら、ライルはリリスの言葉を思い返していた。
「私は今はあれを取り戻すつもりはありません」
そう言っていたリリス。しかし、彼女が本気でユイを取り戻しに来た時に、果たしてライルは彼女を守れるのだろうか。
守りきれるのだろうか。
「・・・やっぱ、覚えるしかねぇのかな・・・魔法。」
「ライルさん?」
「んー、何でもねぇよ。」
ユイの頭をかき回すように撫でて、ライルはともすれば沈みそうになる気持ちを振り払うように強気な笑顔を浮かべたのだった。
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