第6話
なるほど、最初からライルはこれを狙っていたのだなと、ギルマールは溜息混じりに彼の爽やかな笑顔を思い出す。
ギルマールが店を開けるのはいつも午後になってからだ。研究に没頭しすぎてついつい徹夜をしてしまうギルマールは、開店当初こそ午前中から店を開けていたのだが、どうしてもそれだと注意散漫になってしまうことに気付いたので、諦めて午後から開店することにしたのだ。それがどうやら、今回はライルに利用される結果になってしまったらしい。
ギルマールの目の前には、彼のベッドですやすやと眠るユイの姿。
全てを語り終えた後、ユイは泣き疲れたのかそのまま眠ってしまったのだ。ライルはそんなユイを勝手にギルマールのベッドに寝かせると、さも今思いついたかのようにギルマールを向いて両手を合わせてみせた。
「・・・今日1日、こいつの面倒見てくれないか?」
「・・・最初から狙ってたでしょう。」
「あー・・・バレバレ?」
「子供でもだませませんよ。」
う、とか呻きながらもそのままのポーズで上目づかいに見てくるライルに、ギルマールは溜息を吐きながら仕方なさそうに頷く。瞬間、輝いたライルの顔にギルマールは思わず噴き出しそうになって慌てて口を引き結んだ。
「・・・どうせ、今日は盗品を捌きに行くのでしょう?ついでに市場で月桂樹の葉とニガヤモリの尻尾を二袋ずつ買ってきてください。」
「任せとけ!二つと言わず三つ買ってきてやる!流石、持つべき者は頼りになる超美系の隣人だよな!」
「美系は関係ないと思いますが・・・」
「マジで感謝してる!ありがとなギルマール!!」
「いいから早く行ってください・・・」
「帰ってくるの多分明日の朝だから!」
「はいはい・・・て、ちょ、ちょっと待ってくださいライル!」
「じゃーなー!」
そしてライルは、ギルマールが止める間もなく飛び出して行ってしまった。
「・・・全くあの人はいつもいつも・・・」
ブツブツ言いながらも、自分が仕事している間にユイが過ごせる場所を作ろうと適当に物をどけていたギルマールは、明日の朝、という言葉にはたと止まってしまった。
「・・・料理、しなくてはいけないのでしょうか・・・」
適当に路地売りのものでも買えばいいのだろうが、しかし彼女を置いて離れるのは好ましくない。ついでに、普段は自分で適当に作るかライルが買ってきてくれるものを食べるか、2・3日食べないで済ませてしまうか(これが一番多い気がする)しているのだが、それを彼女に適用するのは果たしてどうだろう。
ギルマールは、ちゃんと料理を作るにはとっ散らかっているキッチンと、それ以上に物が散乱している部屋とは言い難い部屋を何とも言えない顔で見回した。そして幸せそうに眠るユイの顔をじっと見る。
ギルマールにとっては、他人事とは言い難い境遇を持つ彼女。勿論、その不幸に優劣なんてつけることはできないけれど、彼女がライルに出会えたことは彼女にとっては幸運だったと、ギルマールは断言することができる。
ギルマールがこうして薬師として働けるのも、生きていけることさえも、ライルのおかげなのだから。
手に持っていた薬瓶を一度テーブルに置いて、ギルマールは腕まくりをすると大掃除をするべく気合を入れたのだった。
徹夜明けで疲れ切った体をギルマールの部屋から拝借してきた栄養ドリンクで再活性させると、ライルはギルマールやユイと対していた時の明るい表情を見事なまでの無表情に変えて、とある建物の地下を訪れていた。
薄汚れた建物は、築何年経ったものか、元々3階建てであったはずなのに3階の屋根はなくなって屋上のある2階建てのような有様になっており、1階には気難しそうな老人が経営するバーが今日も冴えない看板を掲げている。そちらには見向きもせずに脇にある地下へ続く階段を下ったライルは、分厚い鉄の扉を開けると、基礎がむき出しになっているジメジメした暗い通路を通って、最奥にあるこれもまた分厚い鉄扉の前に立った。
最初に短く4回、ついで間を開けて3回、更に5回、このノックを2回繰り返すと、扉が内側にゆっくりと開く。独特のノックに反応して開くように魔法のかかっている扉だった。
「よぉ、久しぶりだなぁ『蒼鷲』。」
中で簡素な机に座していた壮年の偉丈夫は、その傷跡のある顔を愉快気に歪ませた。
短いゴマ塩頭に、顔の右半分を過ぎる傷跡。鋭い黒い目には、見る者をひるませる威圧感があるが、ライルは動じた様子もなくその目をまっすぐに見返した。
盗品や不法に取引された品物の売買を専門に行うブローカー集団。彼はそのリーダーであり、彼直々に取引を行うということが、ライルの腕の良さを物語っていた。
「今日はどこの品を持ってきてくれたんだ?ん?」
「ラテルナ王国の硬貨が36枚、100カラット以上のルビーが5つ、サファイアが4つ、トパーズが7つ、アメジストが2つ、後は魔法具が全部で6点だ。大体判定はつけてきたが、細かい判断はあんたがしてくれ。」
どさりと麻袋を下ろしたライルに適当に座るよう促すと、男はモノクルを取りだして手袋をはめるt、真剣な表情で品物の査定を始めた。ライルはその手元を見るともなしに見ながら今日中にやらなければいけないことの予定を立て始める。
まずは情報屋に行って、昨夜の盗みがどれだけの騒動になっているのかと、ハデルに関する話を集めなければならない。その後はユイの服を買って、日用品をある程度揃えて、あぁ、女の子だから装飾品なんか買っても喜ぶかもしれない。後はギルマールのお使いの品を買って、折角だからユイには今中心部で流行っている焼き菓子なんかも買って・・・そして、ユイにこの時代のことを教えてやりたい。
静かに微笑む姿は見た。泣き顔も、泣き笑いも、辛さに耐えるように押し殺された表情も、不安げに揺れる瞳も、見たけれど。
本当に本当に嬉しそうな笑顔は、まだ見ていないから。
無表情を崩さないままに目元を少しだけ和らげたライルは、男に呼ばれて目を上げた。全て鑑定が終わったらしい男は、興奮したように声を弾ませた。
「すげぇもん持ってきてくれたじゃねぇか!こんだけいい品はこの辺りじゃ10年以上お目にかかってねぇよ。」
「そうかい。で、幾らだ?」
「まぁそう急かすな。情けねぇ話だが・・・今俺が払える全額をお前に払っても、この品物の代金には足りそうにねぇんだ。でも他の奴のとこに持ってかれるのは惜しい。そこで、こういう条件をつけたいんだが・・・」
男は指を1本立てると、ニッと笑った。
「俺が払える全額、加えてお前が今知りたい情報を一つ、提供する。それでどうだ?」
「情報ね・・・」
目を眇めたライルは、迷うふりをした後に小さく頷く。男は「毎度あり」と、手に持っていた小さな鍵をライルに放った。
「これを銀行に持っていけば俺の金庫から金が引き出せる。俺は他にまた名義を作るから、好きに使いな。」
「あぁ。それで・・・何の情報を聞かせてくれるんだ?」
「お前が望むものを。さぁ、何がいい?」
挑むように言う男にふっと笑ったライルは、しばらく迷った後、素直な質問をすることにした。
「副市長ハデルのバックは誰だ?」
「そんなことか。シーリスの大貴族・ミライア=ランボルンだよ。旦那のハロルドが死んだ後、その遺産を継いで何だか怪しげな研究してるだか、邪法の組織と結託してるだか、今じゃぁ『魔女』とすら呼ばれてる女だ。」
「『魔女』か・・・」
「あぁ。シーリスの国議会じゃぁあの女を国から追放したくてしょうがねぇらしいが、ハロルドは国議会議長も務めたことがある奴だからな。シーリスの国立研究所でひた隠しにしてる研究内容なんかを押さえられて追放しようにもできねぇんだとよ。」
「そんな女が、何故ハデルと?」
「ハデルはシーリス出身だ。その時にミライアと知り合ったらしいぜ。情報屋から仕入れた情報だから間違いはねぇと思うが・・・他にはあるか?」
「一つじゃないのか?」
「こんなこたぁ、そこらの情報屋とっ捕まえりゃ聞けるこった。もっと突っ込んだこと聞いてくれねぇと割に合わねぇよ。」
憮然とした顔になる男に喉を鳴らして笑ったライルは、それならと質問を重ねることにした。
「ハデルはミライアからの支援の見返りに何をしてるんだ?」
「竜族の研究をしてるらしい。最も、今じゃぁ竜族なんざ南の砂漠にしか住んでねぇから、実際何をやってるかは分かったもんじゃねぇがな。」
ライルは強張りそうになる表情を努めて抑えて、「そうか、ありがとう。」と席を立った。
「こんなもんでいいのか?」
「今の俺には何よりも価値のある情報だった。これ以上はそれこそ割に合わないさ。」
あっさりと言って足早に歩み去ろうとするライルに、男が思い出したように言う。
「あぁそうだ、『蒼鷲』、お前しばらくはハデルのとこの私兵集団に気をつけろよ。あの『妖刀』リリスがこの間盗みに入った奴を捕まえるために動いてるって話だからな。」
「・・・気をつけるよ。」
そのままその場を立ち去ったライルをしばらく見送っていた男は、硬貨を一つ取り上げて弄びながら静かに「さて、気をつけてどうこうなる相手なのかね・・・あの化け物が。」と一人ごちたのだった。
「リリス、勝手に捜索隊を出したそうだな?」
「差し出がましいことをして申し訳ありません。捕らえよという命が出た時に即座に確保できるようにと思いまして。」
相も変らぬ無表情で低頭するリリスに苦笑したハデルは、今日中に処理しなければならない書類に目を通しながら「別に構わないよ。」と答える。
「君が私を思ってしてくれたことだというのは分かっているさ・・・確かに、あれの居場所は分かっていた方がいいしな。それで、目星はついたのか?」
「・・・いえ、それがまだ。申し訳ありません。」
「相手が『蒼鷲』なのだからそれも仕方ないことなのかもしれないな。落ち込むことはない。今後も居場所の捜索は行ってくれ。だが、見つけても手は出すなよ。」
「了解しました。」
立ち去ったリリスに微笑ましげに笑みを零して、ハデルは今どこかにいるであろう自分の研究対象に呼びかけた。
「捕らえるつもりなどないさ。君は必ず、私の元に戻ってくるのだからな・・・」
書類を整理する手を止めて窓の外を見上げたハデルの目に映ったのは、白昼に浮かぶ白い月。
その形は、日の光の下では見つけることも難しい線のような細さ。しかしそれが太くなっていくにつれて、ハデルの待ち望んだ瞬間も近づいていく。
満月まで後一カ月足らず。今はハデルだけが知る「運命の日」は、そのカウントダウンを刻み始めていた。
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