第3話
「ここが俺の家だ。・・・いい感じだろ?」
知らず自慢げになってしまう声に応じるように、ユイは目を輝かせて大きく頷いた。
30分ほどかけて辿り着いたライルの家。そこは、貧民街の中でも市街地寄りにある建物だ。四階建ての建物で、1階は怪しげな薬売りが店を構え、2階がその薬売りの住居、3階がライルの家であり、4階は空き室になっている。各階に一部屋しかない狭い建物だが、造りはしっかりとしていて倒壊する心配はなく、長い間ライルが居心地のいいように整えてきたので内装は親しみやすい、温かなものだった。
一つ一つの家具は、一目で手作りだと分かる素朴な品。ソファが二つ、ローテーブルと窓際に置かれた小さな書き物机。部屋の隅には貧相だがちゃんと使えるキッチン、バス・トイレまで備えられている。ベッドはシングルの小さなもの。ベッドカバーと絨毯は大陸内陸部の騎馬民族がよく用いる幾何学模様が刺繍されたなかなか洒落た品で、数年前にライルが繁華街の骨董市で手に入れた品だった。
ユイをソファに座らせると、ライルは手際よくコーヒーを二つ入れて、一つをユイの前に置くと、もう一つを持って、彼女の向かいのソファに沈みこむように座る。ユイに飲むよう促して、自分は一息に熱いコーヒーを喉に流し込んだ。
喉を焼きかねない熱さが、一気に腹の中まで流れ込んでくる。今日一日の疲れがそれで吹き飛ぶようで、ライルはこの瞬間が何よりも至福だった。コーヒーが見慣れないのか匂いを嗅いで躊躇していたユイも、そんなライルの様子に小さく微笑んで、そっと一口啜る。
「・・・苦い、ですね。」
「そりゃ、ブラックだからな。そこの砂糖を入れてみろよ。」
ローテーブルに置かれた角砂糖のガラス瓶を指したライルに、ユイは素直に従って砂糖を二・三個放り込む。砂糖を溶かしたコーヒーをまたそっと口に含んだユイは、今度は続けざまにコクコクとコーヒーを飲んだ。
「美味いか?」
「はい。美味しい、です。」
そりゃ良かった、と邪気なく笑うライルに笑い返したユイは、半分ほど飲んだところでカップを置いて、真剣な顔でライルを見た。
「あの、ライルさん。」
「ん?」
「・・・これから、どうするおつもりですか?」
ずっと聞きたかったのだろう、緊張した様子でそう問うユイに、ライルはユイと同じように真剣な表情になると目を伏せて考え込んだ。
やらなければならないことはたくさんある。彼女から聞かなければならないこともあるし、場合によってはハデル邸にまた忍びこむ必要もあるだろう。長い旅に出なくてはならないかもしれない。・・・そして、何よりも決めなくてはいけないことは。
彼女を再びペンダントに戻すかどうか、だ。
ライルは大きく息を吐くと、自分をまっすぐに見つめてくるユイに至極真面目な表情で告げた。
「・・・とりあえず、お前は俺が助けた記憶喪失の少女ってことでいいか?」
「・・・え?」
ポカンと口を開けたユイは、数秒そのまま固まった後、ライルが返事を待っているのを見て何とも言えない表情で慌てて言葉を返す。
「そ、それは勿論、構いませんけれど・・・あの、そういう意味ではなくて、私は・・・」
「ちょっと待て。」
右手を突き出してユイを止めたライルは、ニッと口角を上げていたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「・・・俺さ、正直どっちでもいいかな、て思ったんだよ。」
「どっちでもいい・・・ですか。」
「そ。ぶっちゃけまだ悩んでるんだけどな・・・500年前にペンダントに封じ込められた人間を解放しちまったんだ、俺は本当は何かとんでもなく取り返しのつかないことをしてるんじゃないか?もしかしてお前は今は大人しいフリしてるだけで、本当は全く逆の奴なんじゃないか?俺は、俺だけじゃない、多くの人間を巻き込むようなバカなことをしたんじゃねぇのか?その疑問はまだ、ある。それは分かるよな?」
口調に反して真剣な内容に、ユイは少し沈んだ顔で頷く。ライルはそれを気にせず更に言葉を続けた。
「でもな、俺はこれでも盗賊だ。自分で言うのはちょっと気障っぽいんだが、世間の奴らからは義賊とも呼ばれる。お宝を見る目は養ってきたし、それは人間相手にも同じつもりだ。その直感が言うんだよ。・・・『こいつは大丈夫だ。ただの普通の子供だ』って。」
ユイが目を見開く。その宝石のような瞳に揺れる感情は、ライルには計り知れなかった。
ユイが何故、ペンダントに封じ込められていたのか。過去に何があったのか。一人の人間をペンダントに封じ込めるほどのことがあったのなら、それはもしかしたら歴史書に残ってしまうほどの大事件だったかもしれない。
彼女を完璧に信じられる訳でもない。
でも、ライルは学者ではない。理屈で生きてきたのではなく、自分の直感を頼りに、自分が正しいと思う道を信じて生きてきた。
だから、
「暫定的だ。でも、俺は・・・お前を信じる。お前が望む生き方を出来る限り支えてやるよ。」
そもそもお前目覚めさせちゃったの俺だしなー。ここで放りだすのも寝覚め悪いし、そもそもお前が入ってたペンダントって俺が盗んだものだから、そこから俺のこと辿られても困っちゃうしー。
半ば冗談のようにそんな言葉を続けるライルに、ユイは泣きたいような笑いたいような怒りたいような、どう表現しても不正解になりそうな、そんな表情を浮かべていたが、やがて小さく肩を震わせて笑いだした。
「ライル、さんて・・・」
「何だよ。」
「・・・変な、人、ですね・・・」
「あぁ?」
ふふ、と笑うユイの瞳から、ポロリと涙が零れ落ちる。ライルはやれやれと眉を上げて、何も言わずにタオルを彼女に放り投げたのだった。
<NEXT>