第2話
盗品は、盗んだその日に手放さなければ足がつくリスクは10倍に、その後1日ごとにリスクは倍になっていく(大泥棒・マシュー=テルバート)
そんな格言をふと思い出しながら、ライルは先程までより何倍も慎重に路地を進んでいた。その後ろを、緑眼の少女が興味深げにあたりを見回しながらついてくる。
少女をロケットペンダントから呼び出し(解放し?)てしまった後、ライルが彼女から得た情報はと言えば、少女の名前と、彼女がおよそ500年前にペンダントの中に封じ込められ、以後一度も外に出たことはないということだった。
そこまで聞いたところで、彼女は魔法でペンダントの中に封じ込められていた妖精か何かか(魔人と言うには少女はあまりにもあどけなかった)と疑っていたライルはそのことも質問してみたのだが、少女はそれをきっぱりと否定した。そして、彼女を再びペンダントの中に戻すには、少なくとも魔術師ファーレンハイト並みの実力を持つ者に再び魔法をかけ直してもらわなければいけないと言うことも告げたのである。魔術師ファーレンハイトと言えば、今となってはもはや伝説の域に達している魔術師で、彼が記した書物は世界中でもただ一か所、魔術国家・シーリスの王立博物館に厳重に保管されている。10歳で大陸一の魔術師と称される程になった彼の魔術は、それまでの魔術の常識を覆す非常に画期的なものであったという。学芸都市であるアルタナにも、彼の書物は写本でその一部が存在するだけだ。
そんなレベルの魔術師など、現在はそれこそ・・・南の砂漠で隠遁生活を送っている賢者の里にしかいないのではないだろうか。
そこまで彼女を連れていくにせよ、他の場所で魔術師を探すにせよ、それまでは彼女は自分が面倒をみなければいけない。それも、あれこれと詮索されないようにするには、できるだけ隠しながら。万が一彼女の存在が露見した時のために彼女と口裏を合わせておかなければならないし、今日盗んだ品物も早いうちに手放さなければならない。
先程までは想像だにしていなかった状況に、何度目になるか分からない溜息を吐いていたライルは、細い声で呼びかけられて振り向いた。
暗闇の中、はぐれないようにライルの服の裾を掴んでいた件の少女、ユイという名だと名乗った少女が、
不安そうにライルを見上げている。
「どした?」
「・・・前の方から、誰か近づいてきます。」
「え?」
言われて咄嗟にユイの手を引いて近くの空き家に飛び込んだライルは、外から聞こえてくる声に体をこわばらせた。
「・・・もうこの辺りにはいないんじゃないのか?」
「だが探すしかないだろう・・・」
声は思いの外近くから聞こえてくる。ユイの頭に自分のマントを被せて目立つ銀髪を隠すと、ライルはそっと割れた窓から外を覗いた。
数m先の角を、角灯を下げた警邏の二人組が通り過ぎていく。そのまま進んでいれば鉢合わせしていたことは間違いなかった。
「嘘だろ・・・」
心臓がどくりと騒ぐ。どうしてユイは警邏の気配に気づけたのだろう。そして、・・・どうして自分は気付けなかったのだろう?
義賊、盗賊という職業柄、人の気配には敏感にならざるを得ない。忍びこむとき、建物の中、逃亡中、日常の生活ですら人の気配を気にすることがある。今日だって、警邏から逃げる際には音のほかに気配に頼っていた部分も大きい。
それが、今回に限ってどうして気付けなかったのだろう?ユイを連れていたから?・・・そんなことは、理由にはならない。むしろ、ユイを連れているからこそ、特に注意を払いながら進んでいたはずなのに。
何故・・・?
「あ、の・・・」
自分の思考に没頭しそうになっていたライルを引き戻すようにかけられた声に、ライルはハッとしてユイを振り向いた。律義にマントをかぶったまま、ユイはライルを静かに見上げている。
「・・・何だ?」
「さっきの人達が、持っていた、灯り・・・」
「ん?あぁ、角灯か。・・・そっか、500年前とは大分形が変わってるよな。あれは・・・」
「い、いえ、そうではなくて・・・さっきの、灯り、・・・変な魔法がかかってました・・・」
「・・・魔法?」
「ラクト・フィア・・・」
「らくと・ふぃあ?」
耳慣れない単語を呟いたユイにライルが首を傾げると、ユイは少し考えた後「・・・目くらまし?みたい、な、意味だったかと・・・」と答える。どうやら古語の一つらしい。今では一部の学者以外読むことすらできないランティア古語は、1200年前に当時最大の領土を誇っていたゼウクタール帝国で用いられていた言葉だと言われている。この言葉は長い年月の間に大きくその形態を変え、今大陸全土で用いられている標準語の母型でこそあるものの、知識がなければ読むことはできない。しかし、500年前ではまだ一部の地域では標準語と併用して用いられていたと記録に残っている。
閑話休題。
つまり、と、ライルは考える。さっき警邏が持っていた角灯にはユイ曰くの「目くらまし」の魔法が掛かっており、そのためライルは気配に気づくことができず、しかしユイにはその魔法が効かず、逆に魔法を解析することすらできてしまったと・・・そういうことなのだろうか。
「・・・ユイ、お前、魔法が使えるのか?」
「・・・昔は、使えました。・・・今は、分からないです。」
何か聞かれたくないことでもあるのか視線をそらして答えたユイにそれ以上は聞かず、ライルはそうか、と頷く。
ユイが魔法を使えるにせよ使えないにせよ、今は下手にそれを使うことはできない。魔法を使えば、近くの魔術師にそれが伝わる。警邏は全員が魔術師で構成されているため、今ここで魔術を使うことは自殺行為だった。
今はとにかく、彼女を連れて自分の家まで無事に辿り着かなければいけない。
「・・・ユイ、近くに他の警邏はいるか?」
「えと・・・いえ、いません。」
「よし、じゃぁ行くぞ。」
コクリと頷いたユイの手を掴んで、ライルは再び路地に踏み出した。
「目覚めたか、さて・・・」
豪奢な邸宅。アルタナ副市長・ハデルの邸宅だ。
成金趣味と言われれば否定できない、三階建ての屋敷。至る所に装飾が施された屋敷は、上から見ると独特の形をしている。
大きく召喚の魔法陣を描いているのだ。二重の円形を作る建物に、呪文は庭の木々で形作り、敷地の中央にある中庭には、銅像や奇怪なオブジェ・それらの間を縫うように巡らされた散策路が魔法陣を完成させる。
何のために、何を召喚するための魔法陣なのか、ハデルは誰にもそれを告げることなく、3年前にこの邸宅を築いたのだった。
屋敷の一室、執務室で、執務机ではなく来客用のソファに腰掛けてバーボンを傾けているハデルの顔には、自分の屋敷に盗賊が入ったというのに苛立ちはまるでない。むしろ、この展開は予想していたと言わんばかりの余裕ぶりだった。実際、荒らされた宝物庫の片づけを部下に命じただけで、独自に保持している私兵を「蒼鷲」の追跡には向けていないあたり、彼の思惑が感じられる。
警邏よりもよほど有能なハデルの私兵。それを差し向けることなく、まるで彼が今捕らえられては困るというかのように・・・
「・・・ハデル様。」
「リリスか・・・何だ?」
私兵のリーダーである女性に、ハデルは薄い笑みを向けた。リリスは、見事なまでに感情を殺しきった表情を維持しながらも、声だけは訝しげに問いかける。
「本当に『蒼鷲』を追わなくてよろしいので?」
「あぁ。今は、構わない。むしろ感謝しているほどだ・・・あれを盗んでくれたのだからな。やはり『蒼鷲』は『御手』の持ち主らしい。」
クク、と愉快気に笑う。リリスは無表情の中に、僅かに緊張をはらませた。
「しかし、あれは・・・」
「危険だ、か?そんなことはないさ。あれを正確に使えるものなど私以外には存在しない。」
断言するハデルの口調に、誇張は一切感じられない。それは、確実に己の能力は随一だと自覚している者の声だった。
リリスはしばらく主の顔を見ていたが、やがて彼女なりに納得したのか静かに頭を下げる。
「ハデル様がそう仰るのでしたら・・・その通りに。」
「あぁ。」
下がれ、と、手を振られてリリスは敬礼すると部屋を出て行く。ハデルはドアが閉まるとソファから立ち上がって執務机に回り込んだ。
ガウンのポケットに入れていた小さな真鍮の鍵を取りだすと、鍵をかけていた引き出しに差し込む。一度半回転させて「カチッ」という音がしたのを確認すると、同じ向きにもう半回転させて引き出しを開けた。
そこには普段の業務で処理する書類が入っていたが、ハデルはさらにその下、一見底に見えていた板を外して、古ぼけた書物を取りだす。
少しの衝撃で壊れてしまいそうな古書。糸で綴じられたその表紙には、消えかけた古語で「ファーレンハイト」と記されている。そう、その本は、今ではシーリスにしか存在しないはずの天才魔術師・ファーレンハイトの書物・・・それも原本であるようだった。
ハデルは古書を愛しげに撫でると、闇に覆われた中庭、それが描く魔法陣を見透かすようにして笑みを深くする。
「そう、私以外にはいはしないのだから・・・」
その声は、広い執務室に反響し、ハデル以外の耳には届くことなく消えていった。
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