第1話
語り部は語る。
人の身なれば、彼等を超えることかなわず、と。
魔術師は語る。
世の理、全てが彼等と共にあり、と。
人を超え、世界を超え、宇宙の道理すらも揺るがす存在。
多くの戦士が挑み、多くの魔術師が願い、多くの語り部がその威容を語る存在。
人間は彼等を”竜”と呼ぶ。
「捕まえろ!!」
「そっちだ!そこの角を右に曲がった!」
野太い怒号が響く狭い路地裏。ただでさえ狭い道路は、両側に立つ堅牢だが古ぼけた建物によってますます狭さを感じさせる。かつては塗装されていたのだろう道の表面は、長い年月手入れがされていなかったために立派なタイルも全てひび割れ剥がれ、下の土が露出し、足元を見ないで歩けばつまずいて転ぶことは必至である。
その最悪な足場をものともせず、どころかほとんど足音すら立てずに駆けていた長身の青年は、確実に自分に追いついて来ている警邏のどなり声に不敵に笑った。
「へ、この場所で俺が捕まえられるかっての。」
片頬を歪めて笑う表情には、不思議と醜い所はなく、さながら世界を皮肉っているかのような威厳すらある。彼がまだ年若いこと、格好も薄汚いマントにチュニック・ズボン姿であることを思えばそれは一種の不思議でもあった。優しげな垂れ目には人の心の奥まで見透かすような光と鋭さが宿り、芸役者のように整った顔には気品が漂う。逃亡中にもかかわらず自信に満ち溢れた態度は、彼こそが正義であるかのようだった。
彼の名前はライル。ここ、学芸都市アルタナで暮らす若き義賊だ。常に紺碧の髪を頭の上で一つに結わえ、紺色の布で顔を覆い、夜陰に紛れて汚れた手を持つ者から金品を攫う彼のことを、人々は「蒼鷲」と呼ぶ。
そのライルが警邏と追いかけっこをしている地域はアルタナの外周、貧民街にあたり、魔光灯などの街灯も一切ない。この場所に逃げ込んだ時点で、ライルの勝利はほぼ確定しているとも言えた。
軽快な調子で駆け、幾度も複雑に路地を曲がり、時には地下室や空き家まで経由してしばらく走ったライルは、追ってくる足音がしなくなったのを確認してようやく足を止めた。
そこは打ち捨てられた小さな倉庫。かつては海の向こうの最高峰の魔術国家・シーリスとの交易品を納めていた場所なのか、月明かりのさした壁には薄く海の民の紋章が描かれていた。ウミヘビが互いの尾を喰らいあう、独特のウロボロスの紋章だ。
それを視界の隅に捉えながら、まだ崩れていない木箱の一つに腰をおろして、ライルは背に負っていた麻袋を床にそっと置く。中には壊れやすい貴重品も入っているのだから、慎重に扱わねばならない。特に今日は・・・
「割れてねぇといいな、と。」
指紋をつけないために白い薄手の絹手袋を嵌め、月光の心もとない光の中、袋の中を丹念に探る。単純な宝石や貴金属類は脇にどけて、より貴重な品物をより分けていく。
今は滅びた古王国・ラテルナの僧侶が用いていた杖の先端部分、シーリスの賢王と称えられたリヴァイバル王の紋章がついた首飾り、英雄ホークのペンダント・・・
これらの品はただ貴重なだけではなく、それ自体に特別な力を秘めていることが多い。そしてライルは、その特殊な波動を感じとることができる「御手」の持ち主だった。
学芸都市アルタナのある広大な大陸・ランティアには、大小合わせて100以上の都市・国家がある。そしてそれらの全ての国で、魔術というものが不偏的な文明の基礎となっていた。大陸中にあまねく存在する自然の要素、地水火風に光、闇、太陽に月に星、人によっては動植物や宝石からも力を借りて、それに応じた能力を行使することができる。また、その力を道具や武器に封じ込めて、それ自体力のあるものへと作り変えることもできるのだった。ただしその道具は一見してもただの道具にしか見えず、特殊な才能を持つ者しか本来の力に気付くことはできない。その能力を持つもののことを、「御手の持ち主」と呼ぶのである。ライルはその「御手」の持ち主なのだった。そんな彼だからこそ、短い時間で真に価値のある品物を選んで盗むことができるのである。
満足げに品物の確認を進めたライルは、そのような品物の一番最後に、とりわけ奇妙な力を感じるロケットペンダントを取り出した。
それは先程忍びこんだ学芸都市副市長・ハデルの邸宅の品の中で、見た瞬間に惹きつけられた品物だった。
形状に特別な所はない。5cmくらいの流線形の3分の1の部分に切れ込みがあり、その部分をひねって外すとものが入れられる。全体に植物の蔦のような装飾が施され、彩色はされておらず、白い手袋の上で鈍く銀色に輝いている。首からかけるように長い鎖には特に変わった所はない。ライルの感覚に訴えてくるものは、ロケット本体・・・その内部にあるようだった。
長く触れていると僅かに手が震えてくる。心臓の鼓動を逆なでするように重い、重い、存在感。
開けて中身を確認しなければならない。しかし、開けたら何か・・・とんでもなく取り返しのつかないことが起こる気がする。
「はっ・・・そんなとんでもないもんを副市長ごときが持ってるかよ・・・」
自分を鼓舞するように呟くと、ライルは一度大きく深呼吸してロケットの蓋を捻った。一瞬の躊躇の後、一息に蓋を外す。
瞬間、
『ここは・・・どこ・・・』
「!?」
びくっと体を強張らせたライルの手の中、ロケットからかすかな声が聞こえたと思うや、月光すら遥かに凌ぐ白い光がロケットから迸り、ライルの目を射た。たまらず目を閉じたライルの顔に、強い風が吹き付ける。ただの風ではない。まるで、大きな鳥が羽ばたいたかのような不規則な風。
徐々に光の奔流が収まると、ライルは手を目の前に翳したままゆっくりと目を開いた。
「・・・は・・・?」
まず目に入ったのは、細い足と、その足首にはめられた古ぼけた足かせ。もっともそれはもはや本来の用途を果たすことなく、右足にぶら下がっているだけである。そっと視線をあげていくと、膝丈よりも少し長い白のスカート・・・ワンピースと、凹凸の少ない肢体。足かせと同じデザインの、同じく役に立って
いない手鎖。月光を紡いだかのような銀髪は腰まで伸びている。そして・・・
「・・・女の子・・・?」
森の緑のような、深い、穏やかな、どこか切なげに感じる緑の瞳を瞬かせて、自分を見つめる・・・少女。
さっきまでは確かにそこにはいなかった。いたなら確実に気付いているし、彼女は気配を隠すことすら知らない様子で立っている。
更に・・・何よりも、
彼女から感じる気配は、先程までロケットから感じていたものと、全く同じだった。
つまりは。
ライルは恐る恐る、少女に問いかける。
「なぁ、お前・・・この中に、いたのか?」
ロケットペンダントを翳してみせる。少女は少し首を傾げて記憶を辿るように目を泳がせていたが、すぐにこくりと小さく頷いた。
確かに、はっきりと、首を縦に振った。
はは、と乾いた笑いが零れる。
「ウソだろ・・・」
まるで状況を理解せずにきょとんと首をかしげている少女の前で、ライルは頭を抱えて叫んだのだった。
「そんな訳が、あるかー!!!!」
かくして、盗賊(義賊)ライルと、不思議な少女の一月の冒険譚が始まったのである。
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