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東雲に追われて  作者: San


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1/7

東雲に追われて 1

靴底が、アスファルトを叩く音が夜に弾ける。


 バン、バン、バン、と荒く不規則に響く自分の足音。

 呼吸はすでに限界に近い。肺が焼けるみたいに痛い。


 それでも――止まれない。


 止まったら終わる。


 曲がり角を勢いのままに曲がる。肩が壁にぶつかり、鈍い衝撃が走る。けれど構わず走る。


 夜の住宅街は静まり返っている。

 窓の明かりだけが浮かんでいて、人の気配がない。


 その静寂を――


 バン、バン、バン、バン!!


 もう一つの足音が、乱暴に引き裂く。


 後ろから。


 すぐ後ろから。


 振り返る。


 一瞬だけ。


 街灯の下、影が大きく揺れる。


 彼女だ。


 全力で走っている。


 髪が乱れて、肩で息をしているのに、それでもスピードは落ちていない。

 手にはナイフ。握りしめたまま、腕を振り上げるようにして走ってくる。


 その姿は――


 知っているはずなのに、知らないものみたいだった。


「……っ!」


 喉が詰まる。


 距離が近い。


 さっきよりも、明らかに近い。


 彼女は迷いなく、一直線にこちらへ向かってくる。

 足音が荒い。呼吸も荒い。


 それでも止まらない。


 止める気がない。


 ――なんで。


 頭の中で何度も同じ言葉が浮かぶ。


 なんで、こんな必死に。


 なんで、そこまでして。


 足がもつれる。

 段差に引っかかり、体が前に倒れかける。


「っ、くそ……!」


 手をつき、強引に体勢を戻す。掌にざらついた痛み。


 その間にも――


 足音が迫る。


 速い。


 さっきよりも、さらに速い。


 彼女は加速している。


 逃がさないために。


 必死に。


 立ち上がる。走る。

 無理やり息を吸う。肺が悲鳴を上げる。


 狭い路地に飛び込む。

 ゴミ袋の匂いが鼻につく。湿った空気がまとわりつく。


 後ろから、ぶつかるような音。


 彼女も同じ道に入ってきた。


 壁に肩をぶつけたのか、鈍い音がして、それでもすぐに走り直す足音が続く。


 諦めていない。


 むしろ、追いつこうとしている。


 心臓がうるさい。耳の奥で暴れている。


 ――逃げろ。


 それしかない。


 なのに。


 頭の奥に、別のものが浮かぶ。


 彼女の笑顔。


 少し照れたような表情。


 名前を呼ぶ声。


 優しくて、柔らかくて――


「……なんでだよ……!」


 叫びに近い声が漏れる。


 答えなんて、ない。


 路地を抜けると、小さな公園に出る。

 錆びたブランコが揺れている。


 足を止めかけて、無理やり前へ。


 開けた場所は危険だ。


 それでも。


 振り返ってしまう。


 彼女が、路地から飛び出してくる。


 走っている。


 全力で。


 息を切らしながら、顔を歪めて、それでもスピードを緩めない。


 ナイフを握る手に力が入っているのが見える。


 その目は――


 はっきりとこちらを捉えている。


 逃がさない、という意志がある。


 なのに。


 その奥に、何か別の感情も混ざっている気がする。


 胸が締めつけられる。


 怖いのに。


 それだけじゃない。


 足が、ほんの一瞬止まりそうになる。


 ――だめだ。


 走る。


 公園を横切る。砂が跳ねる。

 足の感覚が鈍くなってきている。


 出口に向かう。


 その時――


「――ねえ!」


 声が飛ぶ。


 さっきよりも強い。


 息を切らしながら、それでも無理やり絞り出した声。


 体が反応する。


 止まりそうになる。


 知っている声だ。


 何度も聞いた声。


 好きだった声。


「待ってよ!!」


 必死な声。


 振り返ってはいけない。


 わかっているのに。


 視線が、引き寄せられる。


 振り返る。


 彼女が、すぐそこまで来ている。


 距離がほとんどない。


 街灯の光に照らされた顔。


 息が荒い。肩が上下している。


 それでも目だけは、強くこちらを見ている。


「なんで、逃げるの……!」


 さっきよりも、感情が混ざっている。


 怒りとも、悲しみともつかない声。


 彼女は一歩、踏み出す。


 ふらつきながら、それでも前に出る。


 ナイフが揺れる。


「ねえ……!」


 さらに一歩。


 もう、すぐそこだ。


「……どうして!!」


 叫びに近い声。


 その問いに――


 答えられない。


 言葉が出ない。


 喉が詰まる。


 ただ。


 体が先に動く。


 後ずさる。


 そして。


 また、走り出す。


 背を向けて。


 彼女から逃げる。


 あの声から逃げる。


 あの問いから逃げる。


 彼女は、まだ追ってくる。


 足音が、すぐ後ろにある。


 止まらない。


 お互いに、止まれない。


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