第6話 TS展開の理想と現実
それからまた数日が流れた。
ほんの少しずつだが、女子高生としての生活にも慣れ始めていた。
姿見の前に立ち、今日の下着を手に取る。
「今日は……白かな。ま、今日は着替えの授業ないし、誰かに見せるってわけじゃないけど。」
――うん、楽しい。
「可愛い」を理解しつつある自分に、同時にちょっとした恐怖も覚える。
「よし、メイクも大丈夫!……行ってきまーす!」
誰もいない部屋に向かってあえて声を出す。浮かれ気味なのは分かっていたが、今日は特に気分が上がっていた。
ただ、少し寂しいのは、
真桜さんが朝から予定で一緒に登校できないこと。
***
ガラッと教室のドアを開ける。
「よーっす! ゆかっち!」
「裕香さん、おはよう。」
「お、おはようです!」
「あはは!変な挨拶!」
これが、前川裕香としての日常なのか。
まだ慣れないけど、確かに“俺の日常”とは違う。
女子高校生の楽しげな日常が始まろうとしていた。
「ゆかっち、真桜は?」
「今日はなんか予定あるらしくて……」
すると、四人のグループチャットに通知が。
【おつ〜! ごめん! 昼からいく!】
真桜さんらしい、軽いメッセージだった。
「そんでさ〜、今度大会で全国狙っててさ――」
「まぁ、光なら大丈夫なんじゃない? それより――」
しかし……気まずい!
共通の友達がいない時に訪れる、あの“会話に入れない地獄”パターン。
いや、白石さんと桐谷さんは友達同士だからいい。気まずいのは俺だけだ。
女子の姿になっても、コミュ症は変わらず……。泣きたくなってきた。
「…………」
「ゆかっち、どうしたの?」
「へっ!?……いや、その……!」
「ここに来てまだ三日くらいだし、慣れてないのよ。ごめんね、裕香さん。私たちばっかり話しちゃって。」
「えぇ!?い、いや!全然大丈夫です!」
「なははは!気にしなくていいのに!じゃあ今度泊まりに行ってやろう!」
「光が気にしてないのは、むしろ問題だと思うけど。」
…白石さんに気を遣わせてしまった。
ごめんなさい、本当に。
何を話せばいいのか、頭が真っ白なんだ…。
「せっかくだし、裕香さんの話を聞こうかな」
「そうだな〜!ゆかっちは前までどこの学校にいたんだい?」
……出た、この質問。
ここの学校に二年いました〜なんて言えるわけがない。
こういうときの答え方は翔に教えてもらっていた。
「実は……その……訳あって高校に通えてなくて……。ここに、無理を言って転校してきたんです」
「「……!」」
「あ〜、最近は色々あるしなぁ」
「裕香さん、真面目そうだから。色々抱え込んでたんでしょう?」
2人がなんとなく察した感じになってしまった。
ごめんなさい……嘘なんです……。
うぅ、良心が痛い。
「よし!ゆかっち!友達の私が、何かあったら助けてやろう!」
「だから、光はすぐグイグイ行きすぎ。……でも、本当に頼ってくれたらいいからね」
「あ、あ……ありがとう!」
今度こそ、全力でおもてなしをしてあげたい。
そんな風に思える2人だ。
午前の授業も終わり、昼休み。
「次の授業、移動めんどくさ〜」
「ほら、光、行くよ。裕香さんも行こっか」
「あ、私はちょっと……まとめたいものがあるから、先に行ってて」
一人で外のベンチに残る。
友達と一緒にいるのもいいけれど、今はまだ……一人でいたほうが落ち着ける気がした。
次の授業の教科書を用意しよう。そう思って立ち上がった、その時――
ドロッ……ポタッ、ポタッ……。
「えっ……?な、何これ……?」
前触れもなく、股間から血が流れ落ちていた。
「いや……こういうのって、事前にわかるはずじゃ……なんで?」
真桜さんに言われて生理管理アプリは入れていた。
けれど、この身体になってまだ二週間ほど。
前回の周期なんて分かるはずもなく、「大丈夫だろう」と思っていたのだ。
「こ、怖い……怖い……!こんなに出るなんて……!」
想像以上の量。
ベンチにはじわりと血が広がり、せっかく意気込んで選んだ白色の下着は真っ赤に染まっていく。
震える手でスマホを掴んだ。けれど……グループラインを開く勇気が出ない。
こんな情けない姿、誰かに見られたら……。
キーンコーンカーンコーン……。
授業開始のチャイムが鳴る。
まずい、まずい、まずい……!どうしよう。
生理って……こんなにも突然、容赦なく来るものなのか……?
スマホ画面を握りしめるしかできず、視界は涙でじわりと滲んでいった。
それから何分経ったのだろう。
俺はまだ、ベンチに座り込んでいた。
ハンカチである程度は血を拭ったが、汚れはどうしても目立つ。
立てば太腿を伝って滴ってしまうだろう……。
文字通り血の気が引き、心臓はドクドクと早鐘を打つ。
呼吸も乱れて、視界が揺れていく。
「はぁ……はぁ……うっ……うぅ……」
ぐずっ……ぐずっ……。
泣くことしかできなかった。
もう駄目かもしれない……そう思った、その時。
「ゆかっち〜……おー!いた!」
「あら、ベンチから動いてなかったのね」
桐谷さんと白石さんが、授業を抜けて俺を探しに来てくれていた。
その姿を見た瞬間、助け舟にすがるように涙が溢れる。
「うぅ……桐谷さん……白石さん……!」
「……なるほど、レイ。ゆかっち、アレだね」
「ええ。光、タオルある?」
「あるある!拭いてあげる!」
「じゃあ私はブレザー巻こう。裕香さん、とりあえず保健室に行こうか」
2人は迷いなく、迅速に動いてくれた。
きっと、体験したことのある人だからこそ当たり前のようにできる対応なんだ。
俺は情けない顔のまま、それでも確かな安心を覚えていた。
保健室
先生が落ち着いた声で丁寧に対応してくれた。
取りあえず、血で汚れてしまった下着は洗濯してもらい、桐谷さんがたまたま持っていた新品のシンプルな黒の下着を渡してくれた。
「ナプキンはつけたかな?」
「はい……」
「それじゃ、出血の方はもう大丈夫だね。体調は?」
「少しお腹が痛いのと……あと、すごく疲労感が……」
「うん、無理しなくていい。ここで休んでいて構わないし、この後どうするかは自分で決めなさい」
「はい…あ、桐谷さん、白石さん。本当にありがとう…授業中なのに……助かった」
「いいって!こういうのはお互い様だから!」
「頼ってねって言ったでしょ。これくらい当然よ」
2人はそう言い残し、授業へと戻っていった。
俺は……結局、早退することにした。
帰り道、ズキズキとお腹が痛む。
体の奥で鈍い痛みが、カリカリと削るように広がっていく。
頭もぐわんぐわんして、軽く目眩すらした。
パニックになったせいもあるのかもしれない。
「TS展開だー!」なんて喜ぶ人に、強く伝えたい。
女子高生は決して良いことばかりじゃない。
なんとか社宅へ帰り着き、ベッドに横たわる。
「俺……助けられてばかりだ」
裕貴の時からそうだった。
一緒にゲームしてくれる翔、隣でいつも笑ってくれる真桜さん……。
そして裕香になってからも、桐谷さんや白石さんに助けられてばかり。
「生まれ変わったんだから頑張ろうって思ってたのに……本当に情けない」
胸の奥がずんと重く沈み、どうしようもないぐちゃぐちゃの感情が押し寄せてくる。
「俺……この先、大丈夫なのかな」
ぼんやり天井を見ていると、スマホの通知音が鳴った。
【ゆかっち、お疲れ様!生理で早退って聞いたんだけど体調大丈夫かな?】
「……この子は、本当に」
涙腺がまた緩みそうになる。
誰かが気遣ってくれる、それだけで救われるのだと痛感した。
【大丈夫!ちょっと休んで明日学校行きます!】
指が震えながらもそう返信すると、少しだけ気持ちが軽くなる。
けれどすぐに次の通知が届いた。
【体調悪いのにごめん!ゆかっちの為にもなると思うから、こっちで少し検査お願いしたいんだけどいいかな?】
「あぁ……そうだよな。俺は神宮寺製薬の重要な被験者だ」
それに、もし生理痛を和らげる方法があるなら――。
重たい身体をなんとか起こし、会社へ向かうことにした。
ーーーー
地下研究所
「ほんっっっと、ごめん!!でもゆかっち、ありがと!!」
白衣姿の真桜が、研究室の明るい照明の下で頭を下げる。
壁には電子機器が並び、低い機械音が常に響いていた。
「いや、これくらいは……真桜さんにもお世話になってるし。何か一つでも力になれるなら」
そう言うと、案内されてベッドに横たわる。
目の前に天井の無機質なライト。
次の瞬間、よくわからないX線のような光が体を通り抜けた。
「お父さん、今すごく忙しくてね……でもデータだけでも取ってほしいって。体調悪いのにごめんね」
「いや……大丈夫だよ」
検査を受けながら、真桜が何気なく問いかけてきた。
「どうだった?生理」
「えっと……本当に“ドバッ”て出るんだなって……。あと、感情もなんだか変な感じになった」
「あはは!健全な生理反応だよ!」
笑う真桜の顔は明るい。
けれど俺の心は、どこかでその明るさに圧倒される。
「真桜さんは、これを毎月体験してるんだね……すごいな」
「私だけじゃないよ。ヒカもレイちゃんも、周りの女子ほとんどみーんな同じだよ」
「……俺も、いや私も頑張ります」
「そうそう!一緒に助け合うんだよ、こういう時こそ」
「はい、データ収集終わり〜!お疲れ!」
思ったよりあっさり終了した。
ベッドから起き上がり、帰ろうとすると――
「あとね、これ!」
真桜が小さな銀色の瓶を差し出す。
「うちの会社の鎮痛剤!体質にもよるけど、よかったら使ってみて。もし何かあったらまたすぐ言って!」
「ありがとう……」
また助けられた。そう思ったら、涙がこぼれそうになった。
「その……真桜さん」
「ん?どしたの?」
「なんで、私にこんなに色々してくれるんだろうって……」
ずっと聞きたかったことだった。翔ならまだ分かる。だが真桜さんは、もう別世界にいるような人間だ。俺と関わることで得るものがあるとは思えない。
「んー、ゆかっちのおかげで家が賑やかになったからかな」
「え?」
「兄ぃ、ゆーくんと仲良くなる前は、会社を継ぐとか研究とかでずっと張り詰めてたんだよ。家に帰っても考え事ばかりで。
それが、ゆーくんが来てから兄ぃの笑顔が増えて、家の空気が変わったんだ。あとシンプルに、私も一緒にいるのが楽しかったから」
「そ、そうだったんだ……」
思っていたよりずっと素直で単純な答えだった。友達って、こういうものなのかもしれない。
「ほんとは私もゆーくんともっと絡みたかったんだけど……あの頃、ゆーくん緊張してカタコトだったじゃん、笑」
「あ……それは、ごめん」
「だ〜か〜ら〜」
真桜さんが急に距離を詰め、少し強めに抱きしめてきた。
「!?」
「ゆかっちになった今度は、私がたくさん絡む番だよ!」
「う、うへぇ……」
密着されると胸が高鳴る。真桜さんのほのかな香りがふわりと近づいてきて、自然と落ち着く自分がいた。
「ゆかっち、いい匂い〜。落ち着くな〜」
それはこっちも同じだった。真桜さんの香りも、温かさも。
「また元気に学校に来るんだよ!」
「うん……がんばる!」
帰り際に手を振る。俺は胸の中がじんわり暖かくなるのを感じながら、ゆっくりと歩き出した。
頼れる友達がいる。少なくとも、俺からはそう思えた。
俺もいつか、みんなから頼られる存在になれるように。そう心の中でそっと誓った。
裕香が部屋を出ていき、静けさが戻る。
少し間を置いて、真桜は小さく息を吐いた。
「……うちの実験も大したものだね。最初は絶対に無理だろうと思ってたけど、まさか成功するなんて」
ふと、あの日のことを思い出す。お風呂で軽く触れて確認した形まさしく女の子そのものだった。
「でも、生理が来たってことは……子宮がちゃんと機能してるってことだよね。ゆかっち、本当に女の子の身体になったんだ……」
「ふふ……このままスキンシップを強めていったら、どうなるんだろう。慣れていくのかな?それとも、どこかで限界が来て欲情しちゃうのかな?
それに……好きになる相手は男子?それとも女子?本当に興味深い」
少し妖しい笑みを浮かべながら、真桜は心の中でそっと呟く。
「ゆかっち。私がしっかりサポートしてあげるから……。卒業までに、どう変わっていくのか、いちばん近くで見届けさせてね」
歪んた思想も気付かず裕香は明日も学校生活を送る。




